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2022年10月30日 (日)

筆一本の白石一郎と滝口康彦、貯金100万円の生活を夢に見る。

 年をとると、どんどん記憶が抜けていきます。昔は、どの雑誌のどこに直木賞のことが書かれていたか、ワタクシも必死に覚えようとしていましたが、もはや完全に耄碌してしまい、いまとなっては水の泡。直木賞を趣味にするというのは、ほんと、むなしさの極致ですね。

 というハナシはさておいて、こないだ『オール讀物』のバックナンバーをめくっていたら、こんな記事にぶつかりました。平成2年/1990年9月号、第103回直木賞に泡坂妻夫さんが決まったときの発表号ですけど、往年の受賞者が直木賞に関するエッセイを寄せています。白石一郎さん「小説の恩」、深田祐介さん「誰にも青春があった〈番外篇〉「息のながーい挑戦のナミダ」」の2つです。

 深田さんのことは措いておきます。今日の主役は白石さんです。

 エッセイの内容をかいつまむと、以前、横浜そごう百貨店で古書展が開かれた、そのとき「白石一郎」と署名された「直木賞との長いつきあい」と題する生原稿5枚が6万円で売りに出た、目録に載った写真を見たところ、自分が書いた覚えがない、きっとニセ物だと確信して主催者に連絡したが、送られてきた全文コピーをみると、どうやら自分の原稿のようだ。いったい、どこに発表されたものなのか、まるで記録がない。……というような、自筆原稿との出会いが書かれています。

 本文中、古書展に出されていた原稿の内容が転載されています。そこから「島原大変」が第87回(昭和57年/1982年・上半期)の候補になった翌年に書かれたものだとわかりますが、白石さんいわく、5枚で6万円の値がつくなんて馬鹿ばかしい、そのときの原稿料はおよそ3分の1ぐらいだった、とのこと。

 要は、6万÷5÷3……。昭和58年/1983年、直木賞候補6度の白石さんの原稿料の相場は、400字詰用紙1枚あたり4000円ぐらいだったらしいです。

 白石さんといえば、おれにゃサラリーマン生活は無理だと若いうちに覚って、本気で作家を志望。昭和32年/1957年、講談倶楽部賞を受賞したのが25歳のときで、それ以来、ずっと筆一本で生計を立ててきた人です。

 昭和30年代から経済成長期、直木賞なんかとらなくても物書きだけで食っていたわけですが、直木賞をとったあとのエッセイや対談を読むと、かなり厳しい収入状況だったことが回顧されています。

 たとえば、古川薫さんが受賞したときに『オール讀物』に載った「おめでとう対談 直木賞受賞の瞬間」(平成3年/1991年3月号)です。

 古川さんにとって長年の心の支えは、福岡に白石さん、佐賀に滝口康彦さん、筆一本でどうにか生活できている人が二人もいる、ということだった、と出ています。それを受けて、白石さん(と滝口さん)の、貧乏作家バナシが始まるのです。

白石 ただね、滝口さんが元気なころ、「白石さん、疲れたあ……」としょっちゅういってましたね。滝口さんは僕らに比べたらはるかに、華やかな花がいっぱい開いた人ですよ。書いた作品が映画になり、舞台になり……。それでもやっぱりくたびれるというのは、わかるね。

(引用者中略)

打ち明けた話をすると、おたがいせめて貯金を百万円ぐらい、いつか持ちたいなといっていたよ、あなた(笑)。」(「おめでとう対談 直木賞受賞の瞬間」より)

 100万円を貯金するのが夢だった、という。昭和中期の職業作家も、なかなか必死で生きていたんだなと思います。

 このあとに古川さんも、当時の収入状態を振り返っています。山口新聞を辞めたのが昭和45年/1970年。原稿注文がたくさんあったわけでもなく、本を出すのも年に一、二冊。それでも年収は250万円ぐらいあった、と言います。

 その主な収入源は、ひとつは講演。もうひとつは、あまりに些細な雑文をいろいろな媒体に書くこと。古川さんは「作品目録にも載らないような雑文」と表現しています。直木賞をとってしまえば別でしょうが、定職をもたず、「筆一本」で生活する人たちにとって、この雑文というやつが、どれほど大事な命綱だったか。しみじみと心に染み入ります。

 最初に挙げた白石さんの、どこに発表したかわからない自筆原稿も、おそらくそういう雑文の一つだったわけです。一枚あたり4000円の微々たるお仕事。けっこう馬鹿にしたもんでもありません(って、だれも馬鹿にはしていないか)。

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