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2022年10月16日 (日)

直木賞を受賞しても収入が増えない榛葉英治、「金がほしい」と日記に書く。

 『職業作家の生活と出版環境 日記資料から研究方法を拓く』(令和4年/2022年6月・文学通信刊)という本があります。今年出たばかりです。

 編者の和田敦彦さんはじめ、参加している須山智裕、加藤優、田中祐介、中野綾子、河内聡子、大岡響子、宮路大朗、康潤伊といった諸氏が、どんな思いをもち、何を明らかにしようとしたのか。それはもう、高尚ですばらしい文学研究に対する野心が渦巻いているのでしょう。

 ワタクシはハグレ直木賞厨なので、そういう研究的なことはさっぱりわかりません。わからないんですけど、アノ榛葉英治さんの日記が、かなり詳しく紹介されている。何なら、原文の一部まで読めてしまう。それだけで、直木賞大好きゴコロが揺さぶられます。

 「アノ」と言ったのは他でもありません。直木賞受賞者のなかでも、つまらない作品で受賞したことではトップクラス、海音寺潮五郎さんや『下界』のお仲間たちがいなければ、まず受賞しなかっただろう榛葉さん。『八十年 現身の記』(平成5年/1993年10月・新潮社刊)という「ぶっちゃけトーク」な回顧録を残して、その売れない作家人生に華を添えた、半世紀以上まえの直木賞受賞者です。

 その榛葉さんの日記の内容が、またえげつなくて、たまりません。嫉妬と怨念に彩られ、昭和24年/1949年、戦後復活第一回の芥川賞で「蔵王」が候補にも挙げられなかった、だけどあんなに評判がよかった作品なのだから絶対とれたはずだ、とそんなハナシを、えんえんと死ぬまで言いつづけます。戦後の作家人生のなかで、数々の人と接触、語り合いますが、そのときに自分を馬鹿にした連中のことを、終生忘れず、「第2部 データ編―日記資料から何がわかるか」の「文壇グループの動態――人脈の記録」などは、もうワタクシみたいな意地きたないゴシップ好き人間には、よだれだらだらの記述が満載です。

 と、いい年こいてよだれを垂れ流している場合じゃありません。ハナシはおカネのことです。

 本書のひとつの長所は、榛葉さんがいつ、どのくらい、どうやって稼いでいたのか、詳細に書いてあること。作家にとってのおカネが重要視されているところです。

 直木賞の受賞者のなかには、原稿注文が跡を絶たず、ベストセラーを連発、儲けたお金で豪邸を建て、ウッハウッハのセレブな暮らしをした人もいます。ただ、そんな人ばかりでもなく、いつしか雑誌から名が消え、本もほとんど出ず、貧乏なまま一生を終えた受賞者もいます。

 後者もまた、直木賞の歴史が持つ現実の一つです。直木賞なんてとっても、まったく売れない。たとえば河内仙介さん、千葉治平さん、笹倉明さんなど、ワタクシはどうしても、そういう人のほうに興味が沸くんですけど、なかでも榛葉さんは、その卑屈でルサンチマンな回顧とあいまって、思わず引き込まれます。

 同書の「作家の経済活動――金銭収支の記録」には、昭和21年/1946年から平成10年/1998年までの約40年の日記から、収支に関する記述が抜粋されています。

 榛葉さんが直木賞を受賞したのが昭和33年/1958年、45歳。その前後の榛葉さんは、まったくカツカツの生活で、田村泰次郎さんに3000円を借り、丹羽文雄さんに20000円を借り、『小説公園』から3000円を前借りし、荒木太郎さんに3000円を借り……、というふうに原稿料の収入だけでは、まるで生活ができていません。

 税金滞納で、税務署からはもうそろそろ家を公売にするぞ、と脅される始末。「なぜ、こう自分は不幸なのか。根本は、やはり書けないこの自分にあるのだ。あるいは、書いた作品の悪さ、つまりは自分の才能にあるのか。」(昭和32年/1957年5月11日の項)などと書いています。20歳、30歳の青年がいうならまだしも、40歳こえたオッサンが、こういうことを日記に記さなければならない悲哀。ジュンと胸がいたいです。

 第39回直木賞を受賞したのは、完全に生活が立ち行かなくなったそんな時期でした。賞金10万円は、『直木賞事典』(昭和52年/1977年6月・至文堂刊)によると生活費に使ったそうです。そりゃそうです。受賞記念パーティーとかで浪費できわけがありません。

 しかも榛葉さんはすごいことに、直木賞をとってもまるで収入が好転しなかった様子。昭和36年/1961年には「金がほしい。(引用者中略)仕事の注文はない。」と書いていますし、昭和37年/1962年「今は最悪のどん底である。熱海君に借りた一万五千で食っている。」とあります。直木賞とって、最悪のどん底って。これが直木賞という文学賞の面白いところです。

 この日記の解説で、田中祐介さんは、こんなふうにまとめています。

「『赤い雪』(一九五八年)による直木賞の受賞後も経済的な苦境は続き、無収入への不安や、不安が解消された一時的な安堵は最晩年まで綴られる。(引用者中略)榛葉英治の日記は、一面では経済的安定を最後まで得なかった直木賞受賞作家の生活の実態を示す。しかし他面では、作家として稼ぐことにこだわり続けた人間の執念の記録でもある。」(『職業作家の生活と出版環境』「作家の経済活動――金銭収支の記録」より―筆者:田中祐介)

 「執念の記録」とは、ものは言いよう……という感じはしますが、これをめんめんと記録してきた榛葉さんの行為には、頭が下がります。いま、直木賞をとっても生活が苦しい受賞者がいたら(そんな人、いるかな)、没後に公開されることを前提に、ぜひ日記は残しておいてほしいです。未来の直木賞オタクを、喜ばせてあげてください。

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