出久根達郎の古書店「芳雅堂」、平成5年/1993年初日の売上はゼロ円。
直木賞にまつわる本は、いろいろあります。
最もわかりやすいのが「受賞本」です。受賞対象そのもの、もしくは受賞作が雑誌発表だった場合にそれが最初に収録された書籍のことを指します。
「受賞第一作」というカテゴリーもあります。これはこれで、価値があるように見せかけて特別な意味は何もありません。他にオビに書くような宣伝文句がないので、とりあえず「直木賞」という言葉を使って派手ハデしく見せようとした、出版社の人たちの涙ぐましい商売精神が宿っている本のことを言います。「直木賞受賞第一作」だけを蒐集しているコレクターっているんでしょうか。まあ、世のなか広いですからね。どこかにいるかもしれません。
あるいは、「受賞エッセイの本」ともいうグループがあります。昭和も半ば以降になってからでないと存在しない本です。直木賞に選ばれた人がいる。その直後に『オール讀物』に受賞記念エッセイを書く。それが収められて発売された、受賞者による随筆集・エッセイが、過去にはいろいろとありました。受賞当時の、その作家と直木賞の距離感が、本全体からうかがえるので、ワタクシは大好きです。
第108回(平成4年/1992年・下半期)に受賞した出久根達郎さんの「受賞エッセイの本」は、『思い出そっくり』(平成6年/1994年3月・文藝春秋刊)です。巻頭に受賞記念エッセイ「親父たち」(初出『オール讀物』平成5年/1993年3月号)と「受賞のことば」が入っています。
どうしてここで出久根さんのハナシになるのか。というと、なにしろ出久根さんは、れっきとした商売人。直木賞を受賞した当時も古書店主でした。そのためか、エッセイの多くに、次から次へとおカネの話題が出てくるわけです。楽しいですよね、おカネのハナシ。
出久根さんが地元の茨城から上京して古書店に勤めはじめたのは昭和34年/1959年。直木賞でいうと第41回、渡辺喜恵子さんと平岩弓枝さん、第42回、戸板康二さんと司馬遼太郎さんが受賞した頃です。直木賞の賞金は10万円。大学卒の初任給の平均が1万円、出久根さんの最初の月給は、住み込みで3000円だったそうです。
出久根さんの本ですから、出てくる金額は、古書値のことが多いんですけど、そのなかでも『思い出そっくり』の白眉は、何といっても「売上ゼロ」(初出『新潮45』平成5年/1993年2月号)でしょう。
最近出た向井透史さんの『早稲田古本劇場』(令和4年/2022年8月・本の雑誌社刊)を読んでも思うんですが、一冊二冊、どかーんと高い本が売れることもあるけど、基本、古本屋は単価が安い。しかも、だれひとり客のこない、ないしは一冊も売れない日なんていうのがざらにある。とうてい続かずにつぶれていく店があるいっぽうで、「古書」というものに耽美な感覚をもつ人間が、昔からいままで一定数いるのは変わらないらしく、そのなかから暮らしと文化が生まれ、じっとりと社会にしみこんでいく。……と、そういうなかから出久根さんみたいな稀有な受賞者が出てきたわけですし、古書業界のおかげで直木賞が支えられてきた部分は、けっして小さくないと思います。
それでエッセイ「売上ゼロ」なんですが、これは出久根さんが独立して古書店「芳雅堂」を開業した昭和48年/1973年の頃から、直木賞を受賞することになる平成5年/1993年まで、年明け一発目の開店日について、業務日誌に書かれた文章を紹介しながら、そのときどきの思い出を綴っていくという内容です。
はじめて迎えた正月、昭和49年/1974年には、店を開けたのが1月4日で、1日で客2人・売上1500円。5日は0円、6日は2000円。およそ50年まえの、生の古本屋の売上記録が出てきます。
それが昭和53年/1978年には初日の売上2000円、昭和54年/1979年は4000円、昭和61年/1986年300円、昭和62年/1987年0円、平成3年/1991年200円(他に店内で100円を拾う)……
何年たっても、何十年たっても一向に変わらないこの感じ。ああ、耽美といえば耽美です。
そして最後は、このエッセイが書かれた平成5年/1993年1月、この年は他とは違って元日に店を開けたらしいんですが、
「むろん日記のような情けない稼ぎが、一年中続くわけではない。正月の四日だから、特別だともいえる。(引用者中略)今年もなんとか命をながらえることができるかどうか、それは日記で見る通り、年頭の口あけで決まるのである。美人の高校生の年は、よいことが連続したのである。売上げゼロの年は、やはり衰運であった。
今年は? 冗談じゃない。いつのまにか、もう午後も六時すぎではないか。往来には人通りもなければ、車も走っていない。」(『思い出そっくり』所収「売上ゼロ」より)
要するに売上0円。今年も苦しい商売になりそうだ、と匂わせているわけです。
けっきょくその直後に、出久根さんは直木賞を受賞。なんだかんだと忙しさが押し寄せ、しばらく「芳雅堂」を休店せざるを得なくなりました。
それを「衰運」と言っていいのかどうなのか。見方はそれぞれ違うでしょうけど、「古本屋を長くつづけること」が成功ととらえれば、直木賞の受賞はとてつもなく邪魔くそな凶事でしかなく、大きなマイナスです。年頭初日の売上でその年の営業を占うという意味では、この年も当たった、ということなんでしょう。
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