直木賞をとる直前、翻訳で年間1500万円超、その他を含めて年収3000万円を稼いでいた常盤新平。
日本が高度経済成長の大波に乗ったとき。直木賞も急に大きな顔をしはじめます。
直木賞にかぎりません。出版全体が上げ潮です。あらゆる分野の出版がどどーっと成長して、一気におカネまみれになりました。そのなかに翻訳出版も含まれます。
いや、ほんとうに含まれるのかどうか。テキトーに言っているだけなので、テキトーに読み流してください。
常盤新平さんは、戦後の復興が進む昭和25年/1950年に、早稲田入学のために東北から上京してきた人ですが、みずからの人生(とくに翻訳人生)と経済成長の時期がちょうど重なっています。昭和30年前後、大学から大学院に進むころには、中田耕治さんから下訳の仕事をポロポロもらって、翻訳=おカネの業界に足を踏み入れると、昭和34年/1959年に早川書房に入って、昭和44年/1969年に退社。その後も翻訳家としての仕事を長くつづけますが、趣味としてやっていたのではなく(当たり前か)、仕事の対価としておカネをもらうプロの翻訳家でした。
その後に小説を書き始めて、昭和62年/1987年1月に第96回直木賞(昭和61年/1986年・下半期)を受賞。対象となった『遠いアメリカ』も内容からして、常盤さんの翻訳人生なくしては生まれることのなかった小説です。ということで、常盤さんと直木賞、というハナシになれば、昭和20年代から昭和30年代以降、元気におカネにまみれていた時代のハナシは欠かせません。
それで、また今週も『週刊文春』の語りおろし連載「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」を参照させてもらいます。
常盤さんが『遠いアメリカ』を刊行したのはバブルまっただ中で、この連載も好評裡に続行中。まだ第96回直木賞の選考が行われる前、昭和61年/1986年の年末に、常盤さんのインタビュー記事が載りました。とらせたい(というか、とってもおかしくない)という文春の人たちの気合が、ぷんぷん匂ってきます。
それによると、はじめて翻訳の下訳をやったのが、大学4年生のとき。昭和28年/1953年のことです。ミッキー・スピレイン『裁くのは俺だ』の最初の部分、そこの下訳を100枚ばかり担当して、もらったおカネは5000円。いまなら小遣い程度の額面ですけど、当時の5000円といったらけっこうなもので、大卒初任給の半分ぐらいに当たった、ということです。
昭和34年/1959年に早川入社のときの、常盤さんの初任給は1万3500円。直木賞のほうはまだ賞金が10万円だった時代です。先週とりあげた出久根達郎さんも、奇しくも同じ時期にはじめての給料をもらっていますが、そちらは住み込みで3000円の月給だったといいますから、常盤さんはエリートもエリート、といったところでしょう。
出版業界でも、このころには「推理小説ブーム」ってやつが定着しはじめ、直木賞ですら多岐川恭さんだの戸板康二さんだの黒岩重吾さんだのにぞくぞくと受賞させはじめます。そちらの方面に熱を入れていた早川書房は、内情はケチだの何だのと言われたりしますが、それはそれ、とりあえず常盤さんは人並みぐらいの給料はもらっていたようです。
そこから、翻訳だけじゃなく自分でも文章が書けることにめざめ、社外のお仕事もどんどんやるようになって、ついにはそちらのほうが収入面で上回るように。昭和44年/1969年に退社して、翻訳家・文筆家として一本立ちします。
この記事の書かれた昭和61年/1986年の前の年の、常盤さんの収入が、おおよそですが紹介されているので引いておきましょう。年収は約3000万円。けっこうな稼ぎです。翻訳での収入はそのうち半分ぐらいで、残りは雑文・エッセイ、小説の原稿料や、講演、翻訳学校講師料とのこと。年齢は55歳、まあ、これだけおカネを稼げていたのなら、成功者と言っていいんじゃないでしょうか。
常盤さんいわく、
「正直いいますと、翻訳をやってたほうが儲かるんじゃないかと思います。本当は、雑文も書かないで、翻訳に専念したほうが経済的にはいいんじゃないかと思いますけど、昔、人の悪い、ある老編集者に、「翻訳ばっかりやってると、バカになるよ」なんていわれた。ですから、結局、小説まで行き着いてしまったわけです。」(『週刊文春』昭和61年/1986年12月25日号「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ 小説を書くのは心細いし、儲からないが、翻訳ばかりじゃ馬鹿になると言われて」より ―取材・構成:小林靖彦)
仕事はカネのためにするわけじゃない、ということでしょうか。翻訳だけやっていれば、また別の(金銭的な)成功もあったでしょうが、たいしてカネにならない小説のほうにシフトした……。常盤さんらしい選択だと思います。
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