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2022年9月 4日 (日)

山口洋子、受賞当時のひと月の出費は50万円くらい。

 直木賞は、それをとりまくすべてのことが面白いです。言うまでもありません。

 そして、とくに面白いのは、直木賞がメディアでどのように取り上げられてきたか、その変遷や詳細をたどっていくこと。これもまた言うまでもない……とはさすがに言い切れませんが、ワタクシの体感的には、自然の摂理です。

 たとえば、直木賞をやっている文藝春秋には、いくつか定期刊行物があります。『オール讀物』『文藝春秋』『別冊文藝春秋』、そして『週刊文春』。『オール讀物』はもちろんですが、その他の雑誌でも「直木賞はこんなにすごいんだぞ」という前提の記事を、あの手この手でつくってきました。それぞれの編集部が、それぞれの特色のなかで、どうやって自社の事業を宣伝するか。いや、宣伝していないように見せながら読者の気を引くか。悪戦苦闘の歴史があります。

 なかでも、一般大衆に興味をもってもらえるような切り口を、常に考えつづけてきたのが『週刊文春』です。

 週刊誌をわざわざ買って読むような人は、たいてい政治ネタか芸能ネタが大好きです。他人の失敗とか、隠しておきたい恥部とかを、何百円ものおカネを払って読みたがる人がいる。そういうイカレた読者たちに『週刊文春』も支えられています。

 まあ、イカレているかどうかは別として、少なくとも週刊誌の読者は、直木賞そのものにはあんまり興味がありません。そういう人たちの目を、どうやって直木賞に向けてもらうか。編集サイドはいろいろと企画を立てて紹介してきました。

 そのなかで出てきたのがおカネのことです。直木賞の受賞者に、これまでどれだけおカネに苦労したり、翻弄されたりしてきたのかを語ってもらう。これなら、おカネ大好きゴシップ厨たちも興味をもってくれるんじゃないか。

 ということで、『週刊文春』は昭和の終わりから平成にかけて「語りおろし連載 行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」(昭和60年/1985年8月1日号~平成3年/1991年8月29日号、全300回)という企画を毎週載せていました。その連載に、直木賞が決まった頃になると、ほとんど毎回だれかひとり受賞者が登場、自身の人生とそれにまつわるおカネの話題を語っていたわけです。

 この連載に登場する受賞者が、圧倒的に直木賞のほうばかりで、芥川賞の人に声がかかることはまずなかった……というのもワタクシの好きな点です。おカネといえば(芥川賞じゃなく)直木賞でしょ、とそういうイメージが『週刊文春』編集部のなかにあったのかもしれません。

 昭和60年/1985年、この連載がスタートした年に、さっそく登場した直木賞受賞者が山口洋子さんでした。第93回(昭和60年/1985年・上半期)の受賞決定が7月18日。それから5か月の年末に、「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」第20回の人物として山口さんがインタビューを受けています。取材・構成は坂元茂美さんです。

「平均したら、ひと月に遣うおカネというのは、大雑把ですけれども、二、三十万円から七、八十万円の間……そんなに遣わないかな、五十万円くらいかな。」(『週刊文春』昭和60年/1985年12月19日号「直木賞作家、銀座マダム、作詞家の三本立て才女は少女時代に競輪で人生勉強を」より)

 この当時の直木賞の賞金は50万円でした。その時代に、月に50万円ぐらいを使う生活を送っている、というのは、とうてい庶民の暮らしじゃありません。

 東京・目黒に敷地200坪の自宅を構える。作詞の印税は入る、銀座のバー「姫」を経営する。とはいっても、「姫」のほうはカネ勘定はまるでノータッチで、直木賞をとった頃にはお店に出るわけでもなく、とくべつウハウハ儲けていたわけじゃないそうですが、それでも銀座にある、女の子がいる、有名著名人の集まる飲み屋なんていうのは、いかにもザ・マネー社会の象徴です。

 山口さんが直木賞をとった決定発表の『オール讀物』は、その翌月の昭和60年/1985年11月号を「直木賞五十周年記念特大号」と銘打ち、歴代受賞者たちの小説、エッセイ、読み物を載せました。ここで山口さんは、野坂昭如さんと対談しているんですが、1960年代以降の銀座のバーの料金水準に、なんとなく触れられています。

 野坂さんが、「姫」の商売がたき、東銀座の「ゴードン」に通いはじめたのが昭和38年/1963年。1日おきくらいで友人を連れていって酒を飲んで、1年間にツケた感情は全部で18万円。ぜったいに「姫」には行くな、という「ゴードン」のママの引き止め料のような意味合いで、こんなに安かったんじゃないか、ということらしいです。じっさいに野坂さんが「姫」に行き出したら、「ゴードン」からの請求は、1ト月で80万円になった、といいます。

 このあたりは、どんなレベルの作家にどのくらいを請求するか、考慮しながら客と付き合っていく、文壇バーと呼ばれるお店の経営のしかたがあるんだと思います。そういう方面から文壇やら出版界隈を調べた研究書が、すでにあったような気がしますが、ともかくも日本経済が右肩で上がっていく時代の最後が、1980年代から90年代に訪れます。そのタイミングで、銀座のママでならした山口さんが受賞したというのも、直木賞の歴史にはちょうどぴったり。……と言っていいのか、よくわかりませんけど、週刊誌で、直木賞×おカネのことを取り上げるには、やはりしっくりする受賞者だった、とは思います。

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