会社のトップだった森田誠吾、印税も賞金も、年収2000万円の税金の支払いに消えてゆく。
出版業界は、だいたいカネまみれです。
最近、大きな出版社のトップの人がワイロを贈ったとかどうだとかで、汚いおカネのハナシが出てきていますが、ジャーナリストのみなさん、どうか頑張って出版業界とカネの闇を暴いてやってください。
とまあ、それはともかく、直木賞も商業出版の一部ですから、当然おカネとは無縁じゃありません。そのうち、どこかの候補者が選考委員のだれかにワイロを渡していた……みたいなハナシが、ジャーナリストの手であぶり出されたら面白いんですが、世のなか、そう面白いことは起きません。しかたがないので、今週もまた、昔の直木賞のことをほじり返して、ひまをつぶしたいと思います。
出版(に関係する)企業のトップで、直木賞と関係する人といえば、この人のことが思い浮かびます。森田誠吾さんです。
実家は東京・銀座に店を構えた、印刷・製版の会社「精美堂」です。さかのぼると江戸末期、浮世絵の彫り師だった父親が、明治になってなりわいを変え、新聞の挿絵などをつくる木版業に転身し、それがめぐりめぐって堀野精美堂となります。
若いころの森田さんは、演劇のほうにドはまりし、ほとんど家から勘当されて、貧乏な演劇青年として育ちますが、もつべきものはカネの太い実家、といいますか、戦後、店をたてなおすに当たっておまえも手伝え、と引き戻されます。昭和25年/1950年、25歳のときに精美堂に入って、社長の兄を補佐しながら森田さんが店を法人化。専務として長年、兄貴を支えました。
直木賞を受賞したのが昭和61年/1986年で、60歳のときです。肩書は精美堂の取締役社長。年商が22億円の会社のトップに座り、年収は2000万円。月給に換算すると170万円弱です。一流の大企業、とまでは言えないかもしませんけど、堅調な中小企業の社長として、けっこうな額が手もとに入るご身分でした。
今回もまた『週刊文春』の記事から引いてみます。
「今度の本(引用者注:直木賞を受賞した『魚河岸ものがたり』)も、第一作と同様、初版七千部ですけれども、五万部の増刷が決まっています。私は、会社の給料が年収二千万円近うございますので、税金で三分の一以上もっていかれますし、本が増刷になりましても、副賞の五十万円をいただきましても、とにかく、税金でたくさん持っていかれちゃうわけでして、ですから、あんまり、貯金というのはございませんのです。」(『週刊文春』昭和61年/1986年2月6日号「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ 新直木賞作家は年商22億の製版会社社長、「原稿料だけだったら生活保護ですよ」より、取材・構成:坂元茂美)
どういうことでしょうか。
『魚河岸ものがたり』は定価が1200円。印税が1割の120円だったとすると、5万7000部で684万円になります。
直木賞の賞金は50万円。いずれにしても、本業の年収には、まったく及びません。
そんなものをもらっても、けっきょくは、そちらの取得税等を支払うために消費される程度の雑収入だ……ということなんでしょう。
ただ、わざわざ「貯金というのはございませんのです」というところに落とし込んでいるのを見ると、会社社長といってもみなさんが思うような景気のいい人間じゃありませんよ、私は、と防御線を張っているのかもしれません。豊かな人間がかもしだす余裕の謙虚。この人もまた、セコセコと生活費を稼いではきゅうきゅうしている人間とは、ちょっと違う世界に住む直木賞受賞者だったのだろうと思います。
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