2500万円の借金を5年で返している最中の佐藤愛子に、贈られた20万円。
直木賞と借金はよく似合う。……というのは、もはや手垢のついた常套句です。でもそれを言い出すと、直木賞そのものが、いまでは手垢のついたシロモノでしょう。気にしないで先に進みます。
なぜ直木賞と借金がセットになるのかといえば、それはもちろん直木三十五さんという人がいたからです。
人からどんどんカネを借りる。しかし返す約束は打ち棄てる。借金取りが家にきても、ずっと無言で座っているだけ。そのうち相手がしびれを切らして帰っちゃう、なんてハナシがゴロゴロしています。要は多額の借金を抱えたというよりも、借りたカネを返さないというエピソードで面白がられた、とんでもなくイカれた野郎なんですが、とにかく直木さんといえば、カネ、カネ、カネのハナシが欠かせません。
直木賞が、金儲けに成功したキンキラの財産家のことよりも、貧乏でカネに困った人のことを書いたほうが受賞しやすいのは、そういうところに原因があるわけです(って、そんなわきゃないです)。とにかくそういう借金まみれのハナシを小説で書き、直木賞をとった人というと、まず名前の挙がるのがこの人。佐藤愛子さんです。
当時結婚していた田畑麦彦さんのやっていた事業が、昭和42年/1967年に倒産。多くの借金を抱えます。佐藤さんにも、そのうちの一部が背にのしかかり、ほうぼうにおカネを返さなきゃなりません。その頃までに、佐藤さんはジュニア雑誌や中間小説誌につながりができていて、原稿をおカネに代える手段をもっていました。小説やら、エッセイやら、おカネになる仕事をどんどん引き受ける。収入は借金返済に当てられる。と、そんな生活を続けていたときに、第61回直木賞を受賞します。昭和44年/1969年夏のことです。
よっしゃあ、これでカネまわりがよくなるぜい、借金も返せるぞ。とガッツポーズを決めないところが佐藤さんのイイところでしょう。いや、おそらくそこで大はしゃぎを爆発させるような受賞者は、直木賞の歴史のなかにはいないかもしれません。佐藤さんの場合も、むしろまわりの人のほうが、直木賞=おカネの皮算用をすぐに意識したようです。
受賞決定の報を聞いたとき、佐藤さんのそばにいたのが、入院中の川上宗薫さんです。その病室でのやりとりを、佐藤さんが受賞後のエッセイに書いています。
「「直木賞が佐藤さんと決定しましたが、お受けいただけますか」
と文春の人が急に改まっていった。
「は、はい、あのう……はい、やむをえま……」
と思わずいいかけて慌てて口をつぐんだ。文春の人は苦笑いをして部屋を出て行った。電話で私の返事を伝えるためである。私は呆然としてベッドの上の宗薫氏を見た。
「どうしよう。川上さん」
「いいじゃないか、貧乏しとるんだから、これから稼げるぞ」
と何やらドサまわりの一座の座長のような顔つきである。」(『文藝春秋』昭和44年/1969年10月号 佐藤愛子「直木賞がくれたラブレター」より)
……ということなんですが、このブログで具体性のないことばかり言っていてもラチが明きません。金額のハナシに移ります。
佐藤さんがとったとき、直木賞の賞金は20万円でした。むろん、全額を返済に当てたそうですが、まったく足りません。
そもそも田畑さんが倒産して残った借金は総額2億4000万円だったそうです。いやはや、まるでケタが違います。
そのうち、債権者たちと交渉したり折り合いをつけたりして、妻の佐藤さんが負った分が、約10分の1の2500万円。文献によると2400万円とするものもありますが、いずれにしても、これを個人で返すのです。正直、かなり浮世離れした世界です。
前年の昭和43年/1968年、一年間で佐藤さんが返した借金は、だいたい500万円ぐらいだった、といいます(『週刊文春』昭和44年/1969年8月4日号)。50年以上まえの500万円といえば、いや、いまでもそうですけど、けっこうエゲツない金額です。直木賞をとろうがとるまいが、死にもの狂いで働ければ、年間でこのぐらいを返すことができていた、というのは、そりゃもう相当な高額所得者だった、と言わざるを得ません。
べつに直木賞をとったから借金を返せたわけではなく、賞の動向なんか関係ないところで、佐藤さんは2000ン百万を5年がかりで返す計画を立てていました。直木賞をとって、原稿の注文や講演会の依頼も急増。返済計画も順調に進んだでしょう。
そういう意味では、佐藤さんが受賞できてよかったとは思うんですけど、そもそも賞金の20万円が一瞬で消え去るような、嵐のなかの出版業界。貧困家庭がどうのこうのとか、寝る場所にも食うものにも困る貧乏人とか、そういう世界とはまったく違います。佐藤さんの受賞に、鼻白んだ感がただよっているのも、また事実です。
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