金沢から東京に出てくる五木寛之、滞在費として月10万円を使う。
先週は野坂昭如さんを取り上げましたが、そうなると、やはりこの人のことも気になります。五木寛之さんです。
五木さんが直木賞を受賞したのが第56回(昭和41年/1966年・下半期)、野坂さんは1年後の第58回(昭和42年/1967年・下半期)。いずれも、もともと放送業界にいた人で、受賞はだいたい30代なかばごろ。このころ出版界は膨張しつづけ、とくに読物雑誌や週刊誌といったそこら辺りがうねりを上げて量を増していましたが、そんな経済成長の時代を代表する、直木賞からうまれた二大スターです。
野坂さんに比べて、五木さんはベストセラーも多く、たくさんの人に読まれてきました。いまのジイさん・バアさんたちにとっては、自分の生きてきた時代の文壇アイドルとして、強い親近感があるのでしょう。そのうち没後がやってきて、そんなの知らない世代が大半になったとき、果たして五木さんの残した膨大な著作の、どれだけが読まれるのか。はたまた時代の寵児として消えていくのか。正直、心許ないものがありますが、まあ未来のハナシはよくわかりません。
ともかく五木さんが直木賞をとった当時のことです。いまから55年まえの昭和42年/1967年1月、賞金は10万円でした。
野坂さんと同様、五木さんも、そんな金額はとっくのとうに自分で稼げていたレベルです。昭和39年/1964年4月、三木鶏郎さんの、冗談工房・音楽工房・テレビ工房が解散。五木さんも、そこのメンバーとして業界に知れ渡る働きをしていました。しかし、あまりに多忙で心のゆとりが持てなくなり、これではまずいと一念発起。ソビエト・ヨーロッパ旅行に出かけます。32、33歳ごろのことです。
植田康夫さんの『現代マスコミ・スター 時代に挑戦する6人の男』(昭和43年/1968年12月・文研出版刊)によると、この当時の五木さんの月収は、30万円ぐらい。旅行費として25万円を工面した、といいます。一般的な感覚からすれば、とんでもない稼ぎ人です。
五木さんは受賞から10年ほどで選考委員として指名され、第79回(昭和53年/1978年・上半期)から選考に参加、毎回カッコいい(というか、いささかカッコつけた)選評を書くようになりますが、第85回(昭和56年/1981年・上半期)に放送作家で国会議員の青島幸男さんが受賞したとき、こんなことを記しています。
「その性愚屈(直にあらず)にして幸運の星にもめぐまれず、文筆の道ただ一つに夢を托する者たちには、小説という世界はもはや遠いエスタブリッシュメントになってしまったのだろうか。青島氏の堂々の受賞に拍手をおくりつつも、一方でそんな感慨をおさえきれず、臨席の水上勉氏に「もう中退生や落伍者の時代じゃなくなったんですね」ともらしたら、水上委員は「つらいことやね」と微笑してうなずかれた。」(『オール讀物』昭和56年/1981年10月号、五木寛之「「この一作」の場で」より)
いやいや、あんたが受賞した時も似たようなものだったじゃないか、と思わずツッコミを入れた文学青年(文学中年)が続出したとか、しなかったとか。ともかく五木さんが、小説家になるまえから、己の才ひとつでおカネを稼ぐ「幸運の星」にめぐまれた人だったのは、間違いないでしょう。
直木賞の受賞で燦然と脚光を浴び、いたるところから原稿の注文(あるいはその風貌を芸能人よろしく撮影される仕事)が殺到。なるべくそういうものは断らないのが、五木さんの主義でもあったので、一気に多忙の嵐が巻き起こります。当然、入ってくるおカネは増えますし、出ていくおカネもブルジョアジー。カネをうならす作家、五木寛之さんの誕生です。
当時、まだ五木さんは金沢に住んでいましたが、打ち合わせとか取材のために、月に一度、10日ほどの日程で上京。ホテル暮らしをします。シングルの部屋が空いていないと、やむなくツインの部屋に泊まることになって、一泊およそ6000円。10日止まれば6万円。
「正直な話、東京にでてくると航空料金、滞在費などで、すくなくとも月十万円はスッとびます。マンションを借りたらという人もいるが、これは金銭の問題じゃないなあ、」(『週刊文春』昭和42年/1967年8月28日号「五木寛之と一週間」より)
だそうです。カネにがめつい守銭奴、みたいな印象はいっさい見せません。さらっと儲けて、さらっと使う。直木賞の賞金も、さらっと泡のように経済の循環のなかに消えていったことでしょう。さすがは高度経済成長時代の申し子、といった感じです。
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