第100回の贈呈式でいきなり「今回から賞金が倍額になります」と発表。
ときどき「昔の直木賞は……」みたいな表現を聞きます。創設から87年。「昔の直木賞」はネタの宝庫で、語ることはいくらでも存在します。だけど、直木賞の「昔」と「今」ってどこに境界線があるのか。これがよくわかりません。
ワタクシ自身がけっこうなおじさんですし、普段、小説のことをしゃべるのもジイちゃんバアちゃんばかりです。なので「昔」というと、昭和50年代ごろ、第80回ぐらいより前をイメージしてしまいますが、次の直木賞は第167回(令和4年/2022年上半期)です。そうなると、歴史を2つに分けて後半のすべてが「今」ということになってしまう。やはり変です。
「今の直木賞」と言った場合、ふつうに考えれば最近10年ぐらい、長くても20年ぐらいの、いわば21世紀に入ってからの動向なり傾向が対象になるのかな、と思います。
としてみたとき、今の直木賞を表わすぴったりの言葉があります。「停滞」です。
いや、直木賞だけじゃなく、今の商業出版界そのものがそうだ、と言ったほうがいいですね。停滞というより凋落というべきなのかもしれませんが、明るい光はみえず、とりあえず現状を維持するのにせいいっぱい。商業出版と直木賞、いずれも共通しています。
暗いことを言っていても仕方ありません。ハナシを戻して、直木賞にまつわるお金についてです。停滞ぶりをよく示しているのが直木賞の賞金です。
500円でスタートした賞金は、第21回(戦後~昭和24年/1949年・上半期)に5万円になります。100倍。新円切り替えの影響です。その後は、経済復興および経済成長の波に乗って10万円、20万円、30万円、50万円まで順調に上がっていきます。
50万円だったのは10年間。第80回(昭和53年/1978年・下半期)から第99回(昭和63年/1988年・上半期)で、昭和の最後のほうです。日本人は優秀だ、よおしこのまま日本が天下をとるんだ、と鼻息を荒くした人たちが社会全般にのさばっていたという、いまから考えると気色の悪い時代ですけど、よそに高額賞金を謳う文学賞がぞくぞくと生まれるバブル経済に突入して、直木賞も賞金をさらに倍に増やしました。第100回(平成1年/1989年・上半期)から、受賞者ひとりにつき100万円がもらるようになります。ちなみに直木賞は賞金が課税対象なので、手もとに残る額はもう少し少ないはずです。
以来、平成が31年。年号が変わって令和。「今の直木賞」にいたるまで、ずーっと賞金は同じです。停滞と言わずして何というんでしょう。
いまさら賞金が増額されることがあり得るのか。外国の文学賞みたいにネーミングライツ的なスポンサー制を導入すれば、その時代に調子のいい金持ち企業が、きっとポーンと出してくれるでしょう。まじで続けられなくなるまで文藝春秋の体力がなくなったら、そんな新しい直木賞が見られるかもしれませんね。心待ちにしています。
それはともかく34年前、賞金がアップしたときは、かなり行き当たりばったりのノリに近いものがあったようです。
というのも、選考会のときや選評発表の『オール讀物』3月号が校了するまでは、前回と同額のはずだったのに、平成1年/1989年2月13日、贈呈式の場でいきなり「今回から賞金を100万円にする!」と発表されたからです。
「田中健吾・文芸春秋社長によると、倍増決定は「先週の役員会」。従来額は当世いかにも安いし、百回の節目も考えてという。」(『毎日新聞』平成1年/1989年2月14日「芥川・直木賞の副賞百万円にアップ」より)
その前年から始まった新潮社の山本周五郎賞と三島由紀夫賞は、はじめから賞金100万円でやっています。それに引きずられたところもあったかと推測しますが、別に次の第101回からでもいいのに「100回記念で盛り上げているところだし、今回からやっちまえ」と、急きょこぶしを振り上げました。30数年の、出版業界を覆っていた景気のよさがもたらした勢いとノリだったんだろうな、と思われます。
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