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2022年7月17日 (日)

第167回(令和4年/2022年上半期)の直木賞候補作も、全部、カネがらみです。

 世の中はすべておカネです。

 直木賞もまた、人と人とのあいだでおカネが動く経済活動の一つにすぎません。去る6月17日、第167回(令和4年/2022年・上半期)の候補作が発表されましたが、それをきっかけにすでに多くのおカネが動いています。今週7月20日(水)、選考会が行われて受賞作が決定すれば、もっと多額のおカネが全国各地でやりとりされるでしょう。世の中おカネです。

 ということで、直木賞を語るならおカネのハナシは欠かせません。そのひとつに、主催者から受賞者に渡される「賞金」というものがあり、最近うちのブログではそのことを調べたりしているんですが、いやいや、それよりもっと我々に身近な経済問題が、直木賞にはひそんでいるじゃないですか。

 読者が支払う本の代金です。

 第1回(昭和10年/1935年・上半期)の創成期から事情は同じです。直木賞の受賞作を読みたい人は、基本的にはおカネを払わないと読むことができない、という前提のもとに、この賞は何十年もやってきました。図書館で借りりゃあタダで読めるじゃん、とひらき直る人もいるでしょう。だけど、図書館で読む受賞作だって、あれも図書館がおカネを払って買った商品です。仮に内容がクソみたいな受賞作でも、0円ということはありません。

 直木賞の賞金がどういうふうに推移してきたのか、それは先週取り上げました。じゃあ、直木賞の受賞作(単行本として受賞したものだけじゃなく、受賞作を含む本として発売されたものを含む、いわゆる「受賞本」)は、どのくらいの定価で市場に売り出されてきたのか。その歴史のほうも振り返ってみたいと思います。

20220717graph

 まずは戦前・戦中です。第1回(昭和19年/1944年・下半期)~第20回(昭和19年/1944年・下半期)までの時期に当たります。

 直木賞の賞金は500円でしたが、川口松太郎さんの『鶴八鶴次郎』(新英社)は一冊1円60銭、『明治一代女』(「風流深川唄」所収、新小説社)は2円。この時期に最も安かった受賞本は、井伏鱒二さんの『ジョン万次郎漂流記』(河出書房)の50銭、高かったのは神崎武雄さんの『寛容』(大川屋書店)の2円10銭です。

 それだけだと高いのか安いのか感覚がつかめません。比較のために、一冊単価を当時の賞金と比べてみますと、本1に対して賞金200倍~300倍ぐらいが、おおよその基準でした(上のグラフでいうとオレンジ色の折れ線)。

 戦後になって賞金は5万円になりますが、一冊単価との倍率はほぼ変わりません。それが第32回(昭和29年/1954年・下半期)に賞金10万円に倍増されたところから、一気に賞金の価値も上がります。単行本の値段は、戦後から昭和36年/1961年ごろまで、ほぼ1冊200円から300円だったのに、賞金だけが上がったわけです。文藝春秋新社が太っ腹だったのか、あるいは相対的に本の値段が安かったのか。よくわかりません。

 そして日本に経済成長が訪れます。本の価格も1960年代から上昇の一途。グラフでは、第41回から第100回ぐらいのあたりです。

 たとえば文藝春秋新社(および文藝春秋)に限定して追ってみても、昭和34年/1959年城山三郎さんの『総会屋錦城』が260円だったところから、昭和40年/1965年安西篤子さん『張少子の話』360円、昭和44年/1969年陳舜臣さん『青玉獅子香炉』430円、昭和48年/1973年藤沢周平さん『暗殺の年輪』680円、昭和53年/1978年色川武大さん『離婚』750円。そのころには一冊1000円を超す法外な(?)受賞本も現われはじめ、昭和58年/1983年胡桃沢耕史さん『黒パン俘虜記』1200円、昭和63年/1988年西木正明さん『凍れる瞳』1400円……。およそ30年のあいだに本の価格水準は、6倍近くハネ上がりました。

 直木賞の賞金が、いまと同じ100万円になったのは、30数年まえの第100回(昭和63年/1988年・下半期)です。このときの受賞本は、藤堂志津子さん『熟れてゆく夏』(文藝春秋)が980円、杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社)が1300円

 一冊単価と賞金の比較倍率は1対1020倍、ないし1対769倍。ここで直木賞のてっぺんを叩いた、と言っていいでしょう。

 その後の30年はいわゆる停滞です。本の値段はおよそ2倍になった、だけど賞金は据え置き、という推移が続いています。1000円台の前半が普通だったものが、平成3年/1991年宮城谷昌光さん『夏姫春秋』1500円(上下巻とも)で1500の壁を突破、平成8年/1996年には坂東眞砂子さん『山妣』がついに2000円の扉を開きます。

 以降、現在までの受賞本は、価格帯がほぼ変わりません。安いときは1400円、高けりゃ2000円。これが賞金100万円時代の直木賞の基本形です。

 ちなみにこの間、1400円を割る受賞本は、第131回、平成16年/2004年の奥田英朗さん『空中ブランコ』(文藝春秋)1238円+税5%=1300円を最後に出ていません。

 逆に高いほうは、少しずつ伸びてきています。消費税率のアップもありましたし、読みたい人が受賞作に支払う額は、もはや2000円近くが当たり前になっています。

 そんななか、ちょうど一年前の第165回で、佐藤究さん『テスカトリポカ』(KADOKAWA)が2100円+税10%=2310円と、直木賞受賞本の単冊での最高価格を叩き出しました。

 薄くて軽いものより、厚くて重いものが直木賞っぽい、とされる風潮が、この賞には根強く残っています。今後、2500、3000と伸びていくのかもしれません。そんなおカネを出してまで小説を読みたい人がどれだけいるっていうんだ……の世界です。

           ○

 と、歴史を見てきましたが、今回の直木賞候補作はどうなんでしょう。本の価格順に並べると、こんな感じになります。

『絞め殺しの樹』(河﨑秋子、小学館):2000円+税10%=2200円

『爆弾』(呉勝浩、講談社):1800円+税10%=1980円

『女人入眼』(永井紗耶子、中央公論新社):1700円+税10%=1870円

『スタッフロール』(深緑野分、文藝春秋):1700円+税10%=1870円

『夜に星を放つ』(窪美澄、文藝春秋):1400円+税10%=1540円

 現状の価格水準から見ると、1700~1900あたりが高すぎず安すぎず、収まりとしてはちょうどいいです。直木賞は、複数の人間の合議で決まる賞でもあります。そういう場では、中庸でちょうどいいものが、よく選ばれやすいです。

 ともかくも、7月20日(水)、受賞作が決まったところからおカネがビュンビュン動きます。こちらの財布からは減るだけで、多くの人は儲かりませんけど、それで一部の誰かたちはおカネをゲットするんでしょう。直木賞は商業出版で成り立っていますから、それはそれで、文句を言う筋合いはありません。

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コメント

こんにちは。初めて書き込みをします。『消えた直木賞』『直木賞物語』など、著書をいつも拝読しております。

2007年、第137回直木賞の候補作となった『俳風三麗花』(三田完、文藝春秋)は税込2,300円(当時)と、直木賞候補作にしてはやけに高いなぁと、価格の高さが印象に残っています。

把握している範囲で、今まで最も高額の直木賞候補作が分かりましたら、お教えいただけないでしょうか。

投稿: S.O. | 2022年7月18日 (月) 15時48分

S.O.さん

コメントいただき、ありがとうございます。

受賞作のことは調べたのに候補作を無視してしまった、このエントリーの手抜きが露呈してしまいましたね。
お恥かしいかぎりです……。

そうか、候補作を調べる手もあったか! と、そちらの表示価格もあわてて調べてみました。
あくまでワタクシのわかる範囲でのことなので、間違っていたらご容赦ください。

第75回(昭和51年/1976年・上半期)の小田原金一『北辺の嵐』(津軽書房)が最も高額だったかもしれません。
定価2800円です。

2000円超のものは、教えていただいた『俳風三麗花』とか、
平成9年/1997年の『風車祭』税込2600円、平成11年/1999年の『亡国のイージス』税込2415円……とかがあったようですが、
昭和51年/1976年で2800円というのは、ちょっと異常ですね。

今後、これを超える候補作が出てくるのか。注目してみたいと思います。

投稿: P.L.B. | 2022年7月19日 (火) 00時46分

P.L.B.さん

さっそくお教えいただき、ありがとうございます!

単行本価格、賞金倍率の推移表、本当に面白く、また考えさせられる分析でした。いかに書籍の値段が上がり、それに対して賞金が上がっていないのかがよく分かり、近年の、物価だけ上がる低成長日本を象徴するような結果でした。

このような手間のかかる分析の上、さらにお調べいただき、本当に恐縮です。

紙書籍離れの進む昨今、書籍の値段は非常に上がるのが早いイメージがありますので、やはり最近の作品の『テスカトリポカ』2310円が最高額かな・・・と思っておりましたが、『北辺の嵐』が昭和51年に2800円というのは、ちょっと驚きの価格ですね。作品自体も、出版社についても興味深いです。津軽書房について、思わず検索で調べてしまいました。

また、『風車祭』『亡国のイージス』が『テスカトリポカ』以上に高い、ということについても、とても興味深く思いました。
投稿したあとで気づきましたが、例えば『永遠の仔』のような上下巻ものは、上下巻合計すると当然これらの価格を超えるわけですので、分冊にするか否かによっても価格は大きく変わってきそうですね。


単なる好奇心からの質問でしたが、詳細にお調べいただき、しかもとても面白い結果で、とても嬉しかったです。ありがとうございました。
これからも、ブログ、ホームページ、ともども愛読してまいります。

投稿: S.O. | 2022年7月19日 (火) 12時42分

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