賞金10万円で、川端康成への借金の一部を返した山口瞳。
現在の直木賞は、賞金が100万円です。高いような安いような。この中途半端な価格設定が、いかにも直木賞がやってきた中途半端さを物語っています。
というのは、いつもどおりの冗談ですけど、直木賞の賞金なんておカネとしてみれば大した価値じゃない、というのは、さかのぼってみてもやはり直木賞の伝統のようです。
山口瞳さんという受賞者がいます。受賞したのが第48回(昭和37年/1962年・下半期)ですから、いまからおよそ60年前。賞金は10万円でした。
ちなみに山口さんの受賞作は、当時の世相をなるべく忠実に映した作品です。「平均的」と呼ばれるサラリーマンたちのお金にまつわるハナシがいろいろ出てきます。いったい当時の10万円とは、どの程度の価値だったんだろう。せっかくので、そこら辺を『江分利満氏の優雅な生活』で見てみます。
東西電機に勤める江分利氏は、本給が3万6000円です。そこに諸手当などがついて、税金などが引かれて、一ト月の手取りが4万円とあります(同書「おもしろい?」より)。
となると、10万円は、基本的なサラリーマン月給の約2か月半の手取り給料とトントンです。
現状、たとえば100万円の40%、40万円を平均世帯の月給だと設定して、庶民生活を描いた小説だ! などと胸を張ったら、さすがにそんな作家は叩かれるでしょう。そう考えると、当時の10万円は、かなり格安な金額だったと言えそうです。
その賞金を山口さんが何に使ったか。これは山口さんもいろんなところで書いている有名なハナシですが、自分の父親が、かつて隣家に住んでいたよしみで川端康成さんから金を借り、その借金がまだ残っていたので、賞金を返済の一部に当てた、ということです。
と、これだけだと10万円の金額感がいまいちわかりません。
『江分利満氏~』は山口さんの実体験が反映された作品で、この借金についても出てきます。作中、市川市に住む社会学者の山内教授というのが、川端さんをモデルにした人物らしいです。
「困ったときの小谷野敦だのみ」で、小谷野さんの『川端康成伝 双面の人』(平成25年/2013年5月・中央公論新社刊)を見てみたところ、やはりこのあたりの事情が、金額とともに書かれていました。山口さんの母親が昭和34年/1959年に大晦日に急死。その直後に、父親はひとりで川端さんの家を訪ねていきます。小谷野さんの記述を引いてみます。
「この時、瞳の父正雄は川端邸を訪れて、葬儀の費用で赤字が出て困っている、本来瞳が来るべきだが本人はショックで口もきけないので代理で来たと言い、母は生命保険に入っていたが、瞳の不手際ですぐに金がおりない、しかしいずれ交付されるからと言って、三十万円を借りたのである。」(小谷野敦・著『川端康成伝 双面の人』「第十三章 『眠れる少女』、「日本の文学」」より)
そのことを後で知った山口さんは、慌てて義弟から5万円を借りて川端さんちに駆けつけます。しかし川端さんの妻、秀子さんはお金を受け取らず、ボーナスが出たときにでも少しずつ返してくれればいい、と言ったのだそうです。
山口さんが寿屋勤務のかたわらで、いろいろと外で雑文書きに励んだのは、一つにはその父親の借金を返すためだった、と山口さん自身の私小説『家族 ファミリー』(昭和58年/1983年4月・文藝春秋刊)に出てきます。その雑文書きのなかに『婦人画報』に昭和36年/1961年10月号から連載した「江分利満氏~」が入っていたわけですから、どこがスタートで何が結果がよくわかりませんけど、直木賞の賞金がけっきょく川端さんのところに行ったのは、筋のとおった循環だったということです。
にしても、10万円があっても、借金が30万円だったのなら、まったく足りません。『家族 ファミリー』の記述によれば、直木賞の受賞時、父の正雄さんは済生会中央病院に入院中で、「父の入院費には、毎月四十万円を要した」などとも書かれています。曲りなりにも子供たちで(というか山口さんひとりで)その費用を賄っていたんですから、山口さんの、父親をめぐる借金話はもはや庶民感覚を越えています。
賞金のすべてが借金返済で飛んでしまった、というのは、直木賞がどうこうより、やはり山口さんが異常だったんでしょう。
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