賞金500円。京橋「アラスカ」で開かれた受賞記念会にいくら使ったのか問題。
直木賞にまつわるお金のこと。とりあえず初回は基本的なところから触れていきたいと思います。第1回(昭和10年/1935年・上半期)の賞金をめぐるエピソードです。
創設されたとき、直木賞の賞金は500円でした。なんで500円なのか。どの程度の価値があったのか。これには、後づけのような理由も含めて、いくつかの背景が伝えられています。最も信憑性が高いのは「このぐらいの金額があれば、一定期間は生活ができるだろう」と考えられていた、ということです。
『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号で、創設が発表されたとき、佐佐木茂索さんがそんなふうなことを書いています。そして主催者の意図を正しく実行できる人が、第1回の芥川賞をとったのも、佐佐木さんたちにとっては幸運でした。石川達三さんです。
回想によると、当時、石川さんは「朝食つき15円」という家賃で、四畳半の部屋に住んでいたらしいです。そのほか、もろもろの金額を含めると、一ト月の生活費はおよそ40円。500円あれば、何も働かなくても12か月(×40円=480円)ぐらいは生活できる換算になります。そのあいだ創作に打ち込んで、1年もやっていけば、カネの稼げる作家になれるよね、そういう人を発掘する文学賞にしたいよね、というのが佐佐木さんたちの思惑でもありました。
そう考えると、石川さんは芥川賞のモデルケースというか、理想的な受賞後の足取りを、まんまと果たしてくれたわけです。500円あげたところで借金の返済で全部使っちゃいそうなダザイ某より、よっぽど芥川賞を上げた甲斐があったでしょう。
とまあ、それは芥川賞のハナシなのでどうでもいいんですが、問題は直木賞です。賞金は同額の500円。それをもらった川口松太郎さんがこれを何に使ったか。有名な逸話ですけど、基本をおろそかにせず、改めておさらいしてきます。
『読売新聞』の連載エッセイ「出世作のころ」に、川口さん自身がくわしく書いています。500円といえば大金ですが、川口さんは別に生活に困っているわけではありませんでした。菊池寛さんも冗談まじりに「きみは賞金は要らんだろ」と言う。たしかに要りません。要らないけれど、せっかくもらうのなら、きちんと記憶に残る使い方がしたい。と、川口さんは考えます。そのあたりがもう、堅気でない芸能の世界にいた人っぽいよなあ、という発想です。
川口さんがよく通っていたレストランに、東京・京橋の宝町、味の素ビル8階にあった「アラスカ」があります。もとは昭和3年/1928年に大阪の北浜で開店した西洋レストランですが、評判がよかったために東京にも進出。「味の素ビル」が竣工したのは昭和7年/1932年6月のことで、その最上階の8階にオープンしたのが京橋の「アラスカ」です。
定食は3円のものから出していたと言います。いまでいうと1万円はしないけど1,000~2,000円ってこともない、多少は値の張るお食事、ってところでしょう。定食1食5,000~6,000円ぐらいの感覚でしょうか。こんな店にちょくちょく通っていた、というのですから、直木賞を受賞するまえから川口さんの生活水準がいかに高かったか、よくわかります。
京橋のアラスカでは、エル・モランデーさんという、イタリア・ミラノから来た人が料理長をしていて、イタリア料理やフランス料理が出されていました。この店にお世話になった人たちを招き、直木賞受賞の記念会をする。というのが川口さんが考えた賞金の使い道です。
メニューはモランデー料理長が考えます。オードブル(フォアグラ、キャビア、ローハム、酢づけの魚類、冷菜など)、オニオン・スープ、海老のコキール、そしてデザートのお菓子とコーヒー。多少、店のほうで負けてくれて1人前4円ほど。参加者は50~60人ぐらい呼んだらしいので、200円以上かかったはずですが、「出世作のころ(44)大成功の記念会」(『読売新聞』昭和43年/1968年4月12日夕刊)によると「チップを含めて百五十円ですんだ。」と書いてあります。30年以上も前のことを思い出して書いているので、まあ、記憶ちがいもあるでしょう。
たとえば、こんな回想もあります。上記よりも10年早く川口さんが語っている記事です。
「三百圓ぐらい使つたかな。(引用者中略)一人、五、六圓の料理だつたな。」(『別冊文藝春秋』61号[昭和32年/1957年12月]、城を築きかけて」)
500円のうち150円で済んだのか300円使ったのか。大きく違います。
しかもこれだけじゃありません。「世話になつた人々を味の素ビルのアラスカへ招待し、全部つかい果し、幾分の足が出たと記憶する。」(『別冊文藝春秋』30号[昭和27年/1952年10月]「時計と賞金」)なんちゅうことまで、川口さんは言っちゃっているんです。こうなると単なる記憶ちがいでは済まないハナシになってきます。
場面に応じて、どんなふうに言えばいちばんウケるか。ディテールを変えて語ってしまうのが小説家だ、といえば、そうなのかもしれません。全部つかい果たしたケース以外、多少のお金は残ったはずですけど、そういう細かい数字もバッサリ捨てて、とにかく「レストランで、みんなに高級洋食をふるまったんだ」という一点に集約させる。これも小説家としての腕が光るエピソードづくりなんでしょう。
けっきょく川口さんが、「アラスカ」での記念会のほかに、賞金を何に使ったのか。そこはもう不明です。
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