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2022年5月 8日 (日)

浦田憲治(日本経済新聞)。直木賞はエンターテインメントの賞だと言われてきた、と言い続ける。

20220508

 文芸記者なら誰しも何らかのかたちで直木賞を支えています。その自覚がある人もいれば、なさそうな人もいますが、客観的に見たら文芸記者は全員、直木賞のしもべです。

 昭和の後期から『日本経済新聞』の文化部で記者をしていた浦田憲治さんも、やっぱりその一人です。

 おそらく興味の中心は純文学にあるんだろうな、と思わせながら、頭のなかの脳髄の底のほうには直木賞の存在がびっしりと繁殖していて、はたから見ると、こういう記者がいたから直木賞は命を長らえてきたんだなあ、と思います。浦田さんの『未完の平成文学史 文芸記者が見た文壇30年』(平成27年/2015年3月・早川書房刊)などは、およそそんなことを印象づける一冊です。

 過去を振り返って直木賞がおもしろいのは、「純文学ではない文学賞」としてずっとやってきたからだ、と言っても過言ではありません。文学賞なのに、純な文学を対象にしない。よく考えると虐げられるべくして生まれたような立ち位置です。そりゃあ、文学だの芸術だのを一等のものだと信じてきちゃった人たちには、こんな文学賞、アホみたいに見えるでしょう。

 『日経』の浦田さんが、直木賞をアホとして扱っていたのか。それはわかりませんが、『未完の平成文学史』の「第十四章 エンターテインメントからの参入」は、文学の芸術性を信奉する文芸記者が、昭和後期以降の出版界の潮流をどう感じていたか、しっかり書き込んだ資料として貴重です。

 たとえば、こんな文章がさらりと出てきます。いまや、こんなこと言っていたら馬鹿にされるような直木賞・芥川賞観でしょうけど、ほんの十数年まえまでは、文芸記者もこんなことを堂々と書いていました。牧歌的なイイ時代に育ったんでしょう、うらやましいことです。

「芥川賞は純文学、直木賞はエンターテインメントとされてきたが、平成に入ってからの受賞者を見ると、バイオレンス小説で売り出した花村萬月が芥川賞を受賞し、私小説に賭けてきた車谷長吉が直木賞を受賞している。文芸誌の中では、「新潮」、「文學界」、「群像」、「すばる」、「文藝」などが純文学で、「小説新潮」、「オール讀物」、「小説現代」、「小説すばる」などがエンターテインメントとされてきたが、直木賞を受賞した高村薫や桐野夏生が「新潮」に小説を発表し始めていて単純な区分けは意味をなさなくなった。」(『未完の平成文学史』より)

 まじかよ、と思います。哀しい気配も漂っています。

 主催者がどう言っているかはともかく、昭和から平成まで直木賞はエンターテインメントに与えられてきたわけじゃありません。もし「直木賞はエンターテインメントに与えられてきた」なんていう一般的な認識ができあがっていたとしたら、それは直木賞を報道してきた文芸ジャーナリズムの責任です。だけど、そこには踏み込まず、すいすいと先に行ってしまう。うーん、ほんとにそうなんだろうか、と文学賞ごときの話題にいちいち立ち止まったりしないのが、文芸記者の流儀なんでしょう。

 浦田さんが文化部で働きはじめる頃までは、直木賞では『文學界』やら『群像』やら、そういった文芸誌からポツポツ候補が選ばれていました。なぜなのか。直木賞の受賞者が、受賞したあとにそういった文芸誌に作品を発表することも普通にありました。なぜなのか。そういうハナシをばっさり端折って、ほら直木賞出のエンタメ作家が純文学に接近しているじゃん、それが平成の新しい文学シーンなのだあ、と言われても、あんまり説得力がありません。

 しかし、文芸記者に説得力など必要でしょうか。答えは否です。

 その時代に生きている作家や評論家や編集者に、じかに話を聞く。自分が体感する文壇の潮流や耳に入ってくる現場の動きを、逃さず知識にする。そういった同時代におこなわれる生身の文学賞やそのかいわいに関しては、取材力のある文芸記者には敬服のひとことです。。浦田さんの輝きも、そこにあります。べつに説得力など、なくたって何の問題もありません。

 直木賞はエンタメ、芥川賞は純文学、という文学賞観は、たしかに昔の文献には腐るほど出てきます。しかし、よくよく見ると、その時代の人たちが、そうじゃないかと感じて語っていた分類にすぎず、両賞の実態に即しているわけではないことは明らかです。

 実態と、一般に言われる印象にはずいぶんと乖離がある、そこに直木賞の背負ってきた哀しみがあります。どうして乖離が生まれたか。ひとくちで言えば、主催の文藝春秋(日本文学振興会)と、両賞を解説したり報じたりしてきた文芸記者たちが共同でつくりあげてきた乖離です。平成27年/2015年に出た浦田さんの『未完の平成文学史』にも、全編にわたってそのことが拭えず刻印されています。その意味で、直木賞史を見るうえでも見逃すことのできない一冊です。

          ○

 浦田憲治。昭和24年/1949年生まれ。慶應義塾大学政治学科を卒業して、昭和47年/1972年に日本経済新聞社に入社します。文化部の所属となった昭和59年/1984年から平成24年/2012年、長く文芸シーンを取材しつづけたのち、63歳で退社。現在フリーで活動中、とのことです。

 学生のときも社会人として活躍していたあいだも、文学を金科玉条のように崇めたてまつっても軽蔑されない、夢のような時代を生きた世代のひとりです。ワタクシみたいな下の世代の人間からすると、正直、鼻白んでしまう部分がたくさんありますが、文学なる幻想を追い求める向きは、世のなかには一定数いるはずです。そういう人たちなら、浦田さんの魅力もきっとわかるんだろうと思います。

 浦田さんと直木賞、といってもそれほどネタがあるわけじゃないので、今週は『未完の平成文学史』のことだけで終わりにしちゃいますが、この本で描かれる「直木賞」は、先にも述べたとおり、けっこう画一的です。直木賞はエンターテインメントを対象にしている(と言われる)賞だ、と繰り返し書いています。この世代に特有の……というより、文芸記者に特有の書き方なのかもしれません。

 本書の最後を、藤沢周平さんのことで締めくくっているところなど、文芸記者としての浦田さんの特徴がよく出ていると思います。一般にはこう言われている、と自分で規定したうえで、だけど近年ではこんな例が出てきた、新しい時代を映している現象なのではないか、と論ずるやり方です。

「この章で宮本輝と藤沢周平の二人の作家を取り上げたのは、純文学とエンターテインメントの区分けがますます怪しくなってきたことを書きたかったからである。一般的に芥川賞作家は純文学作家、直木賞作家はエンターテインメントの作家と呼ばれる。しかし、芥川賞を受賞した田辺聖子、宮本輝、高樹のぶ子などは「オール讀物」や「小説新潮」などのエンターテインメントの雑誌に書いてきたし、直木賞を受賞した井上ひさし、色川武大、田中小実昌も純文学の雑誌に小説を発表してきた。

昭和六十一年、「文學界」八月号が、時代小説の第一人者で、山本周五郎の後継者といわれた藤沢周平の特集を組んだのもボーダーレスの時代を反映したものだ。」(『未完の平成文学史』「第十七章 抒情の文学 宮本輝と藤沢周平」より)

 この文章のおもしろさは、いろいろあると思いますが、とくに挙げるとすれば、やはり「ボーダーレスの時代を反映した」という浦田さんの解説でしょう。藤沢さんの『文學界』の特集って、浦田さんも書いているとおり、昭和61年/1986年なんですよ。どこが「平成文学史」なんだ、というか、昭和ですでにボーダーレスなら平成だってボーダーレス、いったい「ボーダーレスじゃない時代」なんてほんとにあったのか、と疑いたくなるじゃないですか。

 だけど、やっぱり文芸記者たるもの、物わかりのいいところに着地してはメシが食えません。いつだって時代は変わっているのだ、という根拠なき幻想。それがなければ、文芸記者が活躍する場もなくなります。

 時代の変化を語るときに重宝するのが、古くからずっとやっている文学賞です。おそらく、文芸記者としては「直木賞はエンターテインメントの賞だ」としておいたほうが、何かと都合がいいんでしょう。「そもそも直木賞はエンタメ向けの賞ではなかった」なんて言っても、文学の信奉者たちにとっては、あんまり面白くないんでしょうね。しかたありません。

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