大上朝美(朝日新聞)。けっきょく文学賞は「運」に左右されることを確信した記者。
もはや「直木賞×文芸記者」のネタも尽きてきました。書けることがなく、いよいよ困ったので、今週は自分の思い出バナシでお茶を濁したいと思います。安易ですね。すみません。
平成3年/1991年、まだワタクシが直木賞に興味もなく、平穏に過ごしていた頃のことです。『朝日新聞』で連載された筒井康隆さんの「朝のガスパール」を、毎日欠かさずチェックし、また連載途中に出た『電脳筒井線』(平成4年/1992年1月・朝日新聞社刊)などを読んで楽しんでいたんですけど、読み進めるうちに膨大な量の関連情報がまわりを流れていく、というかなり変わったタイプの小説だったので、これをきっかけに筒井さんにまつわる多くの人たちの名前を知ることになります。そのひとりが、この連載を担当した『朝日新聞』の記者、大上朝美さんです。
なるほど、新聞連載は学芸部というところに属する社員が担当するんだなあ、と社会の仕組みがよくわからないながらも、おぼろげに思った記憶があります。ワタクシにとって、生まれて初めて知った文芸記者の名前、それが大上さんだったかもしれません。
ちょうど連載の始まった年、筒井さんの『幾たびもDIARY』(平成3年/1991年9月・中央公論社刊)が出ていたので、これも買って読んだところ、たまたまそこにも大上さんの名前が出てきます。宮本輝さんが朝日新聞に連載した「ドナウの旅人」のために取材旅行に出かけたときのことをまとめた『異国の窓から』(昭和63年/1988年1月・光文社刊)という本のことを紹介するくだりです。
「著者に随行する一行の中で、朝日新聞の女性記者・大上朝美さんが面白い。宮本さんと、この女性が喧嘩ばかりしているのだ。
大阪本社学芸部のこの大上さんは、神戸のわが家にも来たことがある。実は前記した直木賞落選の夜、受賞した場合の取材に来ていたのだった。結果、落選となり、大上さんは悪いと思ったのか、おれにエッセイを頼んで帰った。(引用者中略)
註・この稿が『マリ・クレール』誌に掲載されたあと、当の大上朝美さんから手紙がきて、事実誤認があることを教えていただいた。直木賞落選の夜わが家に来たのは朝日新聞の別の女性記者であり、大上朝美さんが来たのは別件(新聞連載小説の打診)であったらしい。」(『幾たびもDIARY』、「一九八八年」「二月十八日(木)」の項より)
ほほう、直木賞では選考会の夜、当落のわからない段階で新聞記者が候補者の家にわざわざ取材に行くものなのか。と、直木賞に対する興味がワタクシのなかでむくむくと芽生え、同時に大上さんってどんな仕事をしてきた記者なのか、さかのぼって調べるようになったわけです。……というのは、さすがにウソです。
ウソはウソなんですけど、よくよく直木賞を追ってみると、平成の一時期、直木賞の受賞記事を大上さんが『朝日』に書いていたのもたしかです。昭和59年/1984年に大上さんが担当した「明るい悩み相談室」から一気に有名になった(?)中島らもさんが、まさかのちのち直木賞の候補者になってしまう、という強運ももっています。
いや、簡単に「運」とか言っちゃいけませんよね。中島さんの才能に早い段階で気づいた大上さんを褒め称えなきゃいけないんでしょう。
○
大上朝美(おおうえ・あさみ)。1970年代に朝日新聞社に入社し、大阪・東京の学芸部に長いあいだ勤務。『俳句朝日』編集長だった期間も含めて平成30年/2018年ごろに退社するまで、多くの文学者たちと接し、大量の文芸記事を書き残します。その全貌は明らかになっていません。
とりあえずその勤続の途中で、直木賞(ともうひとつの文学賞)の取材をしていたのは、1990年代前半ごろだったようです。回数でいうと、第100回台、第110回台ぐらいに当たります。もう30年もまえのことです。
どんな思いで文学賞を取材していたのか。実情はよくわかりませんが、しかし参考になるような記事がひとつあります。『朝日新聞』夕刊に署名入りで書いたコラムです。
「本来そうであってはならないのだが、ある賞をもらえるかどうには、「運」が相当大きく作用する。昨秋(引用者注:平成7年/1995年秋)まで何年か文学賞の取材を担当していて、その確信を深く持った。
初めて賞の候補になり、いきなり無名に近いまま受賞する人もいれば、何度も候補に挙がって実力も名前も十分に認められながら、無冠に終わった人がいる。その場合、「この人の力からすると物足りない」「前の候補作の方がよかった」などと言われる。ひとごとながら「浮かばれないよなぁ」と感じたものだ。
選考委員に悪意があるわけではないだろう。やっぱり「運」としか言いようがないのだ。」(『朝日新聞』平成8年/1996年7月29日夕刊「偏西風 賞の運」より ―署名:学芸部デスク 大上朝美)
まったく妥当な言いぐさです。
およそ大部分は運で決まります。なのに、選考委員も運営者も、見守る記者たちも、われわれ無関係な一般読者も、きっと正確な基準があるはずだと信じて、熱くなる。それが文学賞のもっている抜群の魅力です。裏を返せば、馬鹿バカしさでもあります。
さすがに大上さんは、文学賞を馬鹿バカしいと書くほど幼稚ではありません。ただ、はたから見ると権威的で、まじめで、真剣な文学賞というものに対して、そのまますんなり受け止めたくないという気持ちが、大上さんの記事のなかにはひそんでいます。前面にそれを出すわけじゃないけど、受賞したバンザイバンザイで済ませていいのかという批判の心を、読み手にも感じさせる。文芸記者の面目が躍如っています。
たとえば、『朝日』の「ひと」欄です。直木賞受賞者が取り上げられるケースは珍しくありませんが、あらためて読み返してみると、大上さんの担当したものは、単なる人物紹介や発言を並べただけではなく、ユーモラスなニュアンスが採り入れられています。もちろん賞を批判しているわけじゃないんだけど、まともに称賛しない姿勢、とでも言いましょうか。他にもおそらく、大上さんの手がけた記事は大量にあるはずで、『大上朝美 文芸インタビュー集』みたいなかたちで一冊にまとめたら面白いのにな、と思います。まあ、絶対に刊行されないでしょうけど。
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