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2022年3月13日 (日)

内藤麻里子(毎日新聞)。2000年代・2010年代の直木賞会見場にいた「二大巨頭」のひとり。

20220313

 先週は、ちょっと強引に大上朝美さん(朝日新聞)を取り上げました。今週はこの流れで、もうひとりワタクシが個人的に思い入れのある「直木賞」文芸記者に行ってみます。『毎日新聞』内藤麻里子さんです。

 いやまあ、思い入れ、というほど深いものじゃありません。思い入れというより、淡い思い出です。

 「直木賞のすべて」を開設したのが平成12年/2000年のことです。以来、ど素人という制約のなかで、できるだけ直木賞のことを知ろうと七転八倒し、いまもしていますが、途中の第144回(平成22年/2010年・下半期)から受賞者の会見が生中継されることになって、一気に「発表とその会見」が身近なものになりました。

 すると当然、あれはどういう場所でどういうふうに行われているんだろう、と興味が沸くわけですから、よーし何とかモグり込んじゃえ、と相当無理して現場に足を運ぶようになります。

 もちろんインターネット越しの中継を見ていればいいだけのハナシで、わざわざその場に行く必要はありません。しかし、たいてい後ろの角度から座った姿しか映されずに、「数多くいる群衆のなかのひとり」としかとらえられない記者たちを、自分なりの視線で注目することができます。取材に向かう、やる気のある顔や淡々とした表情、積極的に手をあげるヤツや、死んだような目で座っているだけのヤツ、などなどその光景を見るのは新鮮でした。これもまた、直木賞を形づくっている重要な一現象です。

 それで、直近の2010年代、あの現場でとくに熱心に質問をしていた記者となると、ぐっと数が絞られます。以前、『読売新聞』川村律文さんについて触れましたけど、『読売』は村田雅幸さんや鵜飼哲夫さんも毎回のように手をあげ、しぼり出したような、ひねり出したような、苦しい質問を飽くことなく続けていました。そしていまひとり、直木賞の受賞者に質問する時間がくると、まずかならずマイクを握っていたのが『毎日新聞』の内藤さんです。

 「無理やりひねり出したような質問」ということでは、他の記者とあまり印象は変わりません。しかし言葉の端々から伝わったのは、「絶対に、わははとお茶を濁して終わるような、おチャラケな会見にはするまい」とする強い意思です。そこが、そのころワタクシが勝手に「直木賞会見の二大巨頭」と呼んでいた鵜飼さんと内藤さんの、いちばんの違いでしょう。

 言葉を変えて言えば、まじめというんでしょうか。正統というんでしょうか。イジ悪く変化球を投げてみたり、はたまたいかにも評論家きどりで批判めいた切り口でせまったり、そういうところが内藤さんにはありません。文芸記者道のどまんなかを邁進して、毎回毎回、受賞決定と選考経過を報じる記事を積み上げる、安心・安定の仕事ぶり。こういう人が、文芸記者の王道というのだろうな、といつも遠目で感嘆しながら眺めていました。

 と同時に、内藤さんが文芸記者として活躍した2000年代、2010年代は、新聞メディアもネットのなかに飲みこまれた時代で、内藤さんによる直木賞に関する記事を、『毎日新聞』をとっていなくてもしばしば目にしました。そういうのを読んでいると、あまりに性格がいいからなのか、ちょっと直木賞に向けるまなざしがヌルいのではないか、と思わなかったわけではありません。

 たとえば、こんな記事があります。当時、ネットに挙がっていたかは覚えていませんが、いかにも内藤麻里子ブシ、といった観があります。直木賞・他一賞を解説したものです。

「Q 新しく選考委員が加わったと聞いたのですが。

A (引用者中略)直木賞は北方謙三、林真理子、宮城谷昌光の3氏が加わり11人になりました。(引用者中略)直木賞の北方さんはミステリー、林さんは恋愛小説、宮城谷さんは歴史小説とそれぞれの分野のベストセラー作家で、最近のミステリーの隆盛に対応できるようにするなど、今までにカバーしきれなかったジャンルの充実を図ったとみられます。いずれにしても両賞ともに年齢的に若い世代が加わり、新しい時代が始まったといえそうです。」(『毎日新聞』平成12年/2000年7月6日「ニュースがわかるQ&A NIE 芥川賞と直木賞 選考委員に若手加え幅広く」より ―署名:学芸部・内藤麻里子)

 選考委員の顔ぶれが多少変わっても、なかなか新しい時代が始まらないのが、直木賞のよさなのでは。とワタクシなどは思うんですけど、こういう賞の動きを否定的にとらえず、前向きに解釈してみせる。やはりプロの文芸記者にはかないませんね。

          ○

 内藤麻里子。昭和34年/1959年生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、毎日新聞社に入社。学芸部に配属されたのは入社5年後の平成4年/1992年からだそうで、文芸担当になったのは平成12年/2000年、直木賞でいうと第123回(平成12年/2000年・上半期)の船戸与一『虹の谷の五月』、金城一紀『GO』受賞のころからです。現役最後の直木賞は、第161回(平成31年・令和1年/2019年・上半期)大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』のようですから、約20年、39回分の直木賞をえんえんと取材し、記事を書きつづけたことになります。

 退社後は「文芸ジャーナリスト」として、ぞくぞくと新聞・雑誌への書評とか、文庫解説などを生み出しています。

 いまの時代、文庫解説もウェブで読める時代。ということで、たとえば文春文庫の一部の解説は、買わなくても確認できますが、それも含めて内藤さんは、文芸記者時代の『恋しぐれ』(葉室麟・著、平成25年/2013年8月刊)や『ローマへ行こう』(阿刀田高・著、平成31年/2019年3月刊)から、『葵の残葉』(奥山景布子・著、令和1年/2019年12月刊)、『悪左府の女』(伊東潤・著、令和2年/2020年8月刊)、『大獄 西郷青嵐賦』(葉室麟・著、令和2年/2020年12月刊)、『トライアングル・ビーチ』(林真理子・著、令和3年/2021年7月刊)、『約束』(葉室麟・著、令和3年/2021年12月刊)、『菊花の仇討ち』(梶よう子・著、令和4年/2022年3月刊)などを解説。

 精力的な書きぶりです。文芸記者として培ってきた「信頼に足る書き手」という土壌が、おそらく業界に知れ渡っているゆえんなんでしょう。

 解説を書いている作品でもわかるように、とくに歴史・時代小説に対して、記者の頃からぬくもりのある視線を送りつづけているのも、内藤さんの特徴です。エンタメ小説に向ける幅広い目配り。そのなかでも、歴史・時代物への期待は、絶対に、絶対に心に刻んだ忘れない。……おまえは直木賞か。という感じですが、そういう人だからこそ、直木賞を決して批判せずに、ン十年もわきで支えつづけられたのだろうな、と思います。 最後に蛇足です。

 以前に、一度だけ、内藤さんにごあいさつしたことがあります。向こうは一級のプロフェッショナル、こっちは泥まみれのアマチュア。もはや覚えていないだろうな、と思いますけど、こちらは相変らずの小心者ぶりを発揮して、まともに口を利くこともできませんでした。自分にとって内藤さんがどれだけ思い入れのある文芸記者なのか、勇気をだしてお伝えして、いろいろ聞いときゃよかったなあ。いまになって反省しています。

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