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2021年11月 7日 (日)

重金敦之(朝日新聞)。雑誌記者でありながら新聞社に勤め、ジャーナリストを名乗る。

20211107

 「文芸ジャーナリスト」という肩書があります。人のことを肩書で見る行為は、たいてい馬鹿にされたり嫌われたりしますが、世の中に肩書が存在するのは、まぎれもない事実です。

 それはともかく、文芸ジャーナリストが謎だらけなことは、文芸記者に負けてはいません。レベルでいえば「直木賞研究家」や「文学賞研究家」と同じくらい、うさん臭い肩書ですが、とくに新聞社に勤めていた記者や編集者が、退職後に名乗る肩書として、よく見かけます。文芸評論家と言い張るのは心苦しい。文学研究家ではシロウトくさい。だけどライターと言ってしまうと軽すぎる。……そんな心の葛藤に折り合いをつけた、多少の重みと、多少の謙虚さを兼ねそなえている、なかなかよくできた肩書です。

 と、そろそろ「直木賞と文芸記者」もネタに詰まってきたので、今週は立派な文芸ジャーナリストに焦点を当てることにしました。かなりの逃げ球ですみません。重金敦之さんです。

 昭和の半ば、経済成長著しい時代に、立派な新聞社だった朝日新聞社に入社。「記者」というよりは編集者として『週刊朝日』に配属されますが、そこはそれ、出版社系の週刊誌とは多少色合いが違って、ジャーナリストふうのお仕事もしたものでしょう。取材に行き、自分でものを書きながら、かたわらで外部の作家たちを相手にして、原稿取りに勤しみます。

 新聞社に勤める制作サイドの人たちの、何ともヌエたるゆえんです。たとえば、先に『大阪毎日新聞』の辻平一さんを取り上げましたが、この人も『サンデー毎日』という週刊誌の編集者でありながら、自分の回想記のタイトルに「文芸記者」という用語を使っています(もしくは、出版担当の意向で、使わされています)。取材者であり、執筆者であり、編集者でもある。主たる仕事の領域が、文芸に関する話題なら「文芸記者」……。というわけですが、じゃあ「文芸編集者」と何が違うのか、線引きの難しいところがあります。

 重金さん自身、この辺りをどうとらえているのか。参考になるのが『編集者の食と酒と』(平成23年/2011年5月・左右社刊)です。

 正式入社する前の5か月間、『文芸朝日』で研修のようなかたちで働いた経験から書き起こされ、入社後に配属された『週刊朝日』での「編集者」体験が書かれています。そこでは、重金さんが「ジャーナリストを職業とするにあたって最も影響を受けた書物の一冊」として、戦後の文藝春秋(および直木賞)を発展させた池島信平さんの『雑誌記者』と、そのなかの一節が紹介されているのです。

 池島さんは、雑誌記者と新聞記者の違いを、前者は浅くて広い知識をもつ、後者は狭くて深い知識をもつ、と語り、また雑誌の記者には自分の媒体がいくらでつくられ、いくらで売れ、いくらの儲けが出て、といった経営感覚が必要だが、新聞記者はそれがない、と言っています。

 金銭勘定うんぬんを出してくるあたりは、さすが池島さんだなと思いますけど、それでは新聞社のなかで雑誌をつくる人種はどうなのか。雑誌記者でもあり新聞記者でもある、というやはりヌエのような性格・性質が求められるのかもしれません。

 だからこそ、それを遠目で見ているこちらは面白い、とも思います。本書では昭和から平成にかけての文壇事情や、文学賞のこともいくつか出てきますが、これを扱う重金さんの筆が、関係者でもなければ、さりとて部外者でもない、どっちつかずの立場からの文章が楽しめます。よく言えばジャーナリスティックな立場、とでも言いましょうか。

 第136回直木賞(平成18年/2006年下半期)の落選作にして、本屋大賞2007の受賞作、佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ』という作品があります。「直木賞と本屋大賞 文学賞の楽屋」のなかで重金さんは、この話題を取り上げ、文学を尺度にする既成の文学賞と、共感や売れ行きにシフトする新しい賞とを比べて語っています。「同列に並べて議論するつもりはないが」と予防線を張るところなどに、いかにも長く記者稼業をしてきた人の、イヤらしい「中立と公正を保ってますよ」アピールが出ていて笑ってしまいますけど、どう見ても両賞を比較して分析している文章です。

「一方は「文学」としての評価であり、片や「売りたい本」の選定だから、並行線をたどるのは自明の理であろう。(引用者中略)青春時代の情念の葛藤などのテーマは今の時代、漫画やテレビのメディアの方が進んでいて、小説(文学)を読むはるか以前に「通過儀礼」を果たしているのではないか。となると小説は後発のカタルシス・メディアとなり、「癒し」のためのツールとして作用する時代なのかもしれない。」(『編集者の食と酒と』所収「直木賞と本屋大賞 文学賞の楽屋」より)

 重金さんの指摘にも一理あるかもしれません。ただ、ワタクシがこの文章を読んで面白いな、と思ったのは、そこではなく、昭和の繁栄期を長く生き、流行作家たちとたくさん接してきた重金さんが、本屋大賞の相手として直木賞(のみ)を据えることを自然だと思っているところです。そうなんだ。直木賞、直木賞とそっちばっかに目が行って、吉川英治文学新人賞みたいな賞は、ガン無視なんだ。あれも、いちおうは文学としての評価をするはずの、プロの作家による文学賞なはずだけど……。

 ときに人間は、現状を解説・説明するための手段として、いろいろな枝葉を思い切って省き、単純な構図をつくり上げて記事にしてしまうことがあります。要点をしっかりと読者に伝えるための手段としては、そういう記述も必要でしょうし、とくに記者と呼ばれる職種の人にとっては、お手のものなんでしょう。文壇を代表する文学賞は少ないほうが記事としてまとめやすいですもんね。どうしても直木賞(ともうひとつの賞)を重視したがるのは、長く文芸記者、兼雑誌記者をやってきた人の宿命なのかと思います。

          ○

 重金敦之。昭和14年/1939年4月18日生まれ。都立戸山高校から慶應義塾大学に進み、法学部政治学科卒、新聞研究所修了。同大学院法学研究所を中退して、昭和39年/1964年春に正式に朝日新聞社に入社します。平成6年/1994年10月に55歳で退社するまで、30年のうち8割以上は『週刊朝日』編集部に在籍したということです。

 『編集者の食と酒と』の巻末には、重金さん自身が同誌在籍中に企画・担当した作品が一覧で載っています。そのいちばん最初に挙がっているのが、結城昌治さんの『白昼堂々』です。週刊誌に連載された長編が単行本化されて直木賞の候補になるのは、いまはそこまで珍しくありませんが、当時としてはなかなかありません。そうか、その担当はこの人だったのか! と、重金さんと直木賞の距離の近さには、心がはずみます。

 あるいは、重金さんといえば池波正太郎さんですし、3年前には『淳ちゃん先生のこと』(平成30年/2018年12月・左右社刊)という本も出ました。池波さんも、渡辺淳一さんも、いずれも直木賞を受賞してから、のちに選考委員に就き、作品のみならずキャラの立った委員としてひところの直木賞界隈をにぎわせた人です。こういう作家との秘めたる逸話を吐き出せるのも、重金さんがいかに直木賞と近いところにいた記者かを示しています。

 『淳ちゃん先生のこと』は、渡辺淳一さんが昭和43年/1968年8月、札幌医科大学の和田寿郎教授が日本初の心臓移植を行う直前の時期に、『オール讀物』に「ダブル・ハート」を発表した辺りから、渡辺さんの作家としての歩みを、そばにいた編集者(兼記者)として追ったものです。渡辺さんが受賞した第63回(昭和45年/1970年・上半期)は、もうひとり、重金さんとも縁のある結城昌治さんも受賞した回ですが、そこで重金さんはこう書きます。

「私が編集者として初めて担当した「週刊朝日」の連載小説が、結城昌治の「白昼堂々」だった。一九六六年の上期(第55回)の直木賞候補に挙げられたが、賞を逸していた。(引用者中略、注:第63回のときには)すでに結城はひとかどの有名作家で、新人の域を超えていた。「私も、もう歳なので、今さらさらし者になるのは嫌だから、候補に挙げるのなら、受賞を確約してほしい」と申し入れたという噂が流れた。となると、すでに枠は一つ消えていたことになる。この噂を渡辺淳一はかなり信じていて、本人からも聞いたが、真偽のほどはわからない。もちろん主催者側は「全面否定」する話だ。」(『淳ちゃん先生のこと』「第三章 直木賞を受賞し、瞬く間に流行作家へ」より)

 いやあ、真偽不明なマユツバなことを、こういうふうに書いちゃうところがイイですよね。現役の記者なら書けそうにないことでも、相手が死に、自分も十分年をとって、それでも隠しておけずに、昭和45年/1970年前後に渡辺さんのまわりに漂っていた文壇と直木賞の状況を書き残す。「文芸ジャーナリスト」も、まったく捨てたもんじゃありません。

 正直、直木賞に(も)目を向けてくれる書き手はかなり貴重な存在です。料理とか酒とか、そういう茫漠としたテーマはもういいです。文壇回顧・回想、ないし紹介の記事を、まだまだ書いてほしい、と願っています。

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