村田雅幸(読売新聞)。第150回直木賞取材記を『オール讀物』に寄せた唯一人の文芸記者。
昔のハナシって面白いですよね。
過去に起きたことは、もう誰にも体験できないのに、一部を切り取っただけの資料や回想を頼りにして、ああでもないこうでもないと、未来の人間が勝手に感想を抱く。いまを生きるこちらには何の責任も伴いません。何十年も前のことを、安全地帯から眺めてエラそうなことを言う。これほど楽しい時間の使い方があるでしょうか!
ということで、うちのブログもだいたい昔のことや、昔の人物ばかり取り上げています。だけど、楽しがってばかりもいられません。ナント直木賞はいまだに粛々と実施され、そのまわりではたくさんの文芸記者たちが蠢き、働いているからです。
だよなあ。たまには最近の記者に視線を向けなきゃなあ。と思っていろいろ考えたんですが、2000年代から2010年代、平成後期の直木賞を語るうえで、この記者は外せないだろうという人がいますので、今週はそんな現役の記者のことで行きます。『読売新聞』文化部の村田雅幸さんです。
村田さんはいまでも同じ部署で働いていると思いますが、とくに直木賞に関する「報道」を盛んに書いていたのは、直木賞第140回(平成20年/2008年下半期)ごろから約10年ぐらい、2010年代なかばごろまでです。つい最近です。
ワタクシみたいな、出版業界に関わりのない一般シロウトは、直木賞のことといったらまず新聞記事で知る、というのが長年の伝統でした。それが徐々にインターネットのサイト、記事、SNSへと変わってきたのが2000年代から10年代。村田さんが直木賞報道の中核に出てきたのも、ちょうどその時期です。
村田さんが報じる記事には、ワタクシもずいぶんお世話になりました。『読売』の特徴なのかどうなのか、この新聞にはやたらと文学賞を深掘りして解説する「文学賞好き」な記者が多い印象があり、村田さんもそういうなかで自然と文学賞報道の手練手管が磨かれたのか、巷で行われている文学賞――とくにエンターテイメント小説系の賞を、さまざまに切り取って記事にしていたからです。
残念なことに、そういう新聞本紙に載った記事は、歴史の渦に埋没していきます。のちによっぽど文学賞好きな人が現われないかぎり、発掘されることもないでしょう。しかし村田さんの数ある仕事のなかで、確実に後に残るだろうという直木賞に関する業績がひとつあります。『オール讀物』平成26年/2014年2月号に載った「百五十回に何が起こったか」です。
通常、1月の直木賞は中旬ごろに決まります。第150回(平成25年/2013年・下半期)であれば1月16日です。毎月21日前後が発売日の『オール讀物』に、その結果が出るのは翌2月の発売号(3月号)なわけですが、第150回のときだけ「緊急校了態勢で」(同号「編集長から」)、16日に決まった結果のみならず、会見の様子、朝井まかてさん、姫野カオルコさん2人の受賞者へのインタビューなど、かなりふんばって誌面に反映させ、1月売りの2月号に最新の直木賞ニュースが載りました。そんな事情を知らない全国にいる読者の多くは、ふーんと鼻クソでもほじりながら手にしたものと思います。
それはそれとして、その特集に『読売』の村田雅幸さんが寄稿している、という点に注目しないわけにはいきません。直木賞にとってどれだけ文芸記者が重要なのか。彼らはいつも陰に隠れて、存在感を消していますが、直木賞と記者の深いつながりをしっかり読者に伝えたところが、この号の編集の勝利です。
村田さんの文章は、もちろん直木賞のことを書いています。しかし、そこは優秀な人ですから、編集意図をきちんと汲み取って、「直木賞を報道する自分」に落とし込み、「第150回目の直木賞」を取材して報道している自分とはいったい何なのか、というところまで筆を伸ばそうと努力します。
「百五十回と百四十九回の違いは、区切りがいいか悪いかだけなのに、それでも人は、百五十回に価値を見出し、大騒ぎをする。
(引用者中略)
締め切りまで四十分しかない。(引用者中略)「何せ百五十回なのだから」。そんな気負い方をしている自分がなんだかおかしくなり、すっと楽になった。それからの四十分のことは、よく覚えていない。どうにか間に合わせ、一息つくころには、もうすぐ日付が変わろうかという時刻になっていた。そしてようやく、“お祭り”の余韻に浸ることができた。」(『オール讀物』平成26年/2014年2月号 村田雅幸「百五十回に何が起こったか」より)
どうしてそんなことまでして文芸記者は直木賞に光を当てたがるのか。そこのところは、いまいちよくわかりませんけど、いちいち考えていても仕事にならない、ともかくいま目の前にある現象を手際よく記事にするのが、直木賞に向かうときの文芸記者の心根だ、ということは伝わってきます。
そんな体力の消耗戦を、よくも何十年も続けられるよなあ、と感心してしまいます。よくよく文芸記者というのは、不思議な人種なんでしょう。
○
村田雅幸。昭和42年/1967年生まれ。平成4年/1992年、読売新聞社に入り、北海道支社、社会部などを経験したのちに平成12年/2000年、文化部に異動。とにかくたくさん本を読むだけでなく、沈滞する(と見られる)出版界や、ネットが台頭するなかでの小説界の現状を視野に入れながら、いまも元気に文芸記者として活動中です。たぶん。
村田さんには昔、会ったことがあります。平成26年/2014年のことです。
うちのサイトを始めたのが平成12年/2000年。ブログのスタートは平成19年/2007年。ということでワタクシなどは、新聞記事からネット記事から『読売』の直木賞記事といえば佐藤憲一さんか村田さん、という風土で育ったと言ってもいい、いわば「村田チルドレン」のようなところがあります。
若手の作家から大家まで、幅広い領域の小説を現在進行形で紹介する、ある意味「王道」な記者だ、という印象は、そこら辺で培われた刷り込みから来ているかもしれません。
その印象が、じっさいに会って変わった、ということはないんですけど、ネットの片隅の肥溜めのようなところで直木賞、直木賞、とそればかり言っているワタクシみたいな小物にまで目をとめる人だったので、正直びっくりしました。王道も行けるし、変化球にも対応できる。まあ、手広い人です。
直木賞は事前に何がとるか(何が候補になるかも含めて)予想しづらい賞だ、みたいな話題になったとき、「村田さんは、事前の受賞予想ってどのくらい当たるんですか」と聞いてみたところ、自分が直木賞を担当するようになってからは、だいたい選考会当日までには、ある程度の状況がわかるので、ほとんど外したことはありませんよ、と言っていて、さらに驚いたことを覚えています。
選考委員たちと雑談のようなレベルで話をしながら、今度の選考会で何を推すか、事前に取材する文芸記者がこの世には棲息しているらしい……と、ウワサではよく聞きます。そういう意味では村田さんも、われわれとは生きる世界の違う人種のようです。
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