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2021年9月の4件の記事

2021年9月26日 (日)

由里幸子(朝日新聞)。芥川賞の歴史における女性作家を語らせたら第一級。

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 第161回(平成31年・令和1年/2019年上半期)の直木賞を覚えているでしょうか。ほんの2年まえのことです。

 この回は候補者の全員が女性になったぞ、といって微妙なバズリが起きたときです。あまりに微妙すぎたので、大半の日本人は早くも忘れちゃったかもしれませんが、このとき「女がどう、男がどう、とそんなことを取り立てて話題にするのがおかしい」と意見している人がいました。たしかにそうなんでしょう。だけど、直木賞における性別の盛衰は、それを追うだけで一生たのしく過ごせるぐらいに骨太な研究テーマだと思います。あえて女性をピックアップすることに、あんまり目くじらを立てないでください。

 直木賞に限ったことじゃありません。近代日本社会の縮図ともいえる「文芸記者」の世界もやはり、殿方ばかりが跋扈する時代が長くつづきました。うちのブログで取り上げてきた文芸記者も全員男性です。そろそろだれか女性の記者にも登場願いたいな、と思っていろいろ考えた結果、文学賞と縁の深い人といってパッと思いつく記者を挙げることにしました。『朝日新聞』の由里幸子さんです。

 由里さんは、どちらかといえば(いや、どちらかといわなくても)完全に純文壇のほうに強い文芸記者です。現役の記者として活躍したのは昭和の後期から平成にかけてで、そこまで遠い昔ではありませんが、それでも由里さんお得意の範疇は明らかに芥川賞のほうでした。基本的に直木賞になんか興味がなかったんじゃないか……とさえ思ってしまいます。

 たとえば、そう思う理由のひとつが、『朝日新聞』に載った「100回迎える芥川・直木賞」(平成1年/1989年1月11日)という解説記事です。

 第100回の回数をかぞえた両賞の歴史を短くまとめながら、どういう変遷を経てきたか、いまどんな問題を抱えているか、評論家などのコメントを紹介しつつ読者の考えるきっかけにしてもらおう、というなかなか難しいお仕事です。これを書いたのが由里さんで、記事の内容としては、賞の芸能化が進み、同時に受賞作の水準が低下してきた、という平凡で穏当なところに落着していて、さすが文芸記者というのはうまいもんだな、と感嘆させてくれるんですが、「五十年以上の歳月に、両賞の性格も、文学をめぐる状況もかわった。」という文章から続く後半部分は、えんえんと芥川賞のハナシばっかりしています。直木賞のナの字も出てきません。おいケンカ売ってんのか、と直木賞ファンとしては吠えたくなるところです。

 しかし、直木賞ファンのみなさん、ご安心ください。由里さんは改心します。いや、別に改心はしていないんでしょうが、文芸記者として(もしくはひとりの文学愛好家として)強烈な関心事項があったために、ここから先、直木賞にも徐々に関心の目を向けざるを得なくなってしまうのです。

 由里さんの強烈な関心事項……それは「女性作家の活躍ぶり」です。

 『「国文学解釈と鑑賞」別冊 女性作家の新流』(平成3年/1991年5月・至文堂刊)に由里さんが「女性作家の現在」という文章を書いています。ここで「私が「女性作家」にこだわるのは、彼女たちの作品には文学の軸とともに、各時代の女性の意識が反映された軸が交差しているからなのだ」と、このテーマに関心を寄せる理由が披瀝されているのですが、割合的に男性が多かった『朝日』学芸部のなかで、文学(文壇)と関わってきた由里さんの、文芸記者としての特徴のひとつが「女性であったこと」は、やはり無視できません。

 しかも、商業的な文芸出版の世界も、ちょうど由里さんが学芸部に配属された頃から、女性作家の台頭が目覚ましく進展しました。同時代の空気を吸いつつ文学の動向に寄り添っていくことは、文芸記者の使命のひとつです。由里さんの目の前で、次々と女性が芥川賞を受賞していく……といった体験も踏まえて、こう書いています。

「七九年上半期から八八年下半期まで、ちょうど第八十一回から第百回までの芥川賞は、秋山駿の予言があたったかのような光景となった。十七人の受賞者のうち、加藤幸子、高樹のぶ子、村田喜代子、李良枝ら、女性が九人までを占めたのだ。

芥川賞には、ほぼ同時期に登場した津島佑子、増田みず子、干刈あがた、中沢けいといった現在の文学を語るとき、見逃すことができない女性作家たちが入っていない。男性でも村上春樹、立松和平、島田雅彦、高橋源一郎らの名前が入っていないのだ。つまり、八〇年代に文学が多様化し、いわば周辺の方が活性化した。にもかかわらず、芥川賞は文壇の中心に位置していたからこそ、皮肉なことに、一部の女性作家をのぞくと、文学の新しい波を捉えきれなかったというわけだ。」(『女性作家の新流』所収 由里幸子「女性作家の現在」より)

 芥川賞は、実力派の作家たちをたくさん取りこぼしてきたポンコツ文学賞。といったことは、まあ誰でも思いつく定型の常套句です。ところが、それを「こんなにも女性作家がとっていない」という観点から提示した論者は、正直あまり見かけたことがありません。おお、これぞ由里さんの個性。と、思わず目を引くとともに、この調子で第100回にいたるまでの直木賞での女性作家の隆昌も語ってほしかったなあ、と悲しくなってしまいます。

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2021年9月19日 (日)

辻平一(大阪毎日新聞)。新聞社から売れる週刊誌をつくり上げた大衆文芸界の偉人。

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 ワタクシは直木賞のファンです。直木賞のことだけ見つめていたいのです。ところが世間は、そう単純じゃありません。

 「直木賞を知りたければ、直木賞以外のものを見ろ」という格言があります。ありましたっけ。よくわかりませんが、たしかに直木賞は、「じゃないほう」の存在として長命を保ってきた、という側面があります。「芥川賞(純文学)じゃないほう」「エロ・グロじゃないほう」「通俗読み物じゃないほう」「売れスジじゃないほう」……ってことは、直木賞を知るには、「じゃあるほう」の芥川賞とか純文学、エロ・グロ・通俗、あるいはそのときどきで「ブーム」と呼ばれる現象を起こしてきた多種多様な小説ジャンルを知っておかないと、ハナシになりません。こちらは直木賞を見つめたいだけなのに、まったく世間の複雑さにはうんざりします。

 それで、仕方なしに昔の文壇回顧物とか大衆文芸の歴史とかを調べることになるんですけど、このとき必ず通ることになるテッパンの本があります。『文芸記者三十年』(昭和32年/1957年1月・毎日新聞社刊)や『花にあらしのたとえもあるぞ』(昭和57年/1982年8月・私家版)……『サンデー毎日』記者として活躍した辻平一さんの作家交友録です。

 辻さんと直木賞といえば、いろいろエピソードがあります。『サンデー毎日』の懸賞でデビューして「直木賞初の懸賞出身受賞者」になった海音寺潮五郎さんとの生涯にわたる交流とか、戦後、直木賞をとるまえの新進作家だった源氏鶏太さんを『サンデー毎日』の読み切り連載に大抜擢したとたん、源氏さんが直木賞をとって、直木賞に先んじて売れる作家に目をつける慧眼を発揮した件などなど。

 ともかく『サンデー毎日』は、大正期から昭和前半に「大衆文芸」を日本に定着させた、ということだけで歴史に名を刻まれてもいい、直木賞にとっても大恩あるメディアですが、そのなかで千葉亀雄さんと辻平一さんという二人の人物が関わっていたことが、いかに重要だったか。以前うちのブログでもさんざん取り上げたように覚えています。

 この二人には共通した特質がありました。すでに名の知れた流行作家や大家ばかりを起用するのではなく、新しい書き手を愛し、我が身を削って新人発掘に賭けたこと。……これに尽きるでしょう。

 新人発掘が大事だ、なんてことは、おそらく雑誌の編集者や新聞社の記者たち、多くの人がわかっていることです。なので、べつに千葉さんと辻さんの、二人だけに特有のハナシではないんですけど、「大衆文芸」懸賞に送られてきた何千編という応募原稿を全部ひとりで読み尽くして入選作を決めていた、という千葉さんの「狂っている」としか思えない伝説的な逸話などは、やはり新人発掘に身を削っていた証しでしょうし、辻さんもまた、新しい作家に入れ込んで支援を惜しまなかった姿が、さまざまに伝えられています。

 と、そんな辻さんのことを知るに当たってありがたいのが、息子にあたる辻一郎さんの『父の酒』(平成13年/2001年3月・清流出版刊)という一冊です。なぜありがたいのかというと、昔の有名作家とどんな交流をしていたか、というような、巷に腐るほど出ている文壇裏バナシの本とは一線を画し、「辻平一」という文芸記者の生態に、いちばんの焦点を当てて書かれているからです。

 ここにも、新人好き・発掘好きだった辻さんのことが、当然出てきます。

「出版界の大立者、この池島(引用者注:文藝春秋の池島信平)と父(引用者注:辻平一)をならべたのでは、非常識のそしりをまぬがれまい。しかしそうではあってもふたりは多くの点でよく似ていた。ただ残念ながら池島が身につけていた豪快さを、父はもちあわせていなかったが、雑誌づくりを〈骨の髄から好き〉な点では同じだった。それだけではない。池島は新しい作家を見出し、育てることを何よりの楽しみにした人物だったが、その点でも同じだった。それだけに意気投合することも多かったのだろう。手帖によれば、よく一緒に飲んでいる。」(辻一郎・著『父の酒』所収「父の酒」より)

 毎日ボーッと過ごしていると忘れがちなんですが、文藝春秋社の根本のどこかに、新人発掘の熱心さがあるのはたしかでしょう。直木賞とか芥ナンチャラ賞とかをつくって、この発掘企画を育ててきたのは、ひとつの現われです。新人起用に積極性を見せた『サンデー毎日』から、幾人もの直木賞候補者や受賞者が生まれていったのは、けっして偶然ではありません。文春の考えと相性のいい辻さんが、懸命に働いた結果だ、と見るのが自然でしょう。

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2021年9月12日 (日)

小塙学(共同通信)。芥川賞(と直木賞)にマスコミが群がり始めた当時の証言者。

20210912

 こないだ、『没後15年 文芸評論家・小松伸六の仕事』(令和3年/2021年7月・北方文学研究会刊)をつくった盛厚三さんに会ったんですけど、その席でこんなことを言われました。「冊子のこと、Twitterで紹介してくれたみたいだね。だけど、川口さんのツイートって反響まったくないんだね」。ずいぶん、あきれた様子でした。

 そもそも何で、ワタクシのやることに反響がある、と盛さんが勘違いしていたのか。思い当るふしもなく、盛さんにガッカリされて正直こちらこそ困惑します。反響がなきゃ普通の人間は20年もサイト&ブログ運営をつづけないだろう、という推測なのかもしれません。残念ながら、直木賞が好きでやっているだけです。

 ということで、今年の6~7月は、ワタクシも小松伸六さんのことを自分なりに調べて、いろんなものを読みましたが、小松さんと縁のあった作家に井上靖さんがいます。井上さんは『朝日新聞』に「氷壁」を連載中の昭和32年/1957年、取材のために穂高の山麓を歩いて以来、たびたび仲間たちと山行を楽しんだ人です。およその目的は、年に一度、北アルプスの涸沢に登ること。その集まりは、いつからか「かえる会」と呼ばれるようになり、「氷壁」の挿絵を担当した生沢朗さんのほか、野村尚吾、瓜生卓造、福田宏年、長越茂雄などの諸氏のほか、新聞社・雑誌社の編集者や、少し年配の井上さんと親しい文筆家・作家の人たちもぞくぞくと参加します。

 「氷壁」の担当記者だった『朝日新聞』森田正治さんの回想録『ふだん着の作家たち』(昭和59年/1984年6月・小学館刊)によると、そこに小松伸六さんも「名誉会員」として名を連ねていたらしいです。「かえる会」には、森田さん以外にも数々の新聞記者がいたようで、今週は井上靖さんと親しかった「かえる会」会員の文芸記者を取り上げたいと思います。

 共同通信社に勤めた小塙学さんです。

 文芸記者にもさまざまなタイプがあります。うちのブログの視点でいうと、大衆文芸・エンタメ小説界に強い文芸記者か、そうでない記者か、という分類法が思い浮かぶところですけど、小塙さんはおそらく後者。純文芸の文壇に広く顔を売っていた人かと思われます。「直木賞」の歴史に登場することはありません。

 ……ないんですが、芥川賞のほうではその限りではなく、昭和30年代ごろの「芥川賞>>>>>直木賞」という芥川賞偏向ジャーナリズム時代にその中核で記者を務めてきた、文学賞史の重要な証人のひとりです。

 昭和34年/1959年、文春のライバル新潮社の『新潮』(3月号)が「芥川賞の候補者たち」と題する随筆ミニ特集を組みました。編集部に求められて寄稿したのは、落選組から有吉佐和子さん、澤野久雄さん、そして受賞者の小島信夫さんの他に、文芸記者の小塙さんでした。

 自ら報道する立場でありながら、小塙さんの基本姿勢は、芥川賞報道には戦後ジャーナリズムの異常性が現われている、というものです。半年に一回、芥川賞の季節になると、報道機関がワッと受賞者、候補者、選考委員たちのまわりにたかる。それで心を病み、あるいは過信・錯覚したすえにつぶれていく新人作家を生み続ける非人道的な現象。わかっているんだ。おれだって、それが異常なことは理解しているんだ。だけど、群がることをやめられず、えらそうに文学賞を分析・解説してしまう文芸記者の悲しき習性が、よく出ている文章です。

 その悲しさがわかるところがあります。芥川賞を盛り上げてきた共犯者たる文芸記者の責任を棚に上げ、けっきょく違うところを責め立てて、自分の原稿を終えている点です。

「芥川賞や直木賞はあくまでもピック・アップ方式によつて、銓衡が進められている。作家、批評家たちから広く作品の推せんを受けて、それを厳選したものが「予選通過作品」だとはいつても、その作品を書いた本人の“意志”とはやはり無縁である。候補に上げられればもちろん嬉しいだろうし、候補に上つた以上は、受賞したいという“願望”も持つだろうが、それはどこまでも間接的な“願望”である。勝手にピック・アップされ、勝手に論議されたあげく、ボイコットされて、あとはおかまいなしというのでは、少し残酷すぎはしないかという。

(引用者中略)

「予選通過作品」の決定だけは、もつと慎重にやつてほしいと思う。」(『新潮』昭和34年/1959年3月号 小塙学「残酷な文学賞」より)

 いやいや、主催者に責任を転嫁するより、まず自分のところの会社が、直木・芥川賞だけ異常に注目する姿勢をやめればいいじゃないか。……と思うのですが、小塙さんも文芸記者としての矜持があるんでしょう。もしくは会社員として、自社や自分の業界を批判しちゃっては出世に響きますから、そちらに矛先を向けられない事情もわかります。まったく悲しいとしか言いようがありません。

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2021年9月 5日 (日)

村田雅幸(読売新聞)。第150回直木賞取材記を『オール讀物』に寄せた唯一人の文芸記者。

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 昔のハナシって面白いですよね。

 過去に起きたことは、もう誰にも体験できないのに、一部を切り取っただけの資料や回想を頼りにして、ああでもないこうでもないと、未来の人間が勝手に感想を抱く。いまを生きるこちらには何の責任も伴いません。何十年も前のことを、安全地帯から眺めてエラそうなことを言う。これほど楽しい時間の使い方があるでしょうか!

 ということで、うちのブログもだいたい昔のことや、昔の人物ばかり取り上げています。だけど、楽しがってばかりもいられません。ナント直木賞はいまだに粛々と実施され、そのまわりではたくさんの文芸記者たちが蠢き、働いているからです。

 だよなあ。たまには最近の記者に視線を向けなきゃなあ。と思っていろいろ考えたんですが、2000年代から2010年代、平成後期の直木賞を語るうえで、この記者は外せないだろうという人がいますので、今週はそんな現役の記者のことで行きます。『読売新聞』文化部の村田雅幸さんです。

 村田さんはいまでも同じ部署で働いていると思いますが、とくに直木賞に関する「報道」を盛んに書いていたのは、直木賞第140回(平成20年/2008年下半期)ごろから約10年ぐらい、2010年代なかばごろまでです。つい最近です。

 ワタクシみたいな、出版業界に関わりのない一般シロウトは、直木賞のことといったらまず新聞記事で知る、というのが長年の伝統でした。それが徐々にインターネットのサイト、記事、SNSへと変わってきたのが2000年代から10年代。村田さんが直木賞報道の中核に出てきたのも、ちょうどその時期です。

 村田さんが報じる記事には、ワタクシもずいぶんお世話になりました。『読売』の特徴なのかどうなのか、この新聞にはやたらと文学賞を深掘りして解説する「文学賞好き」な記者が多い印象があり、村田さんもそういうなかで自然と文学賞報道の手練手管が磨かれたのか、巷で行われている文学賞――とくにエンターテイメント小説系の賞を、さまざまに切り取って記事にしていたからです。

 残念なことに、そういう新聞本紙に載った記事は、歴史の渦に埋没していきます。のちによっぽど文学賞好きな人が現われないかぎり、発掘されることもないでしょう。しかし村田さんの数ある仕事のなかで、確実に後に残るだろうという直木賞に関する業績がひとつあります。『オール讀物』平成26年/2014年2月号に載った「百五十回に何が起こったか」です。

 通常、1月の直木賞は中旬ごろに決まります。第150回(平成25年/2013年・下半期)であれば1月16日です。毎月21日前後が発売日の『オール讀物』に、その結果が出るのは翌2月の発売号(3月号)なわけですが、第150回のときだけ「緊急校了態勢で」(同号「編集長から」)、16日に決まった結果のみならず、会見の様子、朝井まかてさん、姫野カオルコさん2人の受賞者へのインタビューなど、かなりふんばって誌面に反映させ、1月売りの2月号に最新の直木賞ニュースが載りました。そんな事情を知らない全国にいる読者の多くは、ふーんと鼻クソでもほじりながら手にしたものと思います。

 それはそれとして、その特集に『読売』の村田雅幸さんが寄稿している、という点に注目しないわけにはいきません。直木賞にとってどれだけ文芸記者が重要なのか。彼らはいつも陰に隠れて、存在感を消していますが、直木賞と記者の深いつながりをしっかり読者に伝えたところが、この号の編集の勝利です。

 村田さんの文章は、もちろん直木賞のことを書いています。しかし、そこは優秀な人ですから、編集意図をきちんと汲み取って、「直木賞を報道する自分」に落とし込み、「第150回目の直木賞」を取材して報道している自分とはいったい何なのか、というところまで筆を伸ばそうと努力します。

「百五十回と百四十九回の違いは、区切りがいいか悪いかだけなのに、それでも人は、百五十回に価値を見出し、大騒ぎをする。

(引用者中略)

締め切りまで四十分しかない。(引用者中略)「何せ百五十回なのだから」。そんな気負い方をしている自分がなんだかおかしくなり、すっと楽になった。それからの四十分のことは、よく覚えていない。どうにか間に合わせ、一息つくころには、もうすぐ日付が変わろうかという時刻になっていた。そしてようやく、“お祭り”の余韻に浸ることができた。」(『オール讀物』平成26年/2014年2月号 村田雅幸「百五十回に何が起こったか」より)

 どうしてそんなことまでして文芸記者は直木賞に光を当てたがるのか。そこのところは、いまいちよくわかりませんけど、いちいち考えていても仕事にならない、ともかくいま目の前にある現象を手際よく記事にするのが、直木賞に向かうときの文芸記者の心根だ、ということは伝わってきます。

 そんな体力の消耗戦を、よくも何十年も続けられるよなあ、と感心してしまいます。よくよく文芸記者というのは、不思議な人種なんでしょう。

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