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2021年8月15日 (日)

笹沢信(山形新聞)。元・芥川賞信者。年を経て直木賞受賞者の評伝を書いた人。

20210815

 新聞の文芸記者にはいろんな人がいます。当たり前です。東京に本社がある、いわゆる「全国紙」と呼ばれる新聞だけが、記者の職場ではありません。少し他の地方のことにも目を向けてみたいと思います。

 直木賞もそうですし、芥川賞なんかはもっと強烈ですが、この二つの賞は「東京とそれ以外の地方」という地域的な文学環境が日本でどのように変化し、発展(ないし衰退)してきたのか、という社会的なテーマをはらんだ文学賞です。単に、受賞者にどの地方出身者が多いか・少ないか、みたいなことだけじゃなく、東京を中心とする文芸出版で生まれた権威性が、各地域に伝播して受け取られるうちに、やたらと羨望されて持ち上げられ、実質以上のブランド力を得ることになっていく、という問題もあります。

 それはそれとして、「日本各地における直木賞の受容の歴史」は、また改めて調べていきたいところですが、今日はひとまず山形の、一人の文芸記者のことを取り上げます。昭和の半ばから『山形新聞』で文芸記者として活躍したあと、退職してから山形出身の有名な直木賞受賞者について、評伝を2冊も書いてしまった人。笹沢信さんです。

 笹沢さんには、井上ひさしさんのことを書いた『ひさし伝』(平成24年/2012年4月・新潮社刊)と、それから『藤沢周平伝』(平成25年/2013年10月・白水社刊)があります。平成26年/2014年4月に亡くなったあとには、遺稿的な扱いで『評伝 吉村昭』(平成26年/2014年7月・白水社刊)も出ました。

 吉村昭さんは直木賞とは少し距離がありますけど、妻の津村節子さんが直木賞の候補者になった辺りのハナシは吉村さんとも無縁ではなく、評伝のなかには当然「直木賞」の文字も出てきます。そもそも吉村さんは、純文学の作家とは見なせるでしょうけど、芥川賞の人でないことはたしかですし、オール讀物新人賞、新田次郎文学賞、吉川英治文学賞の選考委員にお声がかかったところを見れば、直木賞寄りの(「大衆文芸」寄りとは違う)作家だとも思えます。

 ともかく、井上ひさし、藤沢周平、吉村昭。……と、全国区のビッグネームすぎる作家を、晩年になってわざわざ執筆の対象に選んだところが、笹沢さんの大きな特徴です。それぞれの作家の履歴と作品のなかに、山形という地域がどれだけ影響を及ぼしたか、ということを手をかえ品をかえ差し挟んでくる技が、山形人・笹沢信の腕の見せどころで、また読みどころでしょう。

 しかし、それとは別に、これらの評伝3作には、隠しがたい笹沢さんなりの屈託が出ています。ワタクシにとってはそこが最も興味惹かれる部分でした。というのも笹沢さんは昭和40年/1965年~平成10年/1998年に『山形新聞』の文芸記者を務めながら、同時に自分でも創作を志す同人誌作家だった、ということです。昭和30年代後半以降、ひさし、周平、昭の小説が続々と書かれ、出版界を賑わせた時期、大学生から社会人になっていった笹沢さん自身は、ひとりの文学青年として三者の作品に接していた、と言います。

 大学時代は同人誌に参加し、そこでは芥川賞の季節になると、候補作の発表と同時に作品を取り寄せて、みんなで受賞作を予想する賭けをした(『評伝 吉村昭』「はじめに」)なんて回想もあって、これがだいたい60年ぐらい前の昭和30年代後半です。いまも、1月と7月には、ネット上でいろんな人が予想記事を出していますが、ああいうのは半世紀以上まえからやっている人たちがいたんだ、日本の文学賞予想文化って、けっこう奥深いんだな、と正直ヒいてしまいます。

 それぐらいならまだいいんですけど、笹沢さんの黒歴史はそんなものじゃありません。芥川賞至上主義だった己の過ちを、こんなふうに振り返っています。

「わたしにも、文学は〈純文学〉であらねばならぬ、という〈信仰〉に囚われていた時期があった。「芥川賞にあらずんば……」である。直木賞となると敬遠する、というより無視する傾向にあった。愛読していた立原正秋や五木寛之の初期の作品が直木賞を受賞したときは憤慨さえ覚えたものだ。周知の通り、ひさし(引用者注:井上ひさし)は直木賞作家である。」(笹沢信・著『ひさし伝』より)

 井上さんの直木賞受賞は昭和47年/1972年上半期。立原さんや五木さんの受賞は、それより5年ぐらい前のことです。ふうん、昭和40年代っていうのは、そういう文学青年が跋扈していたんだよね、時代だよなあ、と、ここは軽く受け流す記述なんでしょう。

 だけど、正直いってワタクシは腹が立って仕方ありません。こんな文学かぶれのキモい信者が、当時、若手の記者として平気な顔して新聞をつくっていたというのです。直木賞は無視してもいいんだ、程度の認識で文学なるものをとらえる視野の狭いアホめが。何が「憤慨さえ覚えたものだ」だ。それを言いたいのはこっちだよ。

 ……まあ、昔の笹沢さんに怒ったって何の解決にもなりませんね。すみません。おそらく笹沢さんもその後、記者として働くうちに自分の未熟さを反省し、直木賞の先見性や意義について見直してくれた、とは思うんですが、あまりそういう気配が著作物から伝わってこないのが残念です。

 それでも、直木賞に何ひとつ興味がなかったはずの笹沢さんが、晩年にいたって、けっきょく直木賞受賞者を評伝を書くにいたったその心境や、出版状況の変化が面白いのだ、と言いたいと思います。全国の文学青年に馬鹿にされながら、それでもめげずに、コツコツ積み上げてきた直木賞の苦悩の歴史が、笹沢さんのバッグに透けて見えるからです。

          ○

 笹沢信。昭和17年/1942年生まれ、平成26年/2014年4月6日没。本名は齋藤暹(のぼる)。大学時代の昭和39年/1964年には『山形新聞』主催の小説公募「山新文学賞」で入選した経験もある根っからの文学青年で、山形大在籍中の昭和40年/1965年、山形新聞社に入社。柴田道司さんを直木賞の候補に送り出したアノ『山形文学』の同人でもあり、平成10年/1998年に山形新聞を退社した後、平成11年/1999年の第71集から同誌の編集・発行人となりました。

 そして笹沢さんといえば、その文学的な道のりをたどるに当たって、齋藤愼爾さんとの関係に触れないわけにはいきません。愼爾さんは俳人でもあり、深夜叢書社の設立者でもあり、瀬戸内寂聴、美空ひばり、山本周五郎の評伝を書いた人でもあり、そして笹沢さんの実兄です。おそらく直木賞の歴史にも、多少なりとも関係がないとはいえない人物ですが、それはいまは措いておきます。

 愼爾・暹の兄弟に取材して書かれた読み物に「齋藤愼爾と笹沢信」(『朝日新聞』夕刊 平成12年/2000年12月7日~8日、シリーズ《四たび人と人との物語》)があります。書いたのは、河谷史夫さんです。

 それによると、元来、愼爾さんには新聞記者になりたいという夢があったそうです。その志望を継ぐかたちで、弟の暹さんが山形新聞社に入社、米沢支局で上司と喧嘩し、本社の資料室に1年置かれたあと、整理部文化面の整理者として移り、ほぼひとりで文化面を担当することになります。だれに寄稿を依頼すればいいか。兄の愼爾さんにたびたび相談していたのだとか。

 暹=笹沢さんの唯一の小説集『飛島へ』(平成6年/1994年11月)が深夜叢書社から出ているところにも、兄弟のつながりが見えますが、笹沢さんの書下ろし評伝1作目の『ひさし伝』も、別の記事が伝えるところでは、もとは愼爾さんからの推薦が出発点だった、と言います。

「執筆のきっかけは、出版企画会社オフィス・デンの田崎明さん(65)からの提案だった。笹沢さんの兄の齋藤愼爾さんの著書「ひばり伝――蒼穹流謫」(講談社)などにも携わった田崎さんは「愼爾さんから『弟は俺より文章がうまいし、分かりやすく書ける』と言われたので」と明かす。

笹沢さんは元山形新聞記者。主に文化欄を担当し、井上さんにも2度会っている。いったんは「とても手に負えない」と返事を保留したものの、「出版社から認められなくても、とにかくやってみよう」と決意。」(『朝日新聞』山形版 平成24年/2012年4月25日「井上さんの生涯に迫る 元新聞記者・笹沢さん、評伝「ひさし伝」出版」より ―署名:西尾邦明)

 そうか。笹沢さんが自発的に直木賞に白旗を上げて、評伝の対象に井上ひさしさんを選んだわけじゃなかったんだ。と、いささかガックリしますが、しかしこいつなら『ひさし伝』を書くのにふさわしい、と愼爾さんに思わせたのは、文章力、資料探索力、解釈力のほかにも、なにより笹沢さんが「クソみたいな純文学至上主義を脱ぎ捨てた」文学観の持ち主だったからでしょう。

 芥川賞ほど鮮烈で爆発力があるわけじゃないけど、じわじわと効いてくる直木賞。井上ひさし、藤沢周平、とその生涯を丹念に追った笹沢さんなら、きっと直木賞のイブシ銀な働きも、心底ご理解いただいたんじゃないでしょうか。よかったです。ハッピーエンド。

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