« 豊田穣(中日新聞、東京新聞)。『東京新聞』への出向で、ぐっと直木賞に近づいた人。 | トップページ | 澤野久雄(朝日新聞)。文芸記者やりながら作家として売り出し、一気に芥川賞も卒業。 »

2021年7月25日 (日)

重里徹也(毎日新聞)。「文学」が好き、「文学賞」もたぶん好き。

20210725

 『芥川賞・直木賞150回全記録』(平成26年/2014年3月・文藝春秋/文春ムック)という本があります。

 いろいろと見どころが多く、こういうのが160回、170回……と5年に1度ずつぐらい出ると、直木賞だけを楽しみに生きているワタクシみたいな人間にはありがたいんですが、そんな異常者はたぶん少数でしょう。次にお目にかかれるのは、第200回記念のときでしょうか。2038年下半期の第200回直木賞、それまであと17、18年。こっちもいつ死ぬかわかりません。そのときも、まだサイトを続けられていたらいいな、と思います。

 それはともかく、このムックです。受賞者の履歴やエピソードがだらだら並ぶだけ、みたいな駄本じゃありません。けっこう豊富に、読み物のページが混じっています。とくに、ここでしか読めない記事があるところに、直木賞マニアとしては心をつかまれますが、「芥川賞・直木賞150回 受賞の現場から」というテーマでエッセイを書いているのが、ベテラン文芸記者4人。こういうところからも、直木賞と文芸記者との親密な関係性を感じられる仕掛けになっています。

 そこで寄稿者に選ばれたのは、重里徹也さん、小山鉄郎さん、由里幸子さん、尾崎真理子さんの面々です。いずれうちのブログで取り上げたい人ばかりですが、とりあえず今週の主役は、重里さんひとりに絞ります。『毎日新聞』で長年スター記者(?)に君臨したのち、いまも現役の評論家として文芸業界に関わっている方です。

 と、重里さんのことに行く前に、「受賞の現場から」エッセイについて、ひとつだけ。

 各社の名のある文芸記者が4人。おそらく具体的なエピソードは、それぞれが自分の判断で選んだものだと思います。ふつうに考えれば、直木賞と芥川賞、2つを扱うムックなんだから、エピソードも両賞公平に2対2になりそうなもんですけど、現実は、芥川賞の受賞を語った記者3人に対し、直木賞は1人。……何なんだよ、馬鹿にしてんのか、オメーら。と脱力する他ありません。これから初めてこの本を見る、という直木賞ファンの方がいましたら、ショックで膝から崩れ落ちないよう、ご注意ください。

 数多くの取材体験をもつはずの重里さんが、このムックのために選んだエピソードも芥川賞のことでした。自身が毎日新聞社の福岡総局で文学・芸術担当だった頃に取材した第114回芥川賞の又吉栄喜さん「豚の報い」に関する事柄です。

 たしかに重里さんは、直木賞にまつわる話題も『毎日』紙上で数多く記事にしましたけど、エンタメ志向よりも文学志向が強い人なんだろうな、と思います。「文学の力」(!)みたいなことを、平気で文章に書ける感性の持ち主ですから、何かしら文学に強烈な憧れと信頼があるようにうかがえます。いや、直木賞に対して、ほんとにあるのかないのかわからない文学的なるものを、勝手にあると信じて接する、文芸記者としてはなかば優等生的な感覚を持っていた……と言い直しておきましょう。

 およそ重里さんが現役の文芸記者として直木賞を伝えてくれたのは、1990年代から2000年ゼロ年代。回数でいうと、第110回(平成6年/1994年下半期)前後から第140回(平成21年/2009年下半期)前後です。文芸記者の世代で見れば、藤田昌司さんあたりの次か、次の次、ぐらいでしょうか。

 90年代から00年代、「文学」を標榜する芥川賞のみならず、それまで「ナンチャッテ文学」で生きてきた直木賞のほうも、さまざまな文芸ニュースに見舞われます。ミステリーの席捲、純文学とエンタメのクロスオーバー、横山秀夫『半落ち』事件のゴタゴタ、売上重視の本屋大賞設立、などなど……。

 そのままだと文芸界隈は経済的にも立ち行かなくなりそうな縮小期です。自分の若いころにはあんなに豊潤で勢いのあった(ように見えた)文学が、ああ、馬鹿にされ無視されていくのが耐えられない! と感じる世代なのかもしれません。そのなかで、たまさか文芸記者として働くからには、文学はスゴイと持ち上げ、文学賞の果たしてきた役割は大きいと賛辞を送る。その土壌のうえで取材活動、執筆活動をおこなったのは、人として当然のことと思います。

          ○

 重里徹也。昭和32年/1957年生まれ。司馬遼太郎さんと同じ大阪外国語大学を出たあと、昭和57年/1982年、25歳のとき毎日新聞社に入社。下関支局、福岡総局などを経て、東京本社に移り学芸部で取材に汗水流します。

 うちの「直木賞のすべて」というサイトを始めたのが、平成12年/2000年です。その頃『毎日』で盛んに直木賞に関する記事を書いていたのが重里さんだったので、個人的にはこの方の書いた記事はいろいろと読んだ記憶があります。もちろん、そのほとんどはすっかり忘れ果てています。ワタクシの記憶力のなさゆえ、ではあるんですけど、数日たったら流されていく、文芸記者の仕事の、哀しき特徴でもあります。

 たぶん、このブログを始めてからも、重里さんの記事は何かしら引用したことがあったはずです。それは、記事も人間が書くかぎり、どの記者が書いても同じというわけにはいかず、重里さんにはこの方なりの面白い視点(というか、ワタクシがひっかかる点)があったからだと思います。

 たとえば、ひとつだけ挙げると、いまから14年前、『毎日新聞』に「三島由紀夫賞・山本周五郎賞 芥川・直木賞に対抗して、両賞の20年」という記事が載りました。重里さんと、当時同社の記者だった米本浩二さんの連名の記事なので、重里さんが書いたものかどうかは微妙ですが、下記の箇所はおそらく重里さんの表現でしょう。

「山本賞も新しい動向と積極的に取り組んで存在感を示してきた。その功績の一つは、よくエンターテインメント文学の賞で論じられる「人間」という言葉の概念を多様化したことだろう。直木賞をはじめ、選考委員が候補作を批評する時に「人間が描けていない」という言葉を聞くことが多い。これは、ミステリーに厳しい結果をもたらす理由にもなった。

(引用者中略)

もちろん、すべてがうまくいっているわけではない。たとえば、芥川賞の選考委員に就任する三島賞選考委員が相次いだことや山本賞の受賞作が直木賞も受賞してしまうといったことは、三島・山本賞の影を薄くした。」 (『毎日新聞』平成19年/2007年5月31日夕刊「三島由紀夫賞・山本周五郎賞 芥川・直木賞に対抗して、両賞の20年」より)

 なるほど、たしかに影は薄いです。せっかく山周賞が出した受賞作を、カブセで打ち消す直木賞……。『テスカトリポカ』を選ぶとは直木賞のこと見直したぜ、とか褒めている場合じゃありませんね。どちらかというと、これでカスんでしまう山周賞を心配するのが筋なのかも。と、直木賞中心の文学賞オタクにも、スッと刃を向ける一文です。

 とか何とか言いつつ、上の引用で山周賞と直木賞のことを書いたのが、重里さんではなく米本さんだったら、ワタクシも赤っ恥なんですが、でも重里さんはおそらく「文学」も好きだけど、「文学賞」も大好きなはずです。

 「私は俗物を自認しています」(平成30年/2018年10月・新泉社刊、重里徹也・助川幸逸郎・著『つたえるエッセイ 心にとどく文章の書き方』「はじめに 「他人に伝えること」は自分自身の発見だ」)と、思わず書かずにはいられないあたりに、その一端は出ていますし、以前、直接声を交わす機会があったときに垣間見せた、その話しっぷりや、あるいは別に何モノでもない文学賞オタクのワタクシに向かって、「お手柔らかにお願いしますよ」と、さらっと声をかけちゃうお茶目さが、文学賞の報道記事にもよく見えていました。

|

« 豊田穣(中日新聞、東京新聞)。『東京新聞』への出向で、ぐっと直木賞に近づいた人。 | トップページ | 澤野久雄(朝日新聞)。文芸記者やりながら作家として売り出し、一気に芥川賞も卒業。 »

直木賞を支えた文芸記者たち」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 豊田穣(中日新聞、東京新聞)。『東京新聞』への出向で、ぐっと直木賞に近づいた人。 | トップページ | 澤野久雄(朝日新聞)。文芸記者やりながら作家として売り出し、一気に芥川賞も卒業。 »