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2021年7月 4日 (日)

藤田昌司(時事通信)。直木賞の会見から格調がなくなったと嘆く。

20210704

 「文芸記者の書くものに、再評価なし」という格言があります。

 作家や文筆家は、没したあともいつか作品に光が当てられ、再評価や復刊の機運に乗って、何度でも甦ることがあります(もちろん、甦らないこともあります)。それに比べて、彼らの周囲にハエのようにたかり、批評めいた文章を偉そうに書きながらお金を得ている文芸記者は、基本的にはその時代だけに通用するミズモノにすぎず、時代が経てば顧みられることもなくなる……、といった状況を、揶揄めいて、ないし自嘲めいて語った言葉です。

 生前、何冊も著書を出した、いわゆる「名物記者」でも事情は変わりません。たとえば、こないだ取り上げた竹内良夫さんの本が、今後再評価されてブレイクすることがあり得るのか。……この世に絶対はなく、可能性がないとは言い切れないですけど、だれかの小説やエッセイなどが没後再刊されるのに比べたら、いまさら昔の文芸記者の書いたものがこぞって読まれ始めるとは、とうてい思えません。

 ということで今週は、昭和の後期から平成前期を駆け抜けた名物記者にして文芸ジャーナリスト、藤田昌司さんのおハナシです。

 昭和40年代、というのは直木賞がやたらと鼻息荒くマスコミを騒がした頃ですが、この時期に文芸記者になった藤田さんは、五木寛之、野坂昭如、渡辺淳一、井上ひさしといった新しいエンタメ小説界の旗手の誕生をまぢかに目撃し、それ以来、文芸出版界の内情にも通じ、およそ平成ヒトケタ年代、20世紀が終わりを迎えるまで、取材から評論まで幅広く一定のクオリティを保ったものが書けるオールラウンダーとして純文学からエンタメまで、いろいろな作家・作品のことを書きつづけました。

 そして藤田さんのありがたいのは、作品論だけでなく、自分が足を運んで見聞した「直木賞」の姿を、記者目線でしっかりと書き残しているところです。たとえば、直木賞というとパッと思いつく「受賞者の記者会見」。選考会の当日、発表されたあとに都内のホテルに受賞者を呼んで記者たちが質問する、という例のアレですが、これについて藤田さんは苦言を呈しています。

 はじめて藤田さんが直木賞を取材したのは、第55回(昭和41年/1966年・上半期)立原正秋さんの受賞回だったそうです。このときまで、記者たちは候補作が発表されると自分で全部読み、有力と思われる候補者にそれぞれが連絡をとって、事前取材を重ね、選考日を待つ、というのが当然だったといいます。要するに、文芸記者たるもの事前に候補作を読むのが普通だった、と。

 それがどうだ、いつの頃からか直木賞の受賞会見はダメになったんだよ……と語るのですからおだやかではありません。

「記者会見も当時はもう少し“格調”が高かったように思う。主催者である日本文学振興会の意向で、質問は「ベテラン記者による代表質問」とされていた。あとは補足的質問に限られていたのである。

(引用者中略)

しかし最近は、芥川賞、直木賞も芸能化現象が進み、テレビや週刊誌の記者が記者会見に押しかけるようになり、そのような格調はなくなった。「受賞作の内容を一言で……」などとマイクを向けるテレビのリポーターも少なくない。候補作など読まずに取材するのが当たり前のようになってきたのである。」(『新聞研究』昭和61年/1986年2月号 藤田昌司「文化部記者の今昔」より)

 藤田さんが「最近は」と言っているのが昭和61年/1986年ごろ、いまから35年まえ、ということにご注意ください。ここ10年、受賞会見がニコ生で見られるようになって以降、「最近の文芸記者は質が低くなって……」という声がけっこう聞かれますが、それよりずっと前のハナシです。会見でバカみたいな質問をやり出したのは、テレビや週刊誌やそこら辺りの報道陣だったようで、藤田さんは「文芸記者だけが質問していれば、格調が保てたはずだ」と、おそらく思ったんでしょう。

 べつに文芸に詳しくない、候補作もろくに読んできていない人が、会見で質問したって全然いいと思うんですけど、どうやら藤田さんは直木賞の会見なんてもんに格調を求めているようです。唖然としてしまいます。

 直接あの場に行って、質疑応答のときに手を挙げたりした個人的な経験から言うと、「ベテラン記者による代表質問」が優先される雰囲気が、あそこにはある、とたしかに感じます。主催者が顔や名前を見知った文芸記者が、だいたい手を挙げて、だいたい指される、ちょっと内輪な感じ。それを格調が高い、と言えばそうなのかもしれません。ただ、はたから見ると、直木賞の運営には、作家、出版社(編集者)のほかに、文芸記者という職種の人たちもきちんと組み込まれたうえで回っているんだな、とつくづく思うのみです。

          ○

 藤田昌司。昭和5年/1930年2月13日生まれ、平成20年/2008年8月31日没。無線講習所を卒業して昭和24年/1949年に時事通信社に入ると、昭和34年/1959年に文化部(当時は「特信部」)に配属され、家庭、芸能、文芸などを担当し、編集委員、文化部長、出版局編集委員などを経て昭和61年/1986年定年退職。その後、文芸ジャーナリスト(ときに「文芸評論家」)として多くの媒体で活動します。とくに作家インタビューは、記者時代からのライフワークといっていい仕事で、その取材体験と小説鑑賞をまとめた『作家に聞いたちょっといい話』(平成2年/1990年11月・素朴社刊)、『迷宮めぐり 現代作家解体新書』(平成4年/1992年5月・河出書房新社刊)などの著作があります。

 文学賞についても、当然、藤田さんは一家言をもっていて、うちのブログでも一度取り上げたことがあります。『現代文学解体新書 売れる作家と作品の秘密』(平成1年/1989年12月・オール出版刊)に収められた「芥川賞直木賞の功罪」のことです。

 直木賞なんてクソだ、と悪意や敵意をもっている人は、ぜひ本書で藤田さんの語っている直木賞の「罪」を読んで、そうだそうだと溜飲を下げていただければ、と思います。溜飲を下げたところで、何ひとつ状況が変わらないのが悲しいですけど、多少心は落ち着くかもしれません。

 この本では、他にも「受賞作は本当に“優れた作品”か」「高額賞金で釣られる優秀作品」「芥川賞直木賞の舞台うら」など、藤田さん自身の取材をまじえた文学賞論(?)が披露されています。丸谷才一さんが芥川賞選考委員を最初に辞任したときに「僕の“遺言”として、女性は(選考委員会に)入れるな」と言ったらしいんですよね云々……のような、いかにも文芸(ゴシップ)記者らしい小ネタがいくつも散らばっていて、まあ、そんなものはよほどの文学賞好きしか食いつかないでしょうから、いいんですけど、ここで語られる文学賞に対する藤田さんの問題意識には、明確な特徴があります。

 景気のいい状況を前提にしている、ということです。

 賞金一千万円の文学賞がいくつもできたことで、金めあての応募は避けられない。結果、文学の質の低下につながるのではないか。あるいは、売れるかどうかが文学賞の評価基準に入ってきた。結果、文学の質の低下につながるのではないか。……

「賞金はウナギ上りになってゆくだろう。それは、文学賞が“商売”になる時代になったからだ。」(藤田昌司・著『現代文学解体新書 売れる作家と作品の秘密』「高額賞金で釣られる優秀作品」より)

 と、平成のはじめごろの文芸ジャーナリストなら、傲然と言いたくなるでしょう。その気持ちはわかります。しかし、出版不況だ、賞金減額だ、という令和のいまになってみると、藤田さんの文章には鼻白むものを感じます。

 そういう時代を経て、出版経済は低迷、悪戦苦闘しているからこそ、いまの直木賞の姿を見るのは面白いのだ! とも思います。歴史的に直木賞が、周囲からどのように扱われ、いまがあるのか。……それを振り返ることができるのは、10年、20年たったらほとんど価値のなくなる文芸記事を、せっせと書きつづけた文芸記者のおかげです。

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