重里徹也(毎日新聞)。「文学」が好き、「文学賞」もたぶん好き。
『芥川賞・直木賞150回全記録』(平成26年/2014年3月・文藝春秋/文春ムック)という本があります。
いろいろと見どころが多く、こういうのが160回、170回……と5年に1度ずつぐらい出ると、直木賞だけを楽しみに生きているワタクシみたいな人間にはありがたいんですが、そんな異常者はたぶん少数でしょう。次にお目にかかれるのは、第200回記念のときでしょうか。2038年下半期の第200回直木賞、それまであと17、18年。こっちもいつ死ぬかわかりません。そのときも、まだサイトを続けられていたらいいな、と思います。
それはともかく、このムックです。受賞者の履歴やエピソードがだらだら並ぶだけ、みたいな駄本じゃありません。けっこう豊富に、読み物のページが混じっています。とくに、ここでしか読めない記事があるところに、直木賞マニアとしては心をつかまれますが、「芥川賞・直木賞150回 受賞の現場から」というテーマでエッセイを書いているのが、ベテラン文芸記者4人。こういうところからも、直木賞と文芸記者との親密な関係性を感じられる仕掛けになっています。
そこで寄稿者に選ばれたのは、重里徹也さん、小山鉄郎さん、由里幸子さん、尾崎真理子さんの面々です。いずれうちのブログで取り上げたい人ばかりですが、とりあえず今週の主役は、重里さんひとりに絞ります。『毎日新聞』で長年スター記者(?)に君臨したのち、いまも現役の評論家として文芸業界に関わっている方です。
と、重里さんのことに行く前に、「受賞の現場から」エッセイについて、ひとつだけ。
各社の名のある文芸記者が4人。おそらく具体的なエピソードは、それぞれが自分の判断で選んだものだと思います。ふつうに考えれば、直木賞と芥川賞、2つを扱うムックなんだから、エピソードも両賞公平に2対2になりそうなもんですけど、現実は、芥川賞の受賞を語った記者3人に対し、直木賞は1人。……何なんだよ、馬鹿にしてんのか、オメーら。と脱力する他ありません。これから初めてこの本を見る、という直木賞ファンの方がいましたら、ショックで膝から崩れ落ちないよう、ご注意ください。
数多くの取材体験をもつはずの重里さんが、このムックのために選んだエピソードも芥川賞のことでした。自身が毎日新聞社の福岡総局で文学・芸術担当だった頃に取材した第114回芥川賞の又吉栄喜さん「豚の報い」に関する事柄です。
たしかに重里さんは、直木賞にまつわる話題も『毎日』紙上で数多く記事にしましたけど、エンタメ志向よりも文学志向が強い人なんだろうな、と思います。「文学の力」(!)みたいなことを、平気で文章に書ける感性の持ち主ですから、何かしら文学に強烈な憧れと信頼があるようにうかがえます。いや、直木賞に対して、ほんとにあるのかないのかわからない文学的なるものを、勝手にあると信じて接する、文芸記者としてはなかば優等生的な感覚を持っていた……と言い直しておきましょう。
およそ重里さんが現役の文芸記者として直木賞を伝えてくれたのは、1990年代から2000年ゼロ年代。回数でいうと、第110回(平成6年/1994年下半期)前後から第140回(平成21年/2009年下半期)前後です。文芸記者の世代で見れば、藤田昌司さんあたりの次か、次の次、ぐらいでしょうか。
90年代から00年代、「文学」を標榜する芥川賞のみならず、それまで「ナンチャッテ文学」で生きてきた直木賞のほうも、さまざまな文芸ニュースに見舞われます。ミステリーの席捲、純文学とエンタメのクロスオーバー、横山秀夫『半落ち』事件のゴタゴタ、売上重視の本屋大賞設立、などなど……。
そのままだと文芸界隈は経済的にも立ち行かなくなりそうな縮小期です。自分の若いころにはあんなに豊潤で勢いのあった(ように見えた)文学が、ああ、馬鹿にされ無視されていくのが耐えられない! と感じる世代なのかもしれません。そのなかで、たまさか文芸記者として働くからには、文学はスゴイと持ち上げ、文学賞の果たしてきた役割は大きいと賛辞を送る。その土壌のうえで取材活動、執筆活動をおこなったのは、人として当然のことと思います。





最近のコメント