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2021年6月 6日 (日)

第15期のテーマは「文芸記者」。直木賞の延命を外から支えてきた新聞社の記者たちに光を当てます。

 何でもいいから、週に一度は直木賞のハナシに触れていたい! ……という、他人に共感されない興味で始めたこのブログも、今週から15年目に入ります。

 直木賞に関して取り上げたいテーマは、まるで尽きません。困ったことです。才のある人なら、ススッとやって数年で結論を出せるんでしょうけど、ワタクシみたいなもんは、どれだけやっても深いところに手が届かず、表面的なゴシップを撫でるだけ。これで一生が暮れていくのだろうな。とは思います。仕方ありません。直木賞の面白さは、底なしです。

 というところで、15年目のブログテーマですが、「文芸記者」のことを調べていきたいと思います。

 直木賞のいちばんの特徴は何か……。と言われて、おおむね多くの人が答えるのは「有名」であることです。

 日本に文学賞は数多く群立しています。そのなかで「選考委員の批評眼が素晴らしい」でもなく、「上質な作品が選ばれる」でもない。とにかく直木賞の圧倒的な特異性は「世に知られている」ことなのだ。と断言してもいいでしょう。

 うちのブログでは、直木賞の受賞者のこと、落選した候補者のこと、選考委員のことなど、手当たり次第に取り上げてきました。しかし、直木賞が直木賞であるいちばんの功績者は、何といっても「世に知らせる」役目を、この賞が始まった当初からえんえんと、律儀にン十年もつづけてきた人たち。各社代々の文芸担当記者たちです。

 その割に、直木賞の歴史のなかで語られる機会はほとんどなく、陰に隠れてこそこそと活動しています。新聞報道というかたちで直木賞を広報する片棒を担いできた人たちは、いったいこれまで何百人、何千人いたのでしょうか。いちいち数えたこともありませんが、しかし彼らがいなければ、いまの直木賞が成立していないのは明らかです。

 そもそもですよ。こんな偏った一社の事業に対して疑念や反発も持たず、毎年夏と冬になれば「直木賞だ、直木賞だ」と、いずれの新聞社も足並みそろえて、バカ正直に紙面を割いて報道する団結ぶりには、いつも感心させられます。多様性が叫ばれてもう何十年経つのか。一社や二社ぐらい、うちは直木賞のことなんか扱わないよ、何なんだあのお祭り騒ぎは、馬鹿バカしい、と気づく新聞が出たっておかしくないのに、いまのところそんな気配はとくにありません。

 そういう意味では、出版産業のなかの商業小説はマーケットが縮小。オールドメディアとしての新聞社も経営は青色吐息。沈みゆく旧弊な文化の担い手として、直木賞と文芸記者、「時代おくれ」のレッテルを張られたまま、一蓮托生でともに未来を歩んでいく……ということなのかもしれません。

 未来のことは、よくわからないので、まあそれは措いておきましょう。とりあえず、だいたい1年の予定で、一週ひとりずつ、直木賞史のなかに現れる文芸記者を取り上げていきます。「無駄に歴史が長い」でおなじみの直木賞ですから、創設からもうじき90年。著名な記者や、文芸記者から作家になった人などなど、無理くり探していけば、1年ぐらいは乗り切れるんじゃないか、と甘い展望を持っています。

 思いついた人から書いていきますので、順不同です。まず第1週目は、この賞と文芸記者とがズブズブの関係を築いてきたことをよく示す、直木賞が始まった昭和9年/1934年当時の、ひとりの記者から始めることにします。

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