石田汗太(読売新聞)。保守的な直木賞に対して矢を放つ。
個人的に昔のエピソードが大好きです。なので自然とそちらの話題が多くなるんですが、できれば現在・現代・現役の文芸記者のことも取り上げたい。ということで、今日の主役は、『読売新聞』の石田汗太さんを選んでみました。オタク記者として一世を風靡した(?)文芸界の名物記者です。
1990年代から2000年代はじめ、といいますから平成の初期、ちょうどパソコン通信からインターネットが社会に浸透していくこの時期に、『読売新聞』文化部の第一線で働いていた石田汗太さん。とくにエンターテインメント小説をテリトリーとする文芸担当として、取材報道に駆けずりまわり、当時の直木賞の変容についてリアルタイムに書き伝えています。
いや、直木賞なんてものは、この時代だけじゃなく常に「変容」しつづけています。わざわざ半年に1度の短いスパンで、くりかえし直木賞の姿を伝えることに果たして何の意味があるんでしょうか。昔っから、そのニュース頻度と、絶えず取り上げるマスコミの姿勢には多くの人たちが辟易してきました。
しかし、新聞記者たるもの、直木賞と付き合い、何がどう変わってきたのかを伝えなければ仕事になりません。社命であり、ルーティンワークです。いわゆる社畜です。
そのなかで、ついつい報道の内容に個性が出てしまうのは、文芸記者もまた人間だからに他なりません。石田さんの直木賞に関する仕事にも、やはり特徴が見え隠れしています。伝統的な文学観を愛でるより、新しいものを求める腰の軽さ。それが直木賞記事によく現れています。
石田さんが『読売新聞』紙上で直木賞記事と関わり出すのは、だいたい平成6年/1994年ごろ、第111回(平成6年/1994年・上半期)あたりからです。
その第111回は、直木賞が中村彰彦さんの「二つの山河」と海老沢泰久さん『帰郷』、芥川賞が笙野頼子さん「タイムスリップ・コンビナート」と室井光広さん「おどるでく」。受賞者ばかりが多いけど、どう見たって地味だよね……というのが、およそ一般の感覚だったろうと思います。
しかし、この受賞を受けて同紙の純文芸担当記者・尾崎真理子さんと語り合った記事では、えっ、と目をむく結論に達しています。直木賞=大衆文学と芥川賞=純文学の垣根が低まった、と言っているのです。この4つの受賞作を読んで、どうしてそんなハナシに落ち着くのか……。なかなかのトンデモ記事に仕上がっています。
「今回の芥川賞二作品は難解である一方、その世界に入ってしまえば、へたなエンターテインメント小説よりエンターテインメント的な部分があると思う。
(引用者中略)
直木賞。平岩弓枝選考委員の会見を聞いていて、何となく「保守性」を感じてしまったのだが……。(引用者中略)その「直木賞らしさ」を平岩委員に改めて聞くと、「長い歴史のなかで私たちが直木賞に持っているイメージ、そのイメージにふさわしい作品」という答えだった。言葉のはしを取るのではないが、直木賞の方は安心して読めるエンターテインメントという「歴史的に作られた直木賞のイメージ」を大切にしようとしていると感じた。それを「保守的」というのは酷かもしれないが、芥川賞が見せた姿勢と対照的に映ったのは確かだ。最近、大沢在昌、高村薫氏ら新しい書き手の受賞が続いただけに。(『読売新聞』平成6年/1994年7月22日夕刊「とれんどin小説 芥川賞・直木賞の選考結果 垣根低まる大衆・純文学」より)
垣根が低くなったと感じる、というのは尾崎さんの発言かもしれず、石田さんのみトンチンカンだったと見るのは控えなければいけませんが、純文学・大衆文学の比較はともかくとして、上記の発言部分で、直木賞の保守性がなかば否定的に指摘されているのは明らかです。直木賞が保守的なんてことは、ずっと言われつづけてきたことだと思うんですけど、当時30代なかば、若い記者だった石田さんがそこに違和感を覚えて、新しいエンターテインメント小説への希望を語っている。そこに石田さんの個性を見ないわけにはいきません。
その後、石田さんはバリバリと働きながら、直木賞の受賞報道に従事します。第112回の両賞受賞なしを、いかにも大事件であるかのように紙面で伝えたのち、第113回(平成7年/1995年・下半期)から『読売』の「顔」欄などで、直木賞受賞者のインタビューをときどき担当。第113回赤瀬川隼(平成7年/1995年7月19日)、第114回小池真理子(平成8年/1996年1月12日)、第120回宮部みゆき(平成11年/1999年1月15日)、第121回佐藤賢一(平成11年/1999年7月16日)、第123回金城一紀(平成12年/2000年7月15日)、第127回乙川優三郎(平成14年/2002年7月19日夕刊)、第130回京極夏彦(平成16年/2004年1月16日)、同回江國香織(平成16年/2004年2月4日夕刊)……と、それぞれの声を読者に届けます。
純文学と大衆文学の垣根が低まった、というハナシを、いかにも『読売』独自のトンデモ記事のように言ってしまいましたが、この時期、その視点が一般に話題性を帯びていたのは、たしかかもしれません。その機を見て、日本文学振興会が候補選出に趣向をこらし、車谷長吉さん直木賞、花村萬月さん・藤沢周さん芥川賞を演出したのが、第119回(平成10年/1998年・上半期)です。
しかし、その後、直木賞と芥川賞の作品内容の相互乗り入れが進んで潮流と化したのか、といえば、いま振り返ってもそんな形跡はありません。半年に1度の受賞傾向で何らかの潮流を語ることの馬鹿バカしさを、おそらく文芸記者の人たちもわかっているんでしょうが、しかしその職に就きつづけるかぎり、語らなければならないクビキから逃れることを許されず、ほんと文芸記者という職は大変だなあ、ということを10数年にわたった石田さんの直木賞記事は感じさせてくれます。
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