平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。
▼平成15年/2003年、高橋源一郎が『キャラクター小説の作り方』を書評で褒める。
またハナシが直木賞からズレてきました。マズいですね。
高橋源一郎さんにしろ保坂和志さんにしろ、うちのブログで取り上げるような人ではありません。だけど、21世紀、日本の小説をとりまく環境を見れば、自然と「小説教室」が根づいているのは明らかですし、直木賞もたしかにその土壌のうえで運営されているのだ……とか何とか強弁して、先をつづけたいと思います。このテーマも、あと数回で終わります。
それで、先週触れた保坂さんの『書きあぐねている人のための小説入門』(平成15年/2003年10月・草思社刊)なんですが、これが出たのが21世紀に入ったばかり、いまから20年ほどまえのことです。そこに保坂さんによる現況認識が書かれている、とうちのブログでも紹介しました。いわく、小説の書き方のマニュアル本はたくさん出ているけど、小説家の書いたものは高橋源一郎さんの岩波新書ぐらいしかないんですよね……みたいな認識です。
でも、この文章、ふつうに読んだら違和感が沸いてきます。
70年代、80年代、90年代、そして00年代。現実に作家として小説を書き、お金をもらっている人たちのなかで、小説の書き方を出したのが高橋さんだけ? ちょっとそれは保坂さんの「小説家」というものに対する定義というか感覚が狭すぎるんじゃないの?
……と、その違和感をはっきりと表明した人がいます。大塚英志さんです。
保坂本が出た当時、すでに大塚さんは評論家であると同時に、みずから小説づくりに携わる「小説家」でもありました。さらにいうと、小説とはどうやって書いたらいいのかを解説する「小説の書き方本」も何冊か書いていた人です。
大塚さんは主張します。日本の文学と呼ばれるものは昔っから、ある特徴をもっていた。それを現代に当てはめたとき、最もその伝統に即しているのが「スニーカー文庫のような小説」なのだと。作者本人だの「私」だのを突き詰めるのではなく、すべての人物をキャラクターにして物語を構築してみる。そうすれば誰にだって小説は書けるんだよ。そうさ書けるはずさ、ということで『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』(平成12年/2000年12月・朝日新聞社刊)あたりから、マニュアルに近い小説作法の書を次々と刊行します。
そのなかのひとつが、平成15年/2003年に刊行された『キャラクター小説の作り方』(講談社/講談社現代新書)です。
そこで解説される「小説の書き方」は、パターンを組み合わせることでディテールとストーリーを考えていくというキャラクター重視の小説に特化していました。書かれた00年代当時(いや、いまも多少はそうかもしれませんけど)「文学」や「文芸」とは呼ばれず、関わっている編集者たちもそのことにある種の引け目を感じていたような小説、と言ってしまっていいでしょう。
本のタイトルも、やり口も、いかにもキワモノです。ハッタリが効いています。
狙いが当たったものか、この本は新書のベストセラーリストに上がるほどに好調に売れましたが、キワモノ感、ハッタリ感といって思い出されるのが、何といっても前年に岩波新書から出た『一億三千万人のための小説教室』です。
その著者である高橋源一郎さんは、このとき、『朝日新聞』の書評で大塚さんの本を取り上げ、ハッタリに隠れた本書の魅力を褒めたたえます。
「ぼくたちは気づくべきなのだ。終わったかもしれない「文学」をこの時代にこの国で書いていくための見取り図、それをあえて描こうとした人間が、この本の著者以外に殆どいなかったことに。そして、この本が、どこかで、誰かが、はじめているに違いない困難な試みへの励ましと支援のメッセージになっていることに。」(『朝日新聞』平成15年/2003年3月23日 高橋源一郎の書評より)
たしかに、この本はマニュアル本のように書かれていながら、文学論、芸術論、文化論として面白く読めるところに、並の「小説の書き方本」を超えたよさがあります。高橋さんが書いた小説作法のような切り口もあれば、保坂さんのようなアプローチもある、そしてまた全然違う角度から大塚さんの試みも出る。00年代に訪れた、出版界における「小説教室」文化の豊穣です。
ところが、その保坂さんの本のなかに、やっぱ高橋さんみたいに実作家が書いた小説作法じゃなきゃダメだよねー、マニュアル的な小説の書き方本なんてクソほど役に立ちゃしないぜ……みたいな一節があったものですから、大塚さん、ムッとします。
たぶんムッとしたんでしょう。すぐさま応戦の構えを見せるのです。
○
▼平成15年/2003年、大塚英志が、保坂本の書かれ方に違和感を表明する。
保坂和志さんの『書きあぐねている人のための~』が発売された平成15年/2003年秋。すぐに大塚さんは『小説トリッパ―』で連載中だった「サブカルチャー/文学論」で、この本を取り上げます。
「保坂さんはこの入門書(引用者注:『書きあぐねている人のための小説入門』)でエンターテインメント小説や、「制度」化されてしまったと文学業界の人々が思い込んでいる近代文学的なものを教える「実用書」や「マニュアル本」に対して、そういったものを批判することで生まれてきたある種類の「文学」を肯定的に語ろうとしているように思う。つまり、近代文学批判や小説という制度への批判と、実作者によらない入門書を批判することが混然としているのだ。」(『小説トリッパ―』平成15年/2003年冬季号[12月] 大塚英志「何故、小説家は「小説の書き方」について書かねばならないか」より)
誰にだって物語はつくれるはずだと主張する大塚さんは、小説の書き方を意図的にマニュアル化してみようと試みたわけですが、そういうマニュアル的な小説作法をはなから否定する保坂さんの書きぶりに、違和感を覚えたらしいです。これは、のちに「ライトノベル」と呼ばれるようになる、主に若年層を対象にした小説のありかたと、古びたブランド力を旧時代から持ち越してしまった「文学」(純文学と言い換えてもいいですけど)の新たな時代に向けた展開との、すれ違いと言いましょうか、バチバチの交錯と言いましょうか、その静かなる闘争が2000年代はじめに「小説の書き方」本というジャンルのなかで発生した、と言い替えてもいいでしょう。
何だかこんがらがってきました。さすがに直木賞から離れすぎたので、この辺でやめときます。
しかし、大塚さんが文学になり得るひとつの創作体系として、キャラクター小説=ラノベを据え、その書き方をレクチャーしようとしてくれたことは、歴史的に見ても無駄ではなかったと思います。
「文学」とは何か特定の、決まりきった完成形を示す概念ではありません。さらに「小説」ともなれば、その範囲はほとんど無限に広がります。保坂さんが信じる「文学」もあれば、エンターテインメント小説もある、大塚さんが心を寄せたキャラクター小説だって、人間の創作する散文作品です。
となれば、そのつくり方がさまざまにあるのは、当たり前でしょう。小説教室が、単なる文学講座にとどまることなく、エンタメ小説の書き方、ミステリーの書き方、時代小説の書き方、ラノベの書き方、あるいは新人賞のとり方……と、細分化、多様化していくのも故ないことではありません。
00年代はそういう拡散が進んだ時代です。高橋本、保坂本とともに、大塚本も一定層にきちんと受け入れられて売れた、というのは、小説教室の拡大的推移をよく示しています。
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