« 平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。 | トップページ | 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 »

2021年5月 9日 (日)

平成25年/2013年、石田衣良から小説指導が受けられる、ということが特典の「ノベリスタ大賞」始まる。

20210509

▼平成25年/2013年、石田衣良の「小説スクール講座」が始動。

 「直木賞」というのはブランドです。芥川賞ほどではないにしろ、「直木賞」という言葉も、とんでもなく強い力をまとっています。

 ブランドは、とりあえずそれさえ押さえておけば安心だ、という感覚を多くの人に持たせるいっぽうで、昔に比べて質が低下しただの、そんなものをありがたがるのは自分で判断ができない脳みそパラパラのアホだけだだの、さんざん悪口も言われます。口汚くののしる人たちが、じゃあ、そのブランドのすべてを知っているのか、といえば、別にそうでもないらしく、思わずズッコけてしまうんですが、賛否両論の嵐にまみれながら、その固有名詞を出せば「ああ、あの……」と、なにがしかの印象をみんなに持たせてしまう。ブランドの力です。

 直木賞がいまだにその力を持っていることは、疑いようがありません。受賞者が出れば、生まれ故郷や縁ぶかい地域に「おめでとう、直木賞受賞!」と垂れ幕が飾られ、受賞作でもないのにこれまでの著作や、受賞以後に書かれる本の帯に「直木賞」の文字が踊り、出版業界のなかでも受賞者とそうでない人のあいだには、目に見えない扱いの違いがほんのりと残り、出版と関係のない世界では直木賞をとった人というだけで、「売れない作家」から「立派な作家」へと見る目が変わります。まったくアホらしいハナシですけど、人間というものはだいたいアホらしいものでしょう。直木賞に限ったことじゃありません。

 さて、前置きが長くなりました。直木賞にはブランド力がある。いっぽうで、作家になりたいと憧れる人たちがいて、小説教室が活況を呈する。となると、当然発生するのが、「直木賞受賞者が教える!小説の書き方」という観点での、小説教室の謳い文句です。

 重兼芳子さんが芥川賞をとってワッと小説教室に光が当たってまもなく、直木賞を受賞したばかりの阿刀田高さんに小説講座の仕事が舞い込んだ……というハナシは、以前触れました。伊藤桂一さんも小説教室の講師として名を馳せたひとりですし、多岐川恭さんのクラスからのちの直木賞受賞者が生まれた、なんていうエピソードも、直木賞と小説教室の歴史のなかでは外すことができません。

 この流れは21世紀に入っても途絶えることなく、直木賞をとった人が小説の執筆で忙しいなか、あちらこちらに駆り出されているわけですが、ここで注目しておきたいのが、石田衣良さんの講座です。

 石田さんといえば、「池袋ウエストゲートパーク」でデビューしたのが平成9年/1997年、37歳のとき。以来こつこつと実作を積み上げて、43歳のときに『4TEEN フォーティーン』で第129回直木賞(平成15年/2003年・上半期)を受賞します。物腰の柔らかさとスタイリッシュなたたずまいで、テレビのコメンテーターをやったり、人生相談の回答者をやったり、ときに政治や社会問題に口を出してはすぐに炎上したりと、「イジられる小説家」として第一線に立ちつづけること、ン十年。

 若い世代の書き手、ないし若い世代の読み手にも、積極的にアプローチすることを惜しまず、ラノベの世界にも乗り出します。石田さん自身、いかにも若いようでいて、もはや還暦をすぎてしまいましたが、いまもなお偉ぶらず、しかし脇の甘い発言を繰り出しては叩かれて、心の若さに実年齢なんて関係ないのさ、というところを体現して見せてくれています。いつまでも、世間にイジられるおじいちゃん作家でいてください。

 と、その石田さんが、「あの直木賞受賞者が……!」というのをたぶんウリにして、小説の書き方を指導する企画にチャレンジしたのは、平成25年/2013年。まだ10年もたっていない最近のハナシです。

 小説教室や小説の新人賞、という文化現象に関係するもので、この10年20年で一挙に拡大を遂げたものに、小説投稿サイトがあります。

 そのひとつに「E★エブリスタ」というものがあり、いまでは「エブリスタ」と名を変えていますが、平成25年/2013年、この投稿サービスを最大限に生かして新人作家を発掘しようと一大プロジェクトが立ち上がります。あの石田衣良先生を審査員に迎え、あの石田衣良先生に読んでもらい、優秀な作品にはあの石田衣良先生から講評がもらえる。ええい、それどころか、優秀と認められた投稿者は、あの石田衣良先生から直接、小説の書き方を指導してもらえるのだ、という夢のような文学賞が創設されたのです。その名を「ノベリスタ大賞」といいます。

          ○

▼平成29年/2017年、石田衣良のノベリスタ大賞、ひっそりと終わる。

 果たして石田衣良から小説の何たるかを教わりたい人なんて、そんなにいるんだろうか……? という周囲の不安もよそに、コンテストの参加作が大量に寄せられたそうです。

 石田さんは、一見するとそうは見えないのが玉にキズですが、基本的に小説や仕事に真摯に臨む人です。第1回、第2回、第3回……と回を重ねて、ぞくぞくと応募される投稿作を、ときに褒めたり、ときに厳しい評を送ったりしながら審査を務めます。

 そこで高く評価された投稿者を対象に、小説スクールを開催し、こちらも毎回毎回、手を抜くことなく、小説とはどうやって書くのか、どうやったら小説が面白くなるかを真剣に教えた……んだと思います。小説スクール講座は、途中から「石田衣良 小説家養成プログラム」と名前を変えますが、これから一生をかけて小説を書きつづけていこう、と情熱に燃える後輩たちに、石田さんが全力をそそいで教えていく、という主旨は変わりませんでした。すばらしいことだと思います。

 このすばらしい試みが、なぜ終わってしまったのか。平成29年/2017年、わずか4年程度でその幕をひっそりと閉じてしまったのは、けっきょく成果が上がらなかったのか、どうなのか。理由はまったくわかりません。時代はどんどん動いています。小説教室は続けることに意義がある、なんていうのは人生を無駄にするアホの言うことで、駄目とわかったら、さっさとやめる。それもまた、小説との向き合い方かもしれません。

 そういえばそのころ、石田さんが、世の小説教室やそこで教える小説家をどう見ていたのか、かるがるしく表明した文章があります。

 ある人が小説教室に通っていた。辞めたあとに、そのときの講師が小説のHOW TO本を出したのを知って、読んでみた。すると、当時の自分が講師に送った作品のことが悪く書かれていて、ショックを受けた……という相談に答えるかたちで、こう書いています。

「作家って、もうちょっと神経が図太くて鈍くないと続かないんですよ。自分の作品を世の中に出すと、色んな事を言う人がいるので。いやでも目に触れますし、そういうのは笑い飛ばせるぐらいじゃないと、職業作家としてやっていくことが難しいんだよね。(引用者中略)正直言って、その小説のHOW TO本を出している人って大した作家じゃないじゃん。ちゃんとしている人は、そういうものを出している暇がないですよね。小説教室自体、あんまり開かないしね。」(平成28年/2016年8月・文藝春秋刊 石田衣良・著『小説家と過ごす日曜日』「Vol.10 2015年11月27日 恋と仕事と社会のQ&A」より)

 小説教室なんかやっている作家は、ちゃんとしていないし、仕事がなくて暇な人、なのだそうです。

 こういうことを、自分が小説スクールの講師をやっているときに平気で書くところが、石田さんの神経の図太さでしょう。さらにいえば、「自分なんて大した作家じゃないんだ、だって小説教室を開いているぐらいだからね」という自己認識がきちんとできている、謙虚さの現われかもしれません。

 ともかく、直木賞を受賞した人が必死で教えたって、直木賞をとる作家は、なかなか育てられない、ということなんでしょうが、しかし何もやらずに結論を出すより、何を言われてもいいから、まずやってみる。ノベリスタ大賞とその小説スクールは、そういう石田さんのチャレンジ精神が生んだ尊い事例だったと思います。

|

« 平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。 | トップページ | 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 »

小説教室と直木賞」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。 | トップページ | 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 »