« 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 | トップページ | 平成29年/2017年、川越宗一、メールでの小説添削講座を受講する。 »

2021年5月23日 (日)

平成11年/1999年、山村正夫の急逝で、森村誠一が小説講座を受け継ぐ。

20210523

▼平成11年/1999年、森村誠一が「山村正夫記念小説講座」の主宰となる。

 小説をとりまく出版環境は、厳しくなるいっぽうです。その業界で何十年も生きてきた人たちが、口をそろえて言っています。おそらく正しいんでしょう。

 商品として本が売れなくなった、その流れは間違いないようです。出版社も経済的な余裕がなくなった。だから、売れない作家はすぐに捨てられる。そして本が出ないまま、作家として消えていく……という消滅のループが「出版不況」によって露骨になった、とも言われています。

 なるほど、昔に比べればそうかもしれません。しかし、ワタクシが小説を読むようになった90年代ごろには、すでにそんなハナシがチラホラ言われていたような気がします。以来、おおよそ30年。同じようなことを、何十年も言いつづけているんですね。まったく出版業界(文芸業界)って進化しないよなあ、と思わず笑っちゃいます。

 さて、90年代以降を振り返ると、いっぽうでは「小説教室」隆盛の時代にも当てはまります。

 一説によれば、昔に比べて、小説のジャンルが細分化した。昔に比べて、さまざまなレーベルが群立した。昔に比べて、新人賞がそこらじゅうに設立された。昔に比べて、新人賞をとるやつが増加した。昔に比べて、二作目以降がつづかずに消えていく人も増加した。それなのに、小説を書きたいと思う人の数は減らず、昔に比べて、小説教室の数もバリエーションも飛躍的に増えた。昔に比べて、昔に比べて……。

 昔の作家のことを趣味で調べているワタクシから見ると、いやいや、昔だってポッと出てきてポッと消える作家なんかいっぱいいたじゃん。だから、作家の履歴や背景を調べるのに、こんなに苦労しているんじゃないか! 冗談じゃねえぜ。と思うんですけど、そこをツッコんでも誰も幸せになりませんね。すみません。ともかく、90年代以降の商業小説の出版において、新人賞と小説教室の隆盛が並立していたのは、たしかです。

 右肩さがりで落日の商業文芸。しかし、増えては減り、なくなっては新設されるさまざまな小説教室。と、そのなかにあって、90年代以降も絶えず新しい作家をプロの市場に送りつづけている奇跡のような教室があります。「山村正夫記念小説講座」です。

 山村正夫さんが、いまはなき講談社フェーマススクールズで「エンタテインメント小説作法」の専任講師になったのは、昭和59年/1984年のことでした。と、これについてはすでに触れましたが、篠田節子さんや宮部みゆきさんが直木賞を受賞したのも、もはや遠い昔のハナシ……と思いきや、近年、山村教室出身の伊吹有喜さんが、第151回(平成26年/2014年・上半期)、第158回(平成29年/2017年・下半期)、第163回(令和2年/2020年・上半期)と候補になって、直木賞ファンとしてもまだまだ目が離せなくなっています。

 昭和63年/1988年、講談社フェーマススクールズが閉校されることになり、講座がなくなってしまう! という危機を乗り越えて、山村さんの「私塾」として教室の継続が決定。その山村さんも平成11年/1999年11月に亡くなりますが、この危機をおれが救わずしてだれが救うんだ、とばかりにひと肌ぬいだのが、森村誠一さんです。後を継ぐかたちで「名誉塾長」になり、プロ作家の育成・養成に積極的に関わるようになります。

 名称は、山村さんの名前を残して「山村正夫記念小説講座」となっていますが、年数でいえば、森村さんが引き継いでから20年をすぎ、山村さんがいた年数をはるかに超えています。となれば、森村さんも「小説作法を伝えたがる人間」として、ここに立項しても問題はないでしょう。

 すべては偶然の産物、タイミングの重なり、だとは思いますが、20世紀の終わりのこの時期、森村さんが小説講座を受け継いだのも、時代の必然かもしれません。

          ○

▼平成15年/2003年、森村誠一、「作家の条件」を発表。

 森村さんの小説デビュー作は『大都会』(青樹社刊)、出たのは昭和42年/1967年のことです。それから30年余り。江戸川乱歩賞を受け、ベストセラーを出し、長者番付のトップにも立ち、「プロの作家はお金を稼げる」という経済成長のなかで小説を書いてきました。文壇の権威たる直木賞とか、そんなものをとらなくても、読者の人気によって商業出版の第一線で渡り歩くことができる。70年代、その代表格になったのが森村さんです。

 そのうち、プロ作家になるために小説の書き方は教えられるか。教えられる部分もあるんじゃないか。ということで、世間に「作家としてデビューするための小説教室」が生まれます。小説を書くこととお金を得ることは、決して相反するものではない。むしろ、作家は職業になり得るものだ。と、70年代以降はますます、一般的な認識も進みます。

 そのなかで、先輩であり「盟友」の山村さんが亡くなるわけですが、だいたいこのころ、森村さんも自分のプロ作家としての実感を何らかのかたちで残しておきたい、と思いはじめていたそうです。

「小説を書き始めて四十二年。いつのころからか、小説に対する私の考えをまとめてみたいとおもうようになった。

(引用者中略)

まず手始めとして「文芸ポスト」二〇〇三年夏号に『作家の条件』を発表したが、三十枚程度のダイジェストであったので、意を尽くせない不満が残った。小説私観を集大成したものを書きたいという願いがたまってきたとき、ふたたび「文芸ポスト」から誌面を提供され、連載する機会を得た。これに総論を加え、加筆、訂正を施したものがこの一冊である。

(引用者中略)

『小説道場』と題したように実戦場ではないが、本書に書かれたことはすべて実戦に基づいている。」(平成19年/2007年10月・小学館刊、森村誠一・著『小説道場』「あとがき」より)

 「作家の条件」の発表が平成15年/2003年。ということで、ついこないだ触れた高橋源一郎さんの『一億三千万人のための小説教室』、保坂和志さん『書きあぐねている人のための小説入門』、大塚英志さん『キャラクター小説の作り方』あたりと、ほぼ同じ時期です。

 そういった雑魚ども(……すみません、筆が滑りました)とは違って、ン十年、原稿を売ってきた森村さんです。文章、文体、構成、プロット、といった現実的な小説のつくり方にとどまらず、そもそもアマチュアの書き手とプロの作家は何が違うか(何が違わなくてはいけないか)とか、デビューの方法、編集者のタイプ、プロとしてやっていくための心構えなどなど、「エンターテイメント小説をコンスタントに書き続けてプロでいること」の実態が語られていきます。

 実践的で具体的な例がいくつも挙げられ、「小説の書き方」本の体裁になっていますが、しかしおそらく森村さんの狙いはそこではありません。

 文芸教室について、森村さんは、正確な解答を他人から得るような場ではない、自分の求めているものとの齟齬からフラストレーションが溜まる場所こそ、文芸教室だ……みたいことを言っています(『本の旅人』平成14年/2002年4月号「小説を書くということ」)。講師たちの偉そうな経験談やアドバイスを聞く。いっしょに学んでいる仲間たちと話し合う。すべてが自分にフィットする解答ではないけど、そこにいけばたしかに、出版業界やプロ作家としての生活をイメージできる環境がある。それこそが、他に代えがたい山村教室の特徴で、森村さんの『小説道場』はまさしく、そういう「文芸教室」の空気を活字化しようと試みたものでしょう。

 その意味で、小説の書き方を解説した本のなかでも、より「小説教室」な一冊なのだろうと思います。

|

« 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 | トップページ | 平成29年/2017年、川越宗一、メールでの小説添削講座を受講する。 »

小説教室と直木賞」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。 | トップページ | 平成29年/2017年、川越宗一、メールでの小説添削講座を受講する。 »