平成14年/2002年、高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』がよく売れる。
▼平成14年/2002年、「小説の書き方」を書いた本が、すでにたくさん世に行き渡る。
話題になる本に、法則なんてものはありません。
どうしてこの本がベストセラーになったのか。……みたいな解説は、およそ後づけの産物です。だからと言って解説を否定したいわけじゃなく、そういうのはだいたい「後づけすることの快感」にひたるために存在しています。ワタクシも後からテキトーにこじつける快感は、読むのも書くのも大好きです。
なかでも本の売り上げに関するハナシは、文学賞と同じく、小説をとりまく話題のなかでも下世話で世俗的なものとして、いつも馬鹿にされがちなので、よけいにワタクシは興味が沸くんですが、過去のベストセラーのリストを見ていると、ときどきポッと加熱して売れ行きを伸ばすジャンルがあります。「小説の書き方」本です。
似たものに「文章読本」系というジャンルがあります。谷崎潤一郎さん、三島由紀夫さんなどビッグネームを筆頭に、この題名をもつ出版物がたくさん書かれ、昭和以降の出版経済を潤わせてきました。その状況を背景にして、過去にどんな「文章読本」系の本があったのか紹介する新聞記事や雑誌記事もまた、やたらと数多く書かれています。もちろん、それを研究している人もいると思います。
比べて「小説の書き方」本は、若干似て非なる、と言いますか、より実践的に読み手に創作の方法を教えて、小説を書く人=作家になる人を新たに生むことに重点が置かれています。現在でもそれなりの規模の本屋に行けば、何種類か並んでいるでしょう。そして、たいていそういう本のまえがきには、「世間には小説の書き方を解説した本がたくさんあるが、そのなかで本書の特徴は~」みたいなことが書いてある、というぐらいに、まあ、このジャンルの本は山ほどあるわけです。
山ほど増えたことと小説教室の歴史は、無縁じゃありません。日本では1970年代以降に、小説新人賞の発達、小説教室の充実、という2つの現象が起きましたが、これと歩調を合わせるように「小説の書き方」本も増加します。
「このあいだ、確かめたところでは、わたしの書斎の本棚には「小説の書き方」「小説教室」「小説はどうやって書くか」「小説家になる方法」「新人賞のとり方」「作家になるには?」といった、小説を書くための、もしくは、小説家になるための本が、三十一冊ありました。「SF作家入門」や「ミステリーはこう書け」といった、特定の小説の分野の書き方を教えるためのものを加えると、ざっと五十冊にもなりました。」(平成14年/2002年6月・岩波書店/岩波新書、高橋源一郎・著『一億三千万人のための小説教室』より)
と「少し長いまえがき――一億三千万人のみなさんへ」に書いたのが高橋源一郎さんです。こんなにもたくさん出ているんだよ、だけど私の知るかぎり、こういう本を読んで小説家になった人はひとりもいないのさ……と続けて、ほんとうに小説を書けるようになる本とはどういうものなのか、「小説の書き方」本を読んだところで小説家にはなれないんじゃないか、などなどを考察しています。
「小説の書き方」本を読んだって小説家にはなれない、というのは、高橋さんの一種のハッタリです。仮にじっさいの小説家のだれかが、えっ、わたし、「小説の書き方」本を読みましたよ、と手を挙げても、いや、そういう人は「小説の書き方」本を読まなくたって小説家になれた人だからね、と言ってしまえばいいだけのことです。○○をしたから小説家になった、というのは、論理的に実証できるハナシじゃありません。
それはともかく、どうして高橋さんの『一億三千万人のための小説教室』を引用したのか、というと、この本がけっこう話題になって売れたからです。
出版されたのは平成14年/2002年です。すでにこの段階で30冊以上は、容易に手に入る「小説の書き方」本が氾濫し、べつにそのすべてがクズ本だったわけではないはずですが、それでも高橋さんには、なお「小説の書き方」本を書く余地があって、そしてそれが一般の読者にもそこそこ興味をもって読まれます。そこが面白いところです。
高橋さんは、すっとぼけたようなフリをして実はまっとうに核を突く、あるいは身もふたもなくまっとうに論を展開しているようで、ネジくれている、という物書きです。『一億三千万人のための~』ももちろんその例に洩れません。それまでに書かれてきたプロットの立て方、構成を考えるときのコツ、会話文と地の文の使い分け、昔の作家の文章を筆写してリズムをつかむ、などの技術論のようなことをまったくひっくり返して、小説を書くのと人が生きるのとはほとんど同義なのだから、あなたが生きているだけでもうすでに小説を書きはじめていると言っていい……と語ります。
要は、これまでの「小説の書き方」本を前提にした、メタ「小説の書き方」本であり、アンチ「小説の書き方」本です。時代としては、小説教室の隆盛わずか20年程度しか経っていません。2000年代初頭、こういうものが出てくる素地がすでに築かれていた、ということを見ても、「小説、書いてみよっかな」と思わせる環境が、いかに急速な広がっていたのかが、よくわかるというものです。
○
▼平成15年/2003年、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』もよく売れる。
高橋源一郎さんは『一億三千万人のための~』のなかで、これまでの「小説の書き方」本が、「小説家じゃない人たち」によっていかに数多く書かれてきたかを指摘しています。
小説をどうやって書くのかは、じっさいに書いている人がいちばんよく知っている、と言われればたしかにそうです。ただ、当時「小説の書き方」本としておそらく多く読まれていたのは、三田誠広さんや久美沙織さんなどの本かと思うので、別に高橋さんが「はじめて小説家として小説の実践的な書き方を著した人」というわけじゃありません。
というなかで、高橋さんのアレは、やっぱり現役の小説家が書いたものだから実践的だよねー、と高評価を表明した人がいます。保坂和志さんです。
高橋さんの新書から1年ほど経った平成15年/2003年秋、保坂さんは『書きあぐねている人のための小説入門』(平成15年/2003年10月・草思社刊)を上梓します。これも数か月にわたっていくつかの書店のベストセラーリストに上がるなど、上々の売れ行きを記録した本です。
はじめのほうに、やっぱりお決まりの「小説の書き方本はたくさん書かれてきたけど……」といったフレーズが出てくるんですが、そこで高橋さんの本に触れられています。
「いま、書店には、「小説の書き方についてのマニュアル本」がたくさん並んでいて、その手の本は、小説を実地に書いていく作業を手取り足取り教えてくれるけれど、何かを直観的に感じ取れるような内容の本は、高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)くらいだろう。小説家が書いたのもこの本ぐらいで、他は小説を書くのを正業としていない人によるものだから、直観的に感じることの重要さがわかっていない。何も感じられないまま、マニュアル通りに小説を書いたとしても、それは小説ではない。」(保坂和志・著『書きあぐねている人のための小説入門』「I章 小説を書くということ」より)
保坂さんのこの本も、これまで小説教室の講師がおそらく繰り返してきた(と思われる)ような技術的な教えを、ほとんどなぞりません。文庫版のあとがきでは、作家志望者からたくさん手紙が来たけど「手紙の半数くらいは、自分がいままで信じてきたり、小説教室の先生から教わったりしたことにこだわっているために前に進もうとしていない」(平成20年/2008年11月・中央公論新社/中公文庫)んだそうです。つまり、保坂さんの本は、これまで流通していた小説作法に当てはまらない部分がけっこうある、ということを意味しています。
高橋さんにしろ保坂さんにしろ、「小説を書く」ことを意識的に自分のなかで突き詰め、それを文学論のいったんに組み込んで、いくつかの本を出していますが、2000年代初頭、より「文学」に傾いた小説の書き方本の送り手といえば、やはりこの二人の名が挙がるでしょう。ちょうど二人とも入れ替わったり、いっしょになったりしながら文藝賞の選考委員を始めたばかり、ということも(たぶん)あって、『文藝』誌上で「小説教室に飽きた人のための小説教室」(平成18年/2006年冬号、平成19年/2007年夏号)と題した特別対談もやっています。
新人賞という商業出版界の制度と、小説教室あるいは小説の書き方本とが、とてつもなく相性がよい、というのは先にも触れました。あまりに相性がよすぎて、「新人賞をとるための~」という目的を掲げた小説教室が各地にでき、また、どうすれば新人賞をとれるのかをえんえんと解説した本も、当然のように売り出されました。
その状況に対する反動として現われたのが、00年代はじめから半ばにかけて出てきた高橋、保坂、両人による「小説の書き方」本への反逆だった、と言えると思います。Aを達成するためにはB+C+Dが必要だ、といったいわゆるマニュアルじゃ、文学的な小説はできあがらないよ、という反逆です。
どちらが正で、どちらが悪ということもなく、綱を引いたり離したり、こういう現象の起きるところが、われわれの生きる社会の面白さでしょう。小説の書き方をマニュアルで教えることはできない。まったく、おっしゃるとおりです。そして、そういうなかでも小説教室が、なお勢いを失わずに拡大を遂げるところに、小説教室のもつ難しさと面白さもあるわけです。
| 固定リンク
「小説教室と直木賞」カテゴリの記事
- 平成29年/2017年、川越宗一、メールでの小説添削講座を受講する。(2021.05.30)
- 平成11年/1999年、山村正夫の急逝で、森村誠一が小説講座を受け継ぐ。(2021.05.23)
- 平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。(2021.05.16)
- 平成25年/2013年、石田衣良から小説指導が受けられる、ということが特典の「ノベリスタ大賞」始まる。(2021.05.09)
- 平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。(2021.05.02)
コメント