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2021年2月21日 (日)

平成5年/1993年ごろ、若桜木虔がプロ作家になるための小説講座を始める。

20210221

▼昭和52年/1977年、劇画原作の持ち込みからコネをつくった若桜木虔が、小説を刊行する。

 そして群雄割拠の時代がやってきます。

 「群雄割拠」という言葉は便利です。ワタクシもよく使います。要するに個々の事例を調べていくとキリのない複雑な状況が整理できず、とりあえずそれさえ言っておけば何かわかったふりができるという、魔法のような言葉です。「いま世界では数十億を超える人間が生きている。まさに群雄割拠の時代だ」と言っているようなものです。

 それで1980年代、小説教室でも「群雄割拠」が到来するんですけど、これもなかなか一言で言い表すことができません。単に「小説を書きたい人が増えていった」という事情だけでは片付けられない複雑な要因がからみ合っています。

 ひとつの要因に挙げられるのが、出版経済の豊潤化です。

 広く社会を見渡すと、直木賞ともうひとつの文学賞、この二つの賞が対象にしている小説は、ほんの一部にすぎません。そのニッチ性というか、希少性が「直・芥のほうが上等で、それ以外のものは数等劣る」という感覚を一般に広めるもとにもなっているわけですが(なっているのか?)、そういう小説観は、大した根拠のない思い込みに由来することがほとんどです。文芸方面で食っている作家や編集者、記者たちのプライドとか、昔から言われてきたことを盲目的に事実として認識する慣習とか、その程度のクダらない雰囲気のうえに、出版経済は成り立っています。アホらしいといえばアホらしい。ただ、面白いといえば面白いです。

 直木賞が頑として対象にしようとしない膨大な作品群。そちらはそちらで、はるか昔から賑わっていました。たとえば、映画化するために書かれたストーリーとか、映像作品のノベライズ、漫画を小説化したもの、貸本屋にしか出まわらない小説、倶楽部系の雑誌に掲載される読み物、エロ・グロを売りにしたもの、官能小説、SM小説、映画スター・芸能人・スポーツ選手を主人公にしたモデル小説、少年少女向けと謳われた作品、児童文学、ジュニア小説、ライトノベル……。

 まだまだいくらでも挙げられそうです。正直、こういったものが出版界に存在せず、本になって流通することがなければ、日本の近現代の出版は、もっと貧弱でお寒いことになっていたでしょう。

 「いわゆる文学・文芸」に関するものなんて、全体のなかのほんの一握りにすぎません。文学賞にしても小説教室にしても、事情は同じです。

 というところから、直木賞に近接するものだけを見ていても直木賞をとりまく全体像なんてわからないんじゃないか。……とワタクシも思うようになってきまして、そもそも「小説教室と直木賞」というテーマ設定に無理があっただけなんですが、「群雄割拠」を群雄割拠たらしめるバラエティに富んださまざまな事例のうち、ここら辺でもう少し視野を広げてみたいと思います。

 70年代後半から80年代、朝日カルチャーセンターの二匹目のどじょうを狙って、多くのマスコミ企業が似たようなカルチャースクールをつくりましたが、平成5年/1993年ごろ、読売文化センターやNHK文化センターで「プロ作家になるための」と銘打って小説教室を開講した人がいます。若桜木虔さんです。

 何者でしょうか。昭和22年/1947年静岡県生まれ。祖父に、正岡子規の同窓だった稲村真里さんがいて、幼少のころから書物や活字に囲まれた環境で育ち、いつか自分も物書きになりたいと夢見る学生時代を送ったそうです。

 大学は東大に進学。その後大学院に進んで植物遺伝学の専攻しましたが、院に在籍中にからだを壊し、将来への不安を抱えます。研究者の道の他に、メシを食うために自分は何ができるか。そこで考えたのが物書きとして収入を得ること。お金になる文章は、いわゆる文芸や小説だけじゃない、というところに鋭く気づき、劇画の原作なら手っ取りばやいだろうと考えて、漫画誌を出している各出版社に持ち込みで営業をはじめます。1970年代のころです。

 文字に起こした物語のストーリーが売り買いされる土壌が、すでにそこにあった、というわけですが、それはもう出版経済の豊潤と言うしかありません。編集者からの厳しい要求を受け入れた勤勉な若桜木さんは、劇画原作を次々と書くうちに採用されはじめ、収入の道がひらけ、そこから小説の刊行へとつながります。処女出版は『小説 沖田総司』(昭和52年/1977年9月・秋元書房/秋元文庫)。矢継ぎ早に書下ろしの刊行をつづけるなかで、とくに翌年、集英社のコバルトシリーズから出した『さらば宇宙戦艦ヤマト』(昭和53年/1978年8月)、『宇宙戦艦ヤマト』(昭和53年/1978年9月)などは相当の部数が売れた、と言われています。

 こういうものを小説とは呼びたくない。文学なんて言えるわけがない。という感覚はいまもあるでしょう。当時ならよけいに文芸方面からの分断意識は強烈だったと思います。しかし現実として、自分の頭から文章を紡ぎ出し、読者を喜ばせる技術をもって、商品になり得る本をたくさん書くことでお金を得る職業がある、ということを否定しても始まりません。むしろ出版経済は、若桜木さんのような人たちによって大きくなり、発展してきた、と言ってもいいぐらいです。

 「作家」というものが、文学学校での研鑽や、評論家や編集者による文学指導によって生まれることもあるでしょう。しかし、すべて世界は一律ではなく、あえて文学の意識を外したところに花咲く小説もあります。1990年代、若桜木さんは「小説教室」のビジネスに進出することになりますが、そこに文学臭は一切ありません。しかもそれが功を奏したか、「群雄割拠」の一端を担う小説教室の講師として、ぐいぐいと名を挙げることになるのです。

          ○

▼平成10年/1998年、若桜木虔『作家養成講座』を刊行。

 小説教室に通ったからといってプロの作家になれるとはかぎりません。それは若桜木さんの教室だって同様です。

 全国各地にたくさんある小説教室のうち、どこを選べばいいのか。20年以上まえの文章なので、もはや通用しないかもしれませんが、いちおう時代的な資料の意味でも挙げておきます。若桜木さん自身のことばです。

「講座は月謝を払って熱心に長期間、通ったからといって、結果(プロ・デビュー)が約束されているわけではないので、体験入学をしてから決めるとよい。

ここで注意しなければならないのは、売れなくなってしかたなく食い詰めて講師をやっている作家もいる、ということである。

教えを仰ぐからには、実績のある作家でないと駄目である。売れなくなった作家の推薦状など、持ち込みに際して何の役にも立たない。(平成10年/1998年3月・KKベストセラーズ刊、若桜木虔・著『作家養成講座 それでも小説を書きたい人への最強アドバイス95』「14 どうしたらプロ作家や編集者と知り合えるか?」より)

 売れなくなってしかたなく小説教室の講師を引き受けている人たち。……これもまた群雄割拠の世界が生んだ悲惨な(いや、面白い)現象といえるでしょう。

 それはともかく、若桜木さんは大量の本を出しつづけ、文筆で生活できている数少ない部類の作家、ということになっています。講座は、読売とNHKそれぞれの町田にある教室で開かれたほか、メールによる添削講座なども開設。ここで学んだ受講生がぞくぞくと出版社への持ち込みや、新人賞受賞、あるいは候補に残ったりして作家デビューを果たしている、ということです。

 わかるかぎりで若桜木教室出身の人を挙げてみます。田牧大和、米田淳一、有間カオル、山田剛、山中將司、加藤廣、石川渓月、平茂寛、木村忠啓、小島環、泉ゆたか、仁志耕一郎、鳴神響一、西山ガラシャ、赤神諒……きっとまだまだいますが、以下割愛します。

 何だよ聞いたことのない作家ばっかじゃんか。と馬鹿にする人がいるかいないかわかりませんが、少なくとも出版経済が直木賞だけで回っているわけじゃないことはわかります。「直木賞こそ文芸出版の最高峰」みたいな言説を見かけると、おのずと首をかしげてしまうワタクシのような人間にとっては、むしろ若桜木さんやそこで学んだ人たちが、とくに直木賞とまじわることなく、だけど多くの読者を獲得したり、長くプロ作家として存在感を示していって、「直木賞なんて大したことないよね」という風を起こしてくれることを、ひそかに願うばかりです。

 今週もまた、直木賞から遠く離れたハナシに終始してしまいましたが、10年くらい前の記事で若桜木さんがこんな発言をしていたのを見つけました。「直木賞」という言葉が出てきます。引いておきます。

「小説の添削に追われる毎日だが、「受講生の成長を見るのが楽しい。多摩地区から直木賞、江戸川乱歩賞など、ビッグタイトルの受賞者を育てたい」と意欲にあふれている。」(『読売新聞』平成23年/2011年5月30日「たま人 作家養成講座講師 若桜木虔さん」より ―署名:三浦岩男)

 えっ、そうなのか……。「直木賞も乱歩賞もうちには関係ないよ、こっちのほうが面白くて売れつづける小説だからね」といったような反発心があってもおかしくないと思ったんですけど、別にそうでもないようです。いや、でも考えてみたら、肩に力を入れていないフラットな風合いこそ、若桜木さんやその小説講座の特徴なのかもしれません。

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