昭和54年/1979年、池袋コミュニティ・カレッジがオープン、都筑道夫の小説作法も開講する。
▼昭和54年/1979年、池袋の西武百貨店に池袋コミュニティ・カレッジが設立される。
創作教室が注目されだした1980年前後。いろんな企業が講座をつくりました。すぐに終わったものもあれば長命を保ったものもあります。当然、人気や実績も一様ではなく、それぞれバラツキが出てくるわけですが、とくに花形と目されたのが、下記の「三大小説教室」です。
ブームの発端となった朝日カルチャーセンター。それと、池袋コミュニティ・カレッジ、講談社フェーマススクールズです。
……すみません、「三大うんぬん」と呼ばれていたのがほんとうなのか、確たる証拠もないんですけど、とりあえずひんぱんにメディアに取り上げられ、プロ作家になった出身者も多く、80年代以降の隆昌を支えたという観点で見ると、やはりこの三つは無視できないでしょう。
朝日カルチャーについては、すでに何週か取り上げました。いわゆる「新聞社・マスコミ系」のひとつです。母体の企業は、古くからいかにも文化に強そうなことを手がけてきたイメージがあり、また宣伝力は爆発的なものを持っています。
対して、土地や地域という空間的な面からの集客をもくろんだのが「百貨店・鉄道系」と言われる諸企業です。そして、その代表格が西武百貨店に生まれた池袋コミュニティ・カレッジだ、ということになります。
ごぞんじ、賛否両論、毀誉褒貶、兄弟喧嘩とともにあった西武グループ。「1970年代の日本のカルチャー現象をひとつ語れ」と問われた日本人の、10人中4~5人はおそらく「セゾン文化」を選ぶでしょう。
いや。2~3人かもしれません。人数はどうでもいいです。ともかく昭和48年/1973年、渋谷パルコの開店に伴って西武劇場(パルコ劇場)を開館させ、昭和50年/1975年には西武池袋店に西武美術館、書店「リブロ」、アート専門書・レコード店「アール・ヴィヴァン」を開業させたときにグループのトップにいたのが、「詩人経営者」でおなじみ、堤清二=辻井喬さんです。その堤さんが次々と手がけた事業のひとつにあったのが、ターミナル駅のそばにカルチャー教室を設けることでした。
ということで、所沢から池袋に至る埼玉県西域に住まいをもつ老若男女の、うちに秘めた学習意欲をごっそりと掘り起こして収益に転化できたらいいなと、池袋にコミュニティ・カレッジをつくります。開講したのが昭和54年/1979年。朝日カルチャーセンターの始まりが昭和49年/1974年4月ですから、それから5年ほど遅れてのスタートです。
そもそも小説教室のことだけで大規模カルチャースクールを語るのは無謀だと思います。おそらく西武のコミカレも、もっと広い視点でとらえないといけないんでしょう。そこからどんな人材が育ったか。その観点だけ見ても、かならずしも受講生だけが出身者とは言えません。一時期、コミカレで企画を担当する「中の人」として働き、のちに物書きとして羽ばたいた人に保坂和志さんや岡本敬三さんがいるそうですし(平成22年/2010年9月・朝日新聞出版刊、永江朗・著『セゾン文化は何を夢みた』)、池袋駅近辺の美術館、書店、レコードショップ、その他もろもろの拠点が線となり面となって、そこで働く人や利用する人やただ通り過ぎるだけの人のなかから、有象無象の作家が生まれます。
要するに、目には見えなくても、場所や建物のたたずまい、地域一帯の全部で他との違いが出るのが「文化」というものだ。と言い出したらそうかもしれません。池袋コミカレにしても、多少はセゾンの色が強みになったことと思います。
ただ、小説教室に限っていえば、同校にだけ何か特色があったわけではなさそうです。力のある人がたまたま広告か何かで知って入学してくれたおかげで、新人賞をとって世に出る受講生が現われた、という幸運の女神が付いていたことが、特色といえば特色でしょう。たとえば純文芸の実作は、林富士馬さんと尾高修也さんのクラスがありましたが、とくに尾高さんの「小説の作法」講座はバツグンに運に恵まれ、1980年半ばには早くも世間に知られる存在になります。
というのも、朝日カルチャーの駒田教室から生まれた『まくた』や『蜂』、久保田教室の『よんかい』などと並んで、尾高クラスからは同人誌『こみゅにてぃ』が誕生。そこから芥川賞候補に選ばれた飛鳥ゆうさんと、芥川賞候補三度の(さらには朝日新人文学賞を受賞した)魚住陽子さん、という二大巨頭が出てしまい、「小説教室に通いながら同人誌に参加して世に出る」というコースが当り前のものと見なされる状況を、はっきり確定させたわけです。いや、おれは見なしていないぞ、と反論する人がいるかもしれません。すみません。
ともかく、ここでも小説教室と文学賞との関係性が、両者それぞれの注目度を高めたことは間違いない、と言っておきたいと思います。小説教室あるところ、かならず文学賞の影がある。……ああ、何と美しい共存関係でしょうか。思わず目頭が熱くなります。
古く明治から勃興した懸賞小説、時を経て文学新人賞と呼ばれるようになった制度があります。いまは冴えないわたしだけど、受賞してまわりからスゴイねと見直されたい。あわよくばそのまま作家になっちゃいたい。だけど自分にそんな才能があるかどうかがわからないし、人生かけて文学修業するのは、非効率でアホらしい。お金を出して小説教室に通う、という文学賞への近道ができたんだから、それを利用したっていいじゃないのさ。……という発想は、もしかしたら馬鹿にする人もいそうですけど、けっきょく本人が本気で努力しなきゃいけない点では、従来の文学修業とあまり変わりません。
入口は、オシャレで活気のある百貨店のカルチャー教室。だけど、先へ先へと進んでいけば、蛇も出てくりゃ鬼もいて、最終的には苦難の道が待っている。と考えれば、80年代につぎつぎと敷居の低い入口ができたことを批判する気にはなれません。
○
▼昭和54年/1979年、都筑道夫が「エンタテイメント作法」の講座を始める。
さて、池袋コミカレというと、純文芸を教える尾高さんがいるいっぽうで、「エンタテイメント作法」講座を受け持つ都筑道夫さんがいました。硬軟の小説に関する教室がバランスよく、両雄並び立ったところが、このカルチャー教室の特徴かもしれません。
都筑さんの『推理作家の出来るまで』下巻(平成12年/2000年12月・フリースタイル刊)にある、日下三蔵さんが制作した年譜によると、都筑さんが小説の書き方を教えるようになった履歴として、昭和51年/1976年、47歳のところに「日本ジャーナリスト専門センターで小説講座を担当」という一文が出てきます。この当時の受講生には、薄井ゆうじさんや小杉健治さんがいたそうです。それから昭和54年/1979年10月に池袋コミカレが開設されると同時に、都筑さんのエンタテイメント作法の講座も始まった。と言いますから、朝日カルチャーによって温まった小説教室の風土は、70年代を駆け抜けて一気に娯楽小説のほうにまで広がっていった、ということでしょう。この猛スピード感が、背筋の凍るほどに面白いです。
少しあとの時代の資料ですが、都筑教室がどんなことをしていたのか、案内文があったので載せておきます。
「誰にでも書けそうでいて、実際に書いてみるとなかなか難かしいのが、エンタテイメントと呼ばれる小説。そのテクニックや約束ごとを、実際に小説を書きながら学ぶ講座です。」(『季刊全国作品コンテスト公募ガイド』昭和61年/1986年秋号[9月]「投稿に役立つカルチャー講座」より)
この講座はその後も長く長くつづいて、直木賞との関係でいうと、のちに『まんまこと』で第137回(平成19年/2007年上半期)の候補になった(というか《しゃばけ》シリーズで知られる)畠中恵さんを出したことでも有名です。のちにまた取り上げる機会があるかもしれません。
80年代のハナシに戻すと、上記に挙げた『公募ガイド』の前身となった季刊誌では、都筑教室から新人賞でデビューした人ととして、高森一栄子(のちの「高杜一榮」)さんが顔写真入りで紹介されています。高森さんの文は「あらゆる賞があり、今は新人が出やすい時代なのだという。そのための文章講座があちこちに出来ている。」と始まるところから、80年代なかごろの、新人賞と小説教室の蜜月感を端的に表わしていて貴重なんですが、文章講座に通う人たちへのアドバイスもしっかり記されています。興味のある人は要チェックです。
要チェックといったって、30数年前の雑誌に載った記事がどこまで有用なのか。ワタクシには判断つきませんが、同誌の同号にはいまひとり、池袋コミカレから生まれた作家が取材されています。尾高さんの「小説の作法」講座に通って、昭和61年/1986年に「ドアの隙間」で第22回作家賞を射止めてしまった48歳の主婦、鈴木真奈美さん……ということはつまり、先に挙げた『こみゅにてぃ』の飛鳥ゆうさんです。他では見られないこういう文献がぞくぞくと目にできる、という意味でも、文学賞や小説教室の歴史を知りたいなら、『公募ガイド』のバックナンバーは本格的に調べないとなあ、と強く思うところです。
ハナシがズレてしまいました。すみません。少なくとも、新人賞に応募したいと思った人が手にとる『公募ガイド』のなかに、うまくいった人の例として、コミカレ出身者が2人も出てくる。というところからも、より新人賞に近い存在として池袋コミュニティ・カレッジが受け止められていた、と言っていいでしょう。
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