昭和61年/1986年、エンタメ系小説教室出身のヒロイン、宮部みゆきが世に出る。
▼昭和61年/1986年、山村教室一期生の宮部みゆき、オール讀物推理小説新人賞を受賞する。
先週につづいて講談社フェーマススクールズ(FS)のハナシです。
昭和59年/1984年、山村正夫さんの「エンタテインメント小説作法」講座が始まりました。このころ、出版界では盛んに「文芸不振」と言われていた……というのは、何週かまえに高橋昌男さんの言葉で確認しましたが、落ち目と見られていたのは純文学ばかりではありません。1950年代以降、隆盛を誇って我が世の春だった中間小説の雑誌も、80年代には早くも下降線をたどりはじめます。短い天下でした。
いっぽうで出版界全体では、浮き沈みを繰り返しながら市場規模が拡大していきます。1980年代なかば、いっときの「不況」を抜け出すと、そらきた雑誌を出せ、本を出せと、手当たり次第に素材を見つけてきては、印刷に乗せて世間に放っていた時代。なかでも世間の関心を呼ぶのは、芸能人やその周辺のことだ、ということで有象無象のタレント本がわんさか量産されたことを、歴史上の汚点とみるか快挙とみるか。それは人それぞれでしょうけど、事実としてはそういうことです。
対して、まじめで堅い本が売れたのも、やはりこのころの特徴だったと言われます。その一端が「ニューアカ・ブーム」というものですけど、要するに硬軟おりまぜて、さまざまな種類の本が出て、いまより出版界が潤った時代です。当時の日本人たちが読書好きだったから、というよりも、日本の景気に上昇傾向があったことが、理由の大半かもしれません。
社会の状況が変われば、当然、文学をとりまく環境も変わります。ここで急激に力を持ったのが小説教室です。そして文学賞です。
新しい小説誌が創刊されるとなれば、原稿募集の文学賞ができる。実業のほうで儲かった大企業が、文化的な事業にも手を伸ばして、新しい文学賞の後援につく。文学修業を何十年もやっているような社会不適合者じゃなくても、主婦が、芸能人が、小説を書いたら直木賞でも芥川賞でもとれちゃうようになる。ブンガクは限られた人間だけが生み出すものではない、あなたにも才能が眠っているかもしれませんよ、一発当たれば夢の印税生活がすぐそこに……という浅ましいコピーに釣られた人も、多少はいたかもしれません。ともかく市場には一般向けのワープロが売り出され、わたしも小説を書いてみようか、という環境がぐっと身近なものになりました。
そこから生まれた代表的なヒロインが、宮部みゆきという作家だった。
……と言い切ると語弊があるので、やめときますけど、昭和59年/1984年、法律事務所に勤める事務のOLさんが小説教室に通って才能を開花させ、新人賞をとり、本を出し、あれよあれよと人気作家になって、10数年たった平成11年/1999年には、38歳で第120回(平成10年/1998年・下半期)直木賞を受賞。プロの作家としてコンスタントに売れる小説を書き続け、さらに10年後の第140回(平成20年/2008年・下半期)からは、48歳の若さ(?)で直木賞の選考委員に就く。という、はたから見ても恐ろしいぐらいのサクセスな歩みを見せます。
小説教室と直木賞との関係性の歴史は、けっきょく宮部みゆき一人を生み出したことに尽きるのではないか。と言ってもよく、ここから先、宮部さんのハナシだけすれば事足りるかもしれません。だけど一人の作家にのめり込むガラではないので、ここでは簡単に、当時の講談社FSのことを取り上げるにとどめます。
『宮部みゆき全一冊』(平成30年/2018年10月・新潮社刊)には本人への長いインタビューが載っていますが、デビューにいたるまでのことも出てきます。講談社FSの「エンタテインメント小説作法」講座は、主任講師が山村正夫さん。ほかにゲスト講師として多岐川恭さんや南原幹雄さんもいたそうです。宮部さんは昭和59年/1984年から1年半通ったけど、受講料が高くて教室には通えなくなった、と言っています。
「――フェーマススクールズには、結局何年ぐらい?
宮部 一年と半年でやめました。月謝が続かなくなっちゃったんです(笑)。毎月一万円と、それとは別に作品を提出する時に印刷代がかかるんですよ。これが意外と高くてね。」(『宮部みゆき全一冊』所収「宮部みゆき作家生活30周年記念超ロングインタビュー 立ち止まって振り返る30年の道のり」より)
受講しなくなった、と言ってもこのころすでに、講座のなかでも光る存在だったんだろう、とは推測できます。その先に「当時お世話になっていた」人として講談社の編集者・林雄造さんの名前が出てくるのを見ても、新しい書き手として業界人から目を付けられていたんでしょう。何といってもデビュー前から文芸編集者の世話になれる、というのが、講談社FSのいちばんの特長です。
ちなみに当時の宮部さんのキラめきぶりは、教室のなかでも伝説になったようで、後輩にあたる久保田滋さんも語っています。「弁護士事務所の事務員だった宮部みゆきが受講生の頃は、とにかく着想がユニークで、『この子はどこかが違う』と講師全員が驚いたそうです」(『ダカーポ』平成15年/2003年9月17日号「文壇デビューをめざせ!1か月で小説をモノにする 書き方を実践的に学べる教室で、切磋琢磨する」より)……なんだそうです。
在学中から小説教室の仲間たちと新人賞に投稿しはじめますが、宮部さんが最終候補に残り出すのが、FSをやめて1年ほど経った昭和61年/1986年から。オール讀物推理小説新人賞と歴史文学賞(佳作)に選ばれるのは、その翌年のことです。順風満帆というか、バツグンな経緯すぎて、呆然とするしかないですけど、ワープロとFSの教室がなければ、宮部さんが専業作家になることもなかった(はず)、と考えると、プロの書き手になりたいと思う人たちが集まる場所、しかも一般の人も気軽に参加できる教室が、1980年なかばに現れたことは、小説教室の歴史にとって大きかったのは間違いありません。
残念ながら大局的に見ると、1980年代から2020年にいたるまでの文芸出版の歴史は、徐々に規模は縮小、書きたいやつばっかりいて読みたいやつがいない、お先真っ暗な業界、という経緯をたどってしまいます。それでも小説を書くことが職業になるという事実は、いまもまだ変わりません。1980年代。ちょっと遅かったかもしれませんけど、しっかりプロ作家養成機関のかたちを生み出せたのは、講談社FSの大きな功績です。
○
▼平成16年/2004年、山村教室から世に出た鈴木輝一郎、小説講座の講師になる。
と、講談社FSを見ていて面白いのは、のちにプロ作家になる人が多いので、この教室のことを書き残した文献も多く、外にいる無関係な人間にも文化の継承がわかるところです。
文化の継承というとオーバーですが、宮部さんがオール讀物推理小説新人賞を受賞したとき、『オール讀物』昭和62年/1987年12月号に「受賞の言葉」が載りました。「三年半前フェーマススクールの門を叩き、大好きなミステリーを「自分で書く」楽しみを」うんぬんと書いてあるのを見て、何なんだフェーマススクールというのは、そんなものがあるのか、と目を見開いたのが、このとき「ハートブレイカー」で最終候補に残りながら落選した、岐阜在住の鈴木輝一郎さん。東京にそんなところがあるのなら、おれも学びたい、と生来の行動力を発揮して、昭和63年/1988年4月から山村教室の受講生になります。
けっきょくこの年で、講談社FSの講座は会社の事情で閉鎖されることになりますが、せっかく通い出したところで放り出されるのはイヤだと、仲間たちといっしょに駄々をこね、山村さんにお願いして私塾としての山村教室を開いてもらうことに成功。新人賞の受賞には至りませんでしたが、そこで出会った編集者たちに原稿を見てもらううちに、書き下ろし小説として『情断!』(平成3年/1991年3月・講談社/講談社ノベルス)でデビューを果たします。
職業作家は「なること」よりも「続けること」のほうが大変だ、という状況を身に染みて経験すること、まもなく30年。その間、鈴木さんは「めんどうみてあげるね」で日本推理作家協会賞をとり(平成6年/1994年)、『狂気の父を敬え』で大藪春彦賞の候補に選ばれ(平成10年/1998年度)、『何がなんでも作家になりたい!』を刊行し(平成14年/2002年9月・河出書房新社刊)、NHK名古屋文化センターで小説講座を受け持ち(平成16年/2004年~平成18年/2006年)……といったところから「小説の書き方を教える現役作家」としての仕事が増えていきます。受講生のなかからは新人賞を受賞する人も順調に育ったそうです。
鈴木さんいわく、「NHK名古屋文化センターのときに山村正夫先生流の教え方でほぼ間違っていないことがわかった」(平成25年/2013年8月・河出書房新社刊『新・何がなんでも作家になりたい!』)とのことで、新たに「ぎふ中日文化センター」で始まった小説講座では、プロ作家を養成することをはっきり打ち出します。
講談社FSが、プロの作家を生む。しかもそれだけで終わらずに、さらに「プロの作家になることを想定した小説講座で教える、プロの作家兼講師」を生んだことになります。
これもひとつの文化の継承でしょう。つづいて次世代にも、小説教室のかたちが残っていくといいなと思います。
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