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2020年7月19日 (日)

大正15年/1926年頃、木村毅が本格的な小説研究(および創作作法)を講じ始める。

20200719

▼大正14年/1925年、木村毅が『小説研究十六講』を刊行

 いまの日本で、歴代すべての直木賞候補者を把握できている人は、果たしてどれだけいるんでしょうか。ワタクシ自身、直木賞専門サイトを20年以上やっていますけど、まだ全員のことは把握できていません。

 というのも、直木賞の歴史には「木村問題」という難題があるからです。

 直木賞の資料のひとつに「予選通過作一覧」というものがあります。過去、文藝春秋や日本文学振興会が何種類かの一覧を発表してきました。ただ、うちのブログでも何度かツッコんだことがありますが、その内容はそれぞれ微妙に違っていて、正直どれが正解なのかわかりません。とくに戦前についてはグレーゾーンの闇の中。解釈次第で、誰を候補者と見なすかに違いが出てきます。たとえば、第1回(昭和10年/1935年上半期)の候補者として「木村哲二」という作家の名が挙がることがありますが、この回の選評を見ても「木村君」と、姓しか書かれていません。

 いっぽうで木村毅さんの回想文があります。毅さんは哲二さんと違って、昭和10年/1935年当時すでに文筆家としてけっこう売れていましたし、その後も昭和54年/1979年まで生きて、膨大な量の読み物、小説、エッセイ、研究書を残しました。そのなかにこんな一節が出てきます。

「後に私は、大衆小説家となるとき「旅順攻囲軍」というのを処女作とした。第一回の直木賞の候補の呼び声があったらしく、菊池寛が私をよんで、

「しかし君は、直木と同級で、そんな物もらっても喜ぶまいと思うから、僕が独断ではずした。諒承を乞う」

と言ったことがある。」(昭和54年/1979年9月・青蛙坊/青蛙選書、木村毅・著『私の文学回顧録』「二一 内務班病気天国」より)

 ほお、こうなってくると、第1回の選評で吉川英治さんが書いた「木村君」とは、木村毅さんのことではないのか。……という想像も、あながち的外れではなさそうです。

 しかし、この説が悲しいのは、ほかに当時の事情を知る人からの補足証言もなく、菊池さんから聞いたという本人による思い出でしかないことです。信憑性という点では、かなり分が悪い。と言うしかないですけど、ともかく「小説教室」との関連で直木賞を語るなら、木村さんを外すわけにはいきません。もしかしたら菊池寛さんより重要な人物かもしれません。

 それは、日本で最初に、創作を中心にした教室もしくは講座を始めたのは誰なのか、という難問中の難問に、木村さんが関わっているからです。

 先週まで何回かにわたって、1930年前後の専門学校や大学における創作科について触れてきました。しかし、日本初はどれなんでしょうか。小説とはそもそもどのように成り立っているのか、それを書くにあたって具体的にはどうするべきなのか。大勢の生徒が顔を合わせるリアルな教室で、創作を教えた日本人が誰だったのか、その起源が気になります。しかし、はっきり言ってよくわかりません。

 創作講座のなかでも、書籍や活字によるものは、けっこう以前からあります。

 何といっても、小説の書き方・指南書という意味では、坪内逍遥さんの『小説神髄』(明治18年/1885年、明治19年/1886年・松林堂刊)なんてものが有名です。いやいや、馬鹿ヤロ、あんなものを読んでじっさいに小説なんか書けるかよ、と思うでしょうか。それとも、十分に小説教室の前身でしょ、と言い張れるでしょうか。いろいろ異論はあるでしょうけど、少なくとも坪内さんは早稲田で創作の授業をした人ではありません。

 川端康成さんによると、この『小説神髄』は小説作法としては日本最初かもしれない、しかし「わが国で小説の綜合的な科学的研究を最初に行ったもの」は、木村毅さんの『小説研究十六講』(大正14年/1925年1月・新潮社/思想・文藝講話叢書)なんだそうです(昭和16年/1941年8月・三笠書房/現代叢書『小説の構成』)。木村さんは早稲田で直木さんと同級ですから、大正終わりにだいたい30歳を迎えたお年頃。かたわら直木さんは、一年ごとに筆名を変えるとかいう珍妙なパフォーマンスをやっていた時代にあたります。ご両人ともおおよそ同じころに、ジャーナリズムに名前が売れ出したわけです。

 『小説研究十六講』も、じっさいは教育の現場から生まれたものではありません。発想は海の向こうのイギリスやアメリカなどで先行していた小説論がもとになった、と言われます。同書の凡例には、典拠とした参考書が挙げられていて、第二講「西洋小説発達史」はEdmond Gosseの"Novel"(Encyclopedia Britanica所載)、第四講から第十五講の「小説の目的」「リアリズムとロマンティシズム」「小説の基礎」「プロットの研究」「人物・性格・心理」「背景の進化とその哲学的意義」「視点及び基調の解剖」「力点の芸術的職能」「叙事詩・戯曲・小説」「長篇・中篇・短篇」「短篇小説の構成」「文体・対・内容と形式」の部分はClay-ton Hamiltonの"A Manual of the Art of Fiction"、第十六講「作家を中心としての小説の考察」はBliss Perryの"A Study of Prose-Fiction"が紹介されています。

 とまあ、ずらずらと書いてしまいましたが、木村さんがうちのブログに登場するのにふさわしいのは、研究的な小説論をしたためたためではありません。欧米の創作論・小説論を吸収し、じっさいに日本の教育現場でこれを実践した最初の人が、木村さんだったからです。

          ○

▼大正15年/1926年頃から、木村毅が大倉高商、明治大学、立教大学で小説論・小説作法を講義

 すみません、言いすぎました。おそらく自分が日本で最初だろう、と木村さんが発言している。……というのが正確なところです。

 昭和25年/1950年に書いています。

「小説の理論、歴史、作法。――そういう物をはじめて教科目として取り上げたのはアメリカのシカゴ大学である。最初の開講の時期は、シカゴ大学に、問い合わせてみないと、よく分らないのだが、二十世紀になつて早々のことで、多分一九〇二年か三年だと推定される。

(引用者中略)

日本でも源氏や西鶴や明治の露伴、漱石など、作家論は学校で教えるだろうが、独立の小説論もしくはその作法を講じている学校は、今でも絶無に近いだろう。多分、大正の十五年頃から、私が、大倉高商や、明治大学、立教大学で講じたのが、日本では最初ではないかと思つている。それについでは谷崎精二教授が早稲田で講ぜられたという事だつた。」(『文章倶楽部』昭和25年/1950年10月号「小説教室 大学の教科目としての小説」より)

 最も早いのがアメリカのシカゴ大学で、1900年代に入ってすぐに誕生したはずだ、ときっぱり言っています。……ひやあ、マジですか木村さん!? そんなこと、はじめて知りました。

 創作指導に関するハナシは、このつづきに出てきます。貴重な記述だと思うので、もう少し引用します。

「シカゴ大学などの例をみると、小説論、小説史、以外に「創作指導」という時間がある。

アメリカでは段々にこれが盛んになつて、夏期大学(University extention)などでは、ことに人気を呼ぶ科目になつている。私は、前年アメリカにいつた時、そんなものは卒業したつもりでいたから、実地の教室は一つものぞかなかつたが、その講義の書冊になつたものはたくさん持つている。

そして、その方法を、私の受持ちの学生に実施して見たことがあつた。」(前掲「小説教室 大学の教科目としての小説」より)

 アメリカではたくさん出ていた、という創作指導講座を書籍化したもののうち、木村さんが教材としてよく使ったのは、Blanche Colton Williamsの"Handbook of Story-Writing"だったそうです。

 Blanche Colton Williamsには、大正6年/1917年にニューヨークのドッド・ミードから出した"A handbook on story writing"という著作があるらしく、おそらく木村さんが指しているのは、これのことでしょう。創作の指導教室は、1900年代に入ってアメリカで勃興し、1910年代には盛んになっていた、と仮説を立てると、日本ではおよそ20年から30年遅れで、その熱に火がついたことになります。

 昭和の一時期まで、たいていの文化的事象は海外からの模倣だった、とはよく言われるところです。創作教室も、文学賞も、いずれもその点で共通していた。ということになりますが、直木三十五さんは明治24年/1891年生まれで、木村毅さん明治27年/1894年生まれ。菊池寛さんはちょっと年上の明治21年/1888年生まれ。いわば維新を知らない明治20年代生まれの人たちが、おおよそ30代から40代に差しかかった働き盛りのころに、創作教室の文化が日本の文学の土壌に芽生えます。

 それが日本の文学を発展させたのだ、あるいは堕落させたのだ、……いずれとも言えますが、まあ日本の近代文学そのものが明治20年代以降のものです。こんなことで発展や堕落を語ろうとするほうが、馬鹿バカしい気もします。

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