大正13年/1924年、『女性改造』が懸賞小説募集と小説作法の講座を、同時に始める。
▼大正2年/1913年ごろにブランシュ・コルトン・ウイリアムズの創作コース開始
創作教室はどこでどのように始まったのか。とりあえず20世紀初頭、アメリカの大学で誕生したらしいことはわかりましたが、それ以上知ったところで、腹の足しにもなりません。さっさと飛ばして、今日の本題に行きたいと思います。
先週調べたように、おそらく日本で最初に創作の授業をやった(と自負する)人に、木村毅さんがいます。彼が参考にしたアメリカのテキストのひとつは、クレイトン・ハミルトン(Clayton Hamilton)の"A Manual of the Art of Fiction"(大正7年/1918年・ダブルデイ刊)でした。そして木村さんと同じ時期に、同じハミルトンの著作をベースにして小説論を書いたのが森田草平さんです。
……と、さっさと先を急ごうと思ったんですが、やはり気になるので補足しときます。アメリカでの、創作教室のハナシです。
木村毅さんは『文学修業』(昭和31年/1956年5月・洋々社刊)「第一〇章 百万人のための小説作法」で、小説の研究書のことを紹介しています。いわく、世に流布する小説研究の本には三種類あるそうで、一つ目は「学」としての書物。ハミルトンの本は、どうやらここに入るらしいです。二つ目が、作家の立場から書かれた小説作法書。それまで英米にもたくさんあったし、日本でも田山花袋さんや川端康成さんの他、何十人もの作家が著しています。そこまで珍しいものではありません。
注目したいのは、三つ目です。
「もう一つは、大学で小説作法の実習を指導している青年教授の著書で、これはアメリカ以外では、おそらく出ておらぬだろう。心構えとか、人間修養とかには一切ふれず、全く技術として、図解や、数学的解剖によって、説くのである。コロンビヤの助教授のウイリヤムズなどが始めて、アメリカの諸方の夏期大学では、なかなか盛んである。私が戦時中出版した改版の『小説の創作と鑑賞』には、主としてその方式が採用してある。」(木村毅・著『文学修業』より)
コロンビヤのウイリヤムズ助教授のことは、先週も触れました。"A Handbook on Story Writing"(大正6年/1917年・ドッド・ミード刊)を書いたブランシュ・コルトン・ウイリアムズ(Blanche Colton Williams)です。
英語版のWikipediaを見ると、きちんとウイリアムズさんが立項されています。明治12年/1879年に生まれ、昭和19年/1944年に亡くなった女性の英文学者で、明治41年/1908年にニューヨークのコロンビア大学で修士号、大正2年/1913年には博士号をとっています。その間、明治43年/1910年にはニューヨーク市のハンターカレッジで講師に就任しながら、大正7年/1918年~昭和7年/1932年まで《O・ヘンリー賞受賞作品集》の初代編集者を務めたり、大正13年/1924年『Opportunity』誌のストーリー・コンテストの審査員を務めたりと、海の向こうの文学賞史にも名を刻んでいる人です。
木村毅さんは、彼女が大学の夏期講座で創作コースを始めたひとりだ、と言っています。おお、そうなのか、と思って、Amazonで"A Handbook on Story Writing"を見てみたところ、ちょうど序文の一部が読めるので、おそるおそる覗いてみました。
明治43年/1910年、ウイリアムズさんはハンターカレッジで、短編小説の授業を受け持ちます。しかし、創作理論に関する教科書があまりに少ないことに愕然。と同時に研究者ダマシイに火のついたウイリアムズさんは、ああでもないこうでもないと試行錯誤、物語をつくるための理論をどうにか構築して生徒に教えてみたところ、あらら不思議、みんな見ちがえるように、どんどんと小説が書けるようになるじゃありませんか。オー、アメイジング!
さらに大正2年/1913年ごろには、コロンビア大学エクステンション講座で、創作コースというのを担当することになって、この理論が十分役立つことが判明します。世のなかには、短編小説を書く技術に法則なんてあるわきゃねえだろ、と根拠なく断言するヤカラもいるようだけど、いやいや、ほんとにそうだろうか。うんぬん……
ウイリアムズさんいわく、生徒たちの作品は『The Atlantic』『Scribner's』『The Century』『The Metropolitan』『Everybody's』など、有名どころの雑誌に載るほどの出来栄えを見せたのだ、とか何とか言っているんですが、さすがにそれがほんとうかどうかは調べていません。まあ、とりあえず創作には効果的な理論があり、それを教えることも可能だ、とウイリアムズさんが豪語しているのはたしかなことで、これをいち早く日本で採り入れたのが木村毅さんだったわけです。
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