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2020年5月31日 (日)

五木寛之、旅行先のモスクワで小説の素材に出会い、そこから一気にスターダム。

 先週取り上げた藤本泉さんは、昭和41年/1966年に商業誌にデビューしました。あんたの小説は純文学じゃないね、大衆文学だね、とか何とか同人誌の仲間から偉そうに批評され、その声を謙虚に受け止めて『オール讀物』そして『小説現代』の新人賞に応募、受賞したことがきっかけです。第6回小説現代新人賞は、その藤本さんを世に出せただけでも十分な成果があったのだ、と言えるんですけど、この回にはもうひとり同時受賞者がいます。五木寛之さんです。

 いまから50年以上もまえの昭和41年/1966年、40歳を超えたおばさん作家より、30代なかばの若々しさあふれた作家のほうに露骨にスポットライトが当たってしまった……というのは少し言いすぎかもしれません。しかし、「直木賞の歴史を変えた!」と言われる受賞者はこれまで何人もいますが、そのなかでも直木賞に与えた影響度、世間に対する衝撃度などでトップクラスに君臨するのが、五木さんです。作家デビューから1年もたたないうちに第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞を受賞、テレビから新聞・雑誌からこぞってバンバン取り上げられました。いまの直木賞受賞報道なんてチンケなもので、五木さんのときの破壊力はもはや空前絶後。と聞いています。

 それで「直木賞、海を越える」のブログテーマもそろそろ1年がたち、今回で50週目です。今日でこのテーマは最後になるんですが、五木寛之という存在は日本の中間小説の歴史を変えただけでなく、直木賞と海外の関係という点でも偉大にそびえ立っています。とりあえず最終週にふさわしい直木賞受賞者でしょう。

 五木さんにはデビュー直後から(いや、新人賞をとる以前から)現在にいたるまで、膨大な雑文、エッセイ、インタビューがあり、作家の業績をとらえようとする関連書もたくさん出ています。切り口は無数にあるのは間違いありません。なかでも直木賞との関係性で見たとき、どうしても気になるのが、五木さんの国際性です。海外との縁です。

 日本で生まれながら幼少期に海の外の、朝鮮に連れていかれ、昭和22年/1947年14歳のときに引き揚げを経験している、という海外との縁は、とりあえず措いておきます。注目したいのは直木賞と関連した部分です。小説デビュー作も、半年後に直木賞をとった作品も、ともに強烈なほどに海の外のことを描いている。そのことが、何とも新しい作家が直木賞に登場したもんだ! という一般的な印象を、よりいっそう高めたのは明らかです。当時の五木さんが、日本を舞台にした和風な小説で登場していたら、それほど注目されていなかったかもしれません。

 どうして小説の処女作がモスクワを舞台にした海外モノだったのか。というと、直前の昭和40年/1965年にシベリアからモスクワに旅行、数か月を海外で暮らしたからだそうです。どうして行き先がソビエトだったのか。もともと大学進学で露文科を選ぶほどにロシアの文学に興味を覚えていたからとか、いきなり欧米・西洋に行くより日本と親近性がありそうなロシアに足を向けたのだとか、いろいろ理由はあるんでしょう、しばらくゆっくり過ごせる場所ならどこでもよかったのかもしれません。

 ちょうど五木さんをとりまく仕事の状況も変化の時にありました。昭和39年/1964年4月、五木さんの所属していた「三芸プロ」社長の滝本匡孝さんが、社員の雇った殺し屋に殺害されるという事件が起きて、会社は解散。その前進というか母体ともいえる「冗談工房」も幕を引き、メンバーはみな別々の道を歩みはじめます。20代から30代、芸能マスコミの片隅でしゃかりきに突っ走ってきた五木さんも、ふと自分の人生を考えることになって、一度これまでの仕事を清算して次のステップに進むための充電として旅行を企てた、ということらしいです。

 先のことは何も考えない。目的をもたず、ぶらりと海外に行く。……というこの行動がすでにオシャレというか、大衆感覚から半歩から一歩まえに出ています。しかも、からだと心を休めるために休暇に当てたふうを装いながら、赴いた先でこの見聞を小説にしてみよう、とひらめいてしまう。何だか頭の切れるビジネスマンみたいです。

「『さらば――』は、五木サンがマスコミ無宿の生活を精算してソ連を旅しているときに、すでに構想ができあがっていたもの(引用者中略)。「五木寛之」としての処女作は、『さらば――』と、五木サン自身、決めていたのだ。その証拠に、五木サンが友人に宛てた当時の手紙があって、そこには、

「帰国後は旅の体験を源に小説を書こうと思っています。題名は『さらば、モスクワ愚連隊』ということにでもしましょうか。」

と書かれてある。」(昭和52年/1977年5月・大和出版刊、四倉芙蓉・編著『五木寛之全カタログ』より)

 現代のモスクワに住む現地の人たちの姿を、そこでたまさか関わることになった日本人の目から描く。小説現代新人賞で編集者や選考委員たち、あるいは受賞作として『小説現代』に載った作品を読んだ読者たちが、思わずこれはスゴい!と身を乗り出した要因に、素材の清新さがあったのは間違いありません。五木さんも旅立つまえには意図していなかったんでしょうが、旅をしている最中に題名まで決めて、これは小説になると頭が働く瞬発力……べつの表現を使うと「才能」ということになるんでしょう、ひとりの人間の、ひとつの海外旅行が直木賞という文学賞を、いや中間小説の歴史を大きく動かすことになります。

          ○

 処女作の「さらば、モスクワ愚連隊」がそのまま第55回(昭和41年/1966年・上半期)の直木賞候補に挙がり、このまま授賞になってもよさそうな雰囲気でしたが、「様子見」という直木賞伝統の悪癖がいかんなく発揮された結果、このときは先輩の職業作家、立原正秋さんが受賞し、五木さんはその半年後に受賞が決まります。だれひとり対抗できる候補もいない、ほとんど五木さんを受賞させるためだけに開かれたような選考会でした。

 五木さんをとりまく直木賞受賞前後の大騒ぎは、当時を体験していないワタクシなどが見ても、あまりに浮き足立って一種の異常性を感じます。こういう報道状況や、作家の大量露出を見せつけられると、ふん、なにがナオキショウだよ馬鹿バカしい、という感想が湧き上がってくるのは自然でしょう。

 少なくとも昭和31年/1956年1月の石原慎太郎さんの芥川賞以降、と言われるマスコミ総出の受賞者イジりは、直木賞のほうにも飛び火して、すでに昭和30年代に顕在化していましたが、これがいっそう燃え上がったのが第56回、五木さんの直木賞受賞だった、と言われます。これが波の上げ下げを繰り返しながら現在までつづいているのは、いまを生きるワタクシたちにもおなじみのとおりです。

 石原さんや五木さんは単なる象徴でしかなく、受賞周辺の馬鹿バカしさを演出しているのは大衆向け報道の側ですので、これは経済成長と技術革新によるマスコミの膨張が、昭和30年代から発生したということを示しているだけのような気もします。昭和7年/1932年9月30日、まったく同じ日に生まれた石原さんと五木さんが、文学賞を受賞したあと、それぞれこのマスコミの膨張のなかでどのように自分を保ち、あるいは影響を受けながら長年活動をつづけていったのか。両者の違いや共通点をからめながら論評した文章を、だれかが書いているのを読んだような記憶もありますけど、もはや忘れちゃったので何の紹介もできません。すみません。

 とりあえず五木さんのほうに顕著なのが、働くときは猛烈に働くが休むときは休む、経済的な豊かさより心の豊かさを重視する、そして海の外への国際性を背負ったところです。

 取材と称して、あるいは少し休憩するためと称して、たびたび海外を旅行。そこでの成果として、次々と小説を発表していくという方式は、処女作から五木さんのひとつの軸となります。

 直木賞騒ぎにまみれながらしばらく猛烈に働いた五木さんが、マスコミのつくりあげる虚像と、自分という実態のはざまに少し疲れて、日常から離れるためにヨーロッパ、とくにスペイン、ポルトガル方面を旅したのが昭和42年/1967年のことです。

「この旅行は五木にとって、一つの息ぬきになった。そして、マスコミという大海の中で、波に漂うヨットのごとく船出した五木が、冷静に自分を客観視する機会ともなった。

五木にとって、海外旅行は常に何ものかをもたらしているが、このヨーロッパ旅行の翌年、つまり昭和四十三年の夏にも、彼は、ローマ、パリ、ブルガリア、チェコを訪れている。

(引用者中略)

五木は、その後も、海外への旅行は、毎年のように行なっているが、彼の海外旅行は、単なる休養としてだけでなく、新しい体験となって、作品世界をふくらませていった。」(昭和47年/1972年3月・大成出版社刊、植田康夫・著『白夜の旅人 五木寛之』より)

 昭和40年代ごろのハナシですので、庶民感覚からずいぶん外れた生活です。いや、その後、べつに海外へのバカンスが当たり前になって、日本人も働いてばかりじゃなくもっと上手に休もうよ、という文化が広がっていくわけですから、五木さんは先取りしていたのだ、と言っておきたいと思います。

          ○

 「直木賞、海を越える」のテーマ、とくに最近は調べも行き届かず、グダグダになってしまいました。まあ、いつものことといえば、いつものことです。来週からもたぶんグダグダなままですが、気分を変えて別のテーマを設定したうえで、グダグダと直木賞専門ブログを続けていくつもりです。

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旅行に関する調査結果共有

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投稿: 英語学習ひろば 管理人 | 2021年4月23日 (金) 19時20分

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