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2020年5月10日 (日)

深緑野分、「日本人が出てこない」小説に対する直木賞の議論に新地平を切り開く。

 「直木賞、海を越える」のブログも、例年どおり昔のエピソードを中心に進めてきました。でも一週ぐらいは、ほぼリアルタイムな最近の事例を取り上げたい。そう思いながら一年過ごしてきたんですけど、このところ家でじっとしていることが影響して、昔の話題を書こうにもネタが枯渇ぎみです。なので今週は、いまも現役バリバリ絶賛活躍中の若手(?)候補者と直木賞のハナシで乗り切ろうと思います。

 深緑野分さんは、日本人が出てこない海外を舞台にした小説で、第154回(平成27年/2015年・下半期)と第160回(平成30年/2018年・下半期)、二度候補に挙がりました。生まれは昭和58年/1983年。その年齢からして直木賞のなかでは若い候補者の部類に入ります。

 日本人が海外のことを小説化して何の意味があるのか。……という議論は不毛としか言いようがありませんけど、直木賞という文学賞はこれまで80余年、まともな評論を交わす場としてはなかなか一般に認識されず、またそれで何ひとつ問題もなく、いっぱしの権威として頑張ってきました。なぜ日本人が(いや、作家が)小説を書くのか。この不毛にも近い議論を、直木賞のなかで再燃させた画期的な候補者が、深緑さんです。

 客観的に見て、まず言えることがあります。日本人が出てこようが出てこなかろうが、直木賞のとりやすさや、とりにくさには関係がない、ということです。

 過去1,000を超すすべての候補作のうち、ワタクシ自身読めていないのも数作ありますが、おおむね把握できている内容で数えてみますと、以下のような数値が割り出せます。日本人が出てこない海外物(たとえば星新一さんのショートショートとか、宮内悠介さんの作品集だとか、微妙なものもこちらに入れます)を【無】、その他日本人が出てくる、ないし日本が舞台という作品は【有】と記します。

【無】【有】
総数36作996作
受賞7作(19.4%)192作(19.3%)
落選29作(80.6%)804作(80.7%)

 要するにほとんど違いがありません。

 いや、そもそも世のなかには「日本人の出てこない傑作」があふれているのに、そこから候補に選ばれる数が少ないんだ、だから候補に挙がった作品だけを見て「直木賞をとりやすい・とりにくい」を語るのはおかしいのではないか、という声はあるかと思います。ただ、そこに踏み込むと文藝春秋による予選の問題になってきて、情報は完全非公開、何が何の理由で選ばれ、どんな事情で落とされたのかわかりません。日本人が出てくる出てこないとは、別の要素がからみ合いすぎていて手に負えないので、ここでは「最終候補作に残ったなかで」という限定のハナシにとどめておきます。

 少なくとも最終選考会で、名前も顔もだいたいわかる有名作家たちが謙虚に激論したり、偉そうにふんぞり返って当落を決めたりしている、一般に直木賞の選考といって想像される例のイベントでは、日本人登場人物の有無は当落に関係ない、ということがわかりました。なので「いまどき日本人が出てこないという理由で深緑作品を落としている直木賞、クソ」とか批判している人がいたら、自分のイメージだけで物を語る浅はかな人間もいるんだなあ、とやさしく見つめながら、近寄らないのが無難です。

 しかしデータだけで終わってもつまりません。直木賞はデータを見る面白さと同じくらい、ひとつひとつ、事情も背景も違う候補作と当落の関係を考えていく面白さがあります。

 深緑さんの最初の候補作『戦場のコックたち』は、選考委員たちの心に火をつけたらしく、第154回の選考会では多くの時間をかけて議論されたらしいです。1980年代に生まれた日本人が、第二次大戦下のヨーロッパを舞台に、ノルマンディーへの降下からオランダ、ベルギー、ドイツと進軍するアメリカ軍コック兵を描く。べつに問題はありません。しかし林真理子さんが選評で明かすには、彼女自身は「どうしてアメリカ軍の兵士の物語を書かなければならないのか」という疑問が拭えなかったと言います。そういう感覚の人が一部にいることは社会の多様性を示しているだけのことで、これもまた問題ないでしょう。

 日本人が、日本人の出てこない海外の小説を書くことの意味。そこから作家が小説を書くとは何なのか、直木賞とは何なのかを突き詰める議論にもなって、思いのほか時間がかかった、ということです。そのなかで深緑さんの作品が「日本人が出てこないこと」が理由で落ちた、と思える形跡はまず見当たりません。

 票を入れなかったと見られる委員の意見からうかがえる、『戦場のコックたち』最大の落選理由は何か。よく調べたことに感心・感動するがはっきり言ってミステリーとしていまいち面白くない。……どうやら、そういうことのようです。

 つづいて3年後、第160回で『ベルリンは晴れているか』が候補に挙がります。第二次大戦後、連合国軍の統治下に置かれたドイツで、不審な死を遂げたひとりのドイツ人音楽家。戦後の荒廃した国土を目のあたりにしながら、その死の捜査に駆り出される少女の経験や冒険を通して、ナチスの台頭した時代の国内状況も描き出されるという、そうとう重い小説です。

 林さんの評価はみちがえるように大逆転、まえは他国の人を書いている違和感が残ったが、今度の小説はそれがまったくなかったと褒めたたえ、◎印をつけて推しました。ワタクシ自身、各候補作に対する感想が林さんと合致することが多く、いつもショックを受けている口なんですけど、『戦場のコックたち』はともかく、たしかに『ベルリンは晴れているか』は受賞しても不思議じゃない作品だったと思います。ところが残念なことに、やはりこの回も受賞には至りませんでした。ミステリーとしての構成に不満を抱かれたのが、主な原因だと伝えられています。

 いずれまた訪れる(はずの)3度目の候補作では、謎の提示と終盤の解決とに見られる不自然さを、どう払拭してくれるのでしょう。深緑さんと直木賞の未来には、もう楽しみしかありません。

          ○

 今週のエントリーはここで終わってもいいんですけど、深緑さんが候補になったことで改めてあらわになった直木賞の面白さについて付け足しておきます。

 先に書いたように直木賞の選考会では、日本人が出てこないことで落とされる、という事実はありません。当たり前といえば当たり前です。しかし、選考委員もこの結果を報道するマスコミも、いやさらに遠巻きに眺めているワタクシたちも、どうしてもその点を気にしてしまう。当たり前のことなんだから触れずに見過ごしてもいいのに、それができない。直木賞という舞台設定の罪深さかもしれません。

 とくに第154回は深緑さん初候補ということもあって、『戦場のコックたち』といえばしきりにその話題が出た、という印象は否めないところです。多くの選考委員もこの件に触れざるを得ず、いろいろ選評に書いています。

「作家はいつの時代のどの国のどんな立場の人物の物語を書いたっていいし、そこに制約があってはなりません。」(宮部みゆき)

「多くの映画や記録映像のある第二次大戦のヨーロッパ戦線の、しかもアメリカ軍の兵士たちを、日本人が日本語で描くことの是非以前に、戦場にも兵士たちにも身体性を感じられない。」(高村薫)

「第二次大戦のアメリカ兵に材を取っているが、どの時代のどんな人物を題材にしようが、文学は自由だ。」(桐野夏生)

「日本人の若い女性がこれを書いたのはすごいことだと思う。たぶん才能豊かな人なのだろう。だがそれを考慮に入れるべきではないというのが私の意見だ。」(東野圭吾)

(『オール讀物』平成28年/2016年3月号より)

 マスコミは、基本的に選考会直後の講評(第154回は宮城谷昌光さん、第160回は林真理子さんが担当)をもとに記事を書きますから、のちに出る『オール讀物』の選評以上のことはあまりわかりませんが、

「「日本人でもここまで書けるのか」と高く評価されたが、「アメリカ人が同じものを書いた場合と比べて、それを上回る作品なのか」という慎重な意見や、戦争に作家がどのような向き合い方をしているかなど、白熱した議論があった。宮城谷さんは「(投票の)点数だけでなく、選考委員の(作品を推す)熱意も反映される」と述べ、客観的に作品を選ぶ難しさを語った。」(『北海道新聞』平成28年/2016年1月22日「芥川賞・直木賞選考会を振り返る」より ―署名:東京報道 上田貴子)

 各紙とも、とにかく白熱した議論があったと伝えています。

 こういうことがあったので、二度目の第160回のときは、他の人は知りませんけど少なくともワタクシは、「日本人が出てこない」という小説の属性がどう評価に関わるのかに注目して見てしまいました。結果として今度はさほどその方面の議論はなかったようで、ことさら気にするテーマではなくなったんだな、と思い直した記憶があります。

 平成、令和の時代に海外物の作品だから評価が上がる(または下がる)なんて、あり得ない。その当たり前のことに気づかせてくれたのも、深緑さんの功績かもしれません。

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