五木寛之、旅行先のモスクワで小説の素材に出会い、そこから一気にスターダム。
先週取り上げた藤本泉さんは、昭和41年/1966年に商業誌にデビューしました。あんたの小説は純文学じゃないね、大衆文学だね、とか何とか同人誌の仲間から偉そうに批評され、その声を謙虚に受け止めて『オール讀物』そして『小説現代』の新人賞に応募、受賞したことがきっかけです。第6回小説現代新人賞は、その藤本さんを世に出せただけでも十分な成果があったのだ、と言えるんですけど、この回にはもうひとり同時受賞者がいます。五木寛之さんです。
いまから50年以上もまえの昭和41年/1966年、40歳を超えたおばさん作家より、30代なかばの若々しさあふれた作家のほうに露骨にスポットライトが当たってしまった……というのは少し言いすぎかもしれません。しかし、「直木賞の歴史を変えた!」と言われる受賞者はこれまで何人もいますが、そのなかでも直木賞に与えた影響度、世間に対する衝撃度などでトップクラスに君臨するのが、五木さんです。作家デビューから1年もたたないうちに第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞を受賞、テレビから新聞・雑誌からこぞってバンバン取り上げられました。いまの直木賞受賞報道なんてチンケなもので、五木さんのときの破壊力はもはや空前絶後。と聞いています。
それで「直木賞、海を越える」のブログテーマもそろそろ1年がたち、今回で50週目です。今日でこのテーマは最後になるんですが、五木寛之という存在は日本の中間小説の歴史を変えただけでなく、直木賞と海外の関係という点でも偉大にそびえ立っています。とりあえず最終週にふさわしい直木賞受賞者でしょう。
五木さんにはデビュー直後から(いや、新人賞をとる以前から)現在にいたるまで、膨大な雑文、エッセイ、インタビューがあり、作家の業績をとらえようとする関連書もたくさん出ています。切り口は無数にあるのは間違いありません。なかでも直木賞との関係性で見たとき、どうしても気になるのが、五木さんの国際性です。海外との縁です。
日本で生まれながら幼少期に海の外の、朝鮮に連れていかれ、昭和22年/1947年14歳のときに引き揚げを経験している、という海外との縁は、とりあえず措いておきます。注目したいのは直木賞と関連した部分です。小説デビュー作も、半年後に直木賞をとった作品も、ともに強烈なほどに海の外のことを描いている。そのことが、何とも新しい作家が直木賞に登場したもんだ! という一般的な印象を、よりいっそう高めたのは明らかです。当時の五木さんが、日本を舞台にした和風な小説で登場していたら、それほど注目されていなかったかもしれません。
どうして小説の処女作がモスクワを舞台にした海外モノだったのか。というと、直前の昭和40年/1965年にシベリアからモスクワに旅行、数か月を海外で暮らしたからだそうです。どうして行き先がソビエトだったのか。もともと大学進学で露文科を選ぶほどにロシアの文学に興味を覚えていたからとか、いきなり欧米・西洋に行くより日本と親近性がありそうなロシアに足を向けたのだとか、いろいろ理由はあるんでしょう、しばらくゆっくり過ごせる場所ならどこでもよかったのかもしれません。
ちょうど五木さんをとりまく仕事の状況も変化の時にありました。昭和39年/1964年4月、五木さんの所属していた「三芸プロ」社長の滝本匡孝さんが、社員の雇った殺し屋に殺害されるという事件が起きて、会社は解散。その前進というか母体ともいえる「冗談工房」も幕を引き、メンバーはみな別々の道を歩みはじめます。20代から30代、芸能マスコミの片隅でしゃかりきに突っ走ってきた五木さんも、ふと自分の人生を考えることになって、一度これまでの仕事を清算して次のステップに進むための充電として旅行を企てた、ということらしいです。
先のことは何も考えない。目的をもたず、ぶらりと海外に行く。……というこの行動がすでにオシャレというか、大衆感覚から半歩から一歩まえに出ています。しかも、からだと心を休めるために休暇に当てたふうを装いながら、赴いた先でこの見聞を小説にしてみよう、とひらめいてしまう。何だか頭の切れるビジネスマンみたいです。
「『さらば――』は、五木サンがマスコミ無宿の生活を精算してソ連を旅しているときに、すでに構想ができあがっていたもの(引用者中略)。「五木寛之」としての処女作は、『さらば――』と、五木サン自身、決めていたのだ。その証拠に、五木サンが友人に宛てた当時の手紙があって、そこには、
「帰国後は旅の体験を源に小説を書こうと思っています。題名は『さらば、モスクワ愚連隊』ということにでもしましょうか。」
と書かれてある。」(昭和52年/1977年5月・大和出版刊、四倉芙蓉・編著『五木寛之全カタログ』より)
現代のモスクワに住む現地の人たちの姿を、そこでたまさか関わることになった日本人の目から描く。小説現代新人賞で編集者や選考委員たち、あるいは受賞作として『小説現代』に載った作品を読んだ読者たちが、思わずこれはスゴい!と身を乗り出した要因に、素材の清新さがあったのは間違いありません。五木さんも旅立つまえには意図していなかったんでしょうが、旅をしている最中に題名まで決めて、これは小説になると頭が働く瞬発力……べつの表現を使うと「才能」ということになるんでしょう、ひとりの人間の、ひとつの海外旅行が直木賞という文学賞を、いや中間小説の歴史を大きく動かすことになります。
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