逢坂剛、社会人になって5年目、本場のフラメンコに触れるために、はじめてスペインへ。
直木賞に関わる作家は受賞者だけじゃありません。面白い小説を書いていて、人物そのものも面白い(はずの)作家は、受賞しなかった候補者たちのなかにも、山ほどいます。
なので、落選した人たちや作品にも目を向けたい、と思っているんですけど、じゃあ受賞者なんてクソばかりだから無視してもいいんだ、と主張するのはさすがに違う気がします。
そんなこんなで今日は、これまでうちのブログでなかなか取り上げる機会の少なかった受賞者のことで行きたいと思います。しかも「海を越えた直木賞」のテーマにぴったりハマりすぎるほどハマっている、第96回(昭和61年/1986年・下半期)受賞者。逢坂剛さんです。
つい最近、第61回毎日芸術賞を受賞した、まだまだ現役の人ですが、その逢坂さんが直木賞を受賞したのは、だいたいいまから30年ほど前になります。「そんなの最近じゃないか」と真顔でツッこんでくる爺さん婆さんはおいときまして、直木賞の歴史が85年ですから、そこまで最近でもありません。
第96回の受賞者が逢坂さんと、『遠いアメリカ』の常盤新平さん。候補のなかには『脱出のパスポート』の赤羽尭さんも入っていました。もう海外や外国の話題を小説のなかに全面的に採り入れても、たいして物珍しくもなくなり、古い古いと言われた直木賞の選考委員会でも、拒否反応が薄れていた時期にあたります。
そのなかでも逢坂さんの小説が候補に挙がるだけならまだしも、まさか直木賞をとってしまうというのは、やはり直木賞のなかの「海外交流史」ではインパクトの残る出来事だった、と言うしかありません。冒険小説と見られる小説が受賞した! という小説ジャンルの問題も、当然ありますけど、受賞作家の海外との縁のつながり方が、なかなか異様だったからです。
「異様」というと表現が変かもしれません。すみません。しかし、親は挿絵で名の知られた絵描きさんで、生粋の日本人。幼少時代、とくに海外体験を送ったわけでもなく、大学時代に留学した経験があるわけでもありません。順調に大学を卒業すると、順調に(?)大手企業に就職します。そこで海外の支局に転勤してうんぬん、だったらまだわかりますが、そんなこともなく、のちに海外物の小説家としてのし上がっていく芽は、まだ表面化していません。
そのまま会社員生活を送って、企業人のひとりとして小説を書き、直木賞をとってパッとスポットが当たります。と同時に、その受賞作の素材となった「スペイン」や「フラメンコギター」という海外との縁は、逢坂さん自身の純粋な趣味を突き詰めたところから生まれたものだった、というのです。
会社に勤めながら、それとは別に余暇の時間をつぎ込んで趣味に没頭する人は、たくさんいます。逢坂さんの場合は、それがとある海外のこと、とある海外の文化だったわけですが、そういう日本人の生きざまのひとつの形態が、昭和62年/1987年1月に直木賞受賞というかたちでニュース記事の一端を飾った、ということです。
逢坂さんがフラメンコギターにのめり込むきっかけは、二人いるお兄さんのうち、4つ違いの次兄の影響でクラシックギターを始めたことらしいです。本格的に練習を始めたのが大学一年のとき、それが神田神保町の喫茶店「ラドリオ」で、サビカスとエスクデロのレコードを聴いて、ビビッと来てしまいます。なんじゃこの世界は、と急激にフラメンコギターに興味を持ち、そこから演奏の練習に没頭していきます(『青春と読書』昭和61年/1986年3月号「ギターとスペインの話」)。
やがて趣味が高じて、もう一段マニアに近づき、レコードでばかり聞いていても満足できなくなって、本場スペインで生の音を聴いてみたいと思うようになります。外国に行くとなったら現地の言葉をしゃべれなければ、とスペイン語を勉強し、社会人になって5年目の昭和46年/1971年、有給休暇をとって念願のスペイン旅行に出かけます。当然、その主眼はフラメンコにまつわる土地を見て歩く。というわけで、マドリードからセビリア、ヘレス、グラナダ、カディスとめぐるあいだ、11月1日、28歳の誕生日はグラナダで迎えたとのことです。
じっさいにスペインの地を旅してみて、いっそうスペインが好きになり、フラメンコのことだけじゃなくもっともっと知りたいぞ、といういわゆる「恋する」感情に取りつかれ、歴史を調べる、現代の状況を調べる、内戦の資料を買い集めて調べる、とズブズブとのめり込み、それをもとに小説を書いてみようと思い立ち、作法もへったくれもなく、原稿用紙にシャーペンで横書きの体裁で、ひまを見つけては書き続け……というような『カディスの赤い星』出版にいたるまでの、涙なくしては語れない苦労話は、まったく有名なエピソードとして数々のところで紹介されているので、飛ばさせてもらいます。
○
第96回直木賞の選評では、冒険小説ウェルカムの藤沢周平さんや陳舜臣さん、井上ひさしさんのみならず、渡辺淳一さんとか村上元三さんとか池波正太郎さんとか、そこらあたりの「ほんとにこれを褒めるの!?」というような面々も『カディスの赤い星』を賞賛していました。文句なしの受賞だった、と言ってもいいでしょう。果たしてこれが、昔から彼らもよく知っている挿絵画家の息子などではなく、名もなき会社で働く名もなき新人作家だったら、どんな反応だったか……とか言い出すと、いや選考委員はみな私心なく作品本位で評価しているんだ、バカヤロー! と怒鳴り出す人も、多少はいそうです。げすの勘ぐりは控えます。
私心があるか、ヤラしい功名心があるか、そんなことは抜きにしても、スペインのアンダルシアで生まれて、その地方にとどまらず世界じゅうに伝播したフラメンコ音楽の魅力に、逢坂さんが生活を賭けて入れ込んだことはたしかです。
「スペインに淫する」という表現を、新井満さんは使っています。
「新井(引用者注:新井満) こんなにスペインを顕彰している作家は世界広しといえども少ないよ。
逢坂 まあ、わたしの他には堀田善衛大先生ぐらいしかいない、と思います。(笑)
新井 現在進行形でリアルな生々しいスペインを舞台にした文学世界というのは逢坂さんだけではないですか。そうすると、やはりこれはふつうの縁ではないね。なんでそこまでスペインに自分が淫するんだろうかって考えたことは……。
逢坂 淫するっていうのはすごくいい言葉ね。まさに言いえて妙。それはしばしば、取材のときに聞かれることもあるんだけど、うまく説明できないし、最近は「よくわかりません」っていうことにしたのね。」(平成16年/2004年4月・玉川大学出版部刊『世界はハードボイルド 逢坂剛対談集II』所収 新井満対談「一夫多才は我らの理想」より ――初出『小説現代』平成5年/1993年10月号)
理解や論理の範疇を超えている愛着と思い入れが、つくられた小説のなかに伝わらないわけがなく、しかもその熱量が原稿用紙1000枚を超える迫力で突きつけられる。となれば、選考委員もうんとうなずきたくのもわかります。
逢坂さんがなぜスペインにこれだけ夢中になり、そこを舞台にした小説を書きつづけてきたのか、「よくわからない」と本人に言わせるほど複雑で解き明かせない理由があるのと同じように、直木賞のほうもなぜコノ作家に受賞させて、アノ作家が受賞できないのか、簡単に言い尽くせない理由があるはずです。なので、当落の事情についてあまりしたり顔で触れたくないな、と個人的には思うんですが、しかし小説の裏側にひそむ書き手の執着や熱情が見えると、読んでいる身としてうれしくなるのは、自然な感情でしょう。
直木賞などの文学賞は、「数々のマスコミで取り上げられる」という後天的な性格が備わったおかげで、そのあたり作品ができあがるまでの作者側の事情がオモテにさらされる機会が増えます。そこにはゴシップも含まれるでしょうが、べつにいいじゃないかと思います。ひとりの人間が、どれだけの犠牲を払い、思いを高め、ないしは思いを持続させて、小説の完成にまでいたったのか。そういう感情を共有することで、こちらも胸がおどります。
ちなみに第96回直木賞の選考会の夜、逢坂さんが結果待ちをしていた場所は、神田の喫茶店「ラドリオ」だったそうです。逢坂さんがフラメンコギターの魅力をはじめて知った、青春時代の思い出の店です。つながっています。思わずキュンとしてしまうところです。
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