高橋義夫、大陸から樺太にいたる土地と人々に興味を抱いてミステリー小説を書く。
今年平成31年・令和1年/2019年の文学賞で、最も心に残ったのは、11月10日に白河市で開かれた第25回中山義秀文学賞選考会で、河治和香『がいなもん 松浦武四郎一代』への授賞が決まったことです。
「最も心に残った」というのはさすがに大げさなんですけど、この文学賞では例年、それぞれの候補作に対する選考委員4人の評価がズレることは、ほとんど見られません。それが今年は明らかに評価が割れ、『がいなもん』を推す高橋義夫、中村彰彦、清原康正のおじさん3人組に対し、赤神諒『酔象の流儀 朝倉盛衰記』を推す紅一点の朝井まかて、という図式が展開されました。
おなじみの公開選考会では、罵詈雑言の応酬のうえに両派とも立ち上がっての殴り合いに発展する地獄絵図が観衆の目のまえで繰り広げられた……などと、ウソを書いてはいけませんね。しかし、朝井さんが『がいなもん』に対して、史実に忠実であろうとする作者の意思と、物語としてのふくらみが噛み合っていないのではないか、と苦言を呈したことに、他の3委員がまるで実のある応答をしなかったのはたしかです。視点人物にお豊を選んだのが素晴らしいだの、歴史に対する作者の考えが見えていて、他の候補2作のような「学生の書くレポート感」がなくてよかっただの、そうやって繰り返し褒めるだけ。ああ、あの場所で人の評価に耳を傾ける気など、まったくない人たちなんだな、ということが如実にわかる選考会でした。
と、義秀賞のことを回想してみたんですけど、「直木賞、海を越える」というブログ記事の導入としては、ちょっと間違ったかもしれません。
仕切り直しまして、ともかくこの賞の委員を3年前から務めている高橋義夫さんは、第106回(平成3年/1991年・下半期)直木賞の受賞者です。歴史・時代物から出てきた作家は何度も候補にならないと直木賞では認められない、という法則があるとおり、高橋さんも衝撃の(?)歴史小説『闇の葬列――広沢参議暗殺犯人捜査始末』(昭和62年/1987年3月・講談社刊)で、第97回(昭和62年/1987年・上半期)にはじめて候補になってから、落とされ、落とされ、何度も落とされ、ようやく5度目の候補で受賞を果たしました。
それで、ようやく受賞した作品が、それまでの候補作に比べて特段どうということのないシロモノ、というのも直木賞ではよくあることです。高橋さんといえども例外ではなく、受賞作の「狼奉行」より前の作品のほうが、歴史モノ時代モノの枠組みにとらわれない高橋義夫という人の幅広さが出ていて、ワタクシは好きです。
なかでも第103回(平成2年/1990年・上半期)のときに、3度目の候補として挙がった『北緯50度に消ゆ』(平成2年/1990年3月・新潮社刊)は、「新潮ミステリー倶楽部」というレーベルのもつ多彩な印象とも見事にマッチして、滅びゆく人間たちという歴史的な事象に光を当てながら、読者に面白く読んでもらおうとする作者の試みがからみ合った一作になっています。どうしてこれが文庫にもならず、直木賞史のなかに埋もれているのか。高橋さん自身の意向なのかもしれませんが、いずれ復刊してほしいと思います。
ロシア革命が起きて間もない1920年代。東亜同文書院の卒業旅行で満洲を旅する学生が、記憶をなくしたロシア人の娘と出会ったところから、国際的な政略にまきこまれる、という歴史語りに徹するのではなく、そのことがペレストロイカで揺れる現代ソビエトに関わりを持つパートが差し挟まれることで、この小説にいっそうの躍動感が生まれていることは間違いありません。そして何より、過去から現代にまで通じて日本とロシア(ソ連)の人間たちが交わる土地、国家という構造がきしみ合う場所として、舞台を大陸からサハリン(樺太)へと移していく展開が、この小説の重要なところでしょう。
いったいに高橋さんが、どういった経緯で樺太に行きついたのか。よくわかりませんが、昔から中国大陸の歴史については高橋さんの興味の対象だったことはたしかなようです。20代のころ、友人たちと神保町でPR会社をやっていたときは、よく古本屋をまわって、日本の大陸政策に関するもの、満鉄関係のものなどを買いあさっていたと言います。その後にフリーライターとなってさまざまなジャンルの文章を書きはじめても、関心の一端は切れることなく続いていたのでしょう、『北緯50度に消ゆ』刊行時にもプロフィールに「幕末維新を扱った時代小説を発表する傍ら、大陸に関する広汎な知識を生かした歴史小説を手がけ注目を集めている」と書かれるほど、大陸に対する高橋さんの思いは膨れ上がっていました。
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そういった大陸から樺太にかけての、高橋さんの視線は、小説もさることながら『かくれんぼの森 ぼくの山海遊行記』(平成4年/1992年6月・創樹社刊)に収められたいくつかのエッセイからもうかがい知れます。
ものを書くとなったら対象の土地に行ってみないでは気が済まない、というのが高橋さんの流儀だそうです。歴史小説といってもそれは同じ。中国、サハリン、その他日本を囲む海の向こうの土地を、ほとんど「遊び」と称するテイで取材に出かける姿が、いろいろ見られます。
直接『北緯50度に消ゆ』に関する記述は出てきませんが、「II サハリンの金歯」のなかの「6 青春の「大旅行」「7 サハリンの金歯」「8 カラフト 発見した人と」あたりは、1920年代に満洲を旅する日本の若い青年たちの、国家政策に対する忸怩たる思いや、日本とロシアのはざまで苦難の歴史を強いられたサハリンに生きる人たちのことを描いたエッセイです。
「ポロナイスクの漁業コルホーズを見学したとき、朝鮮系サハリン人(ルビ:サハリンスキー・カレーエツ)の通訳に頼んで、そこで漁網の修理をしている北方少数民族の人に会わせてもらった。ウイルタのキタガワという姓を持つ若い女性だった。(引用者中略)日本統治時代に彼らはいじめられたから、日本人をよく思っていないのである。ぼくはせいぜい愛想をふりまいたが、あまり友好的に対応してはもらえなかった。
日本と同じように戦後のソ連も北方少数民族の定住をおしすすめたので、もう伝統的な生活は消え去っている。彼女の顔を見ながら、サハリンはほんとうはこの人たちの土地だったのに、「近代」に発見されてしまったから、つらい目に合わされたのだと、ぼくは思った。」(「カラフト 発見した人と」より)
高橋さんの『北緯50度に消ゆ』から、ときに約20年が経ち、今度の第162回(令和1年/2019年・下半期)の直木賞では、「降りかかる理不尽は「文明」を名乗っていた。」とオビにでっかく書いてある川越宗一さんの『熱源』が候補作に選ばれた、と発表されました。樺太アイヌと呼ばれる北方少数民族が、自分たちの住む土地や文化を侵されて、つらい境遇に置かれてしまった歴史的事実を前提としている歴史(+エンタメ)小説ですので、ここは往年の直木賞候補作『北緯50度に消ゆ』とともに読んでみるのも面白いかもしれません。
ただ、直木賞候補作としての『北緯50度に消ゆ』のことを、後年、あまり高橋さんが語っていないのは気がかりです。受賞後に『オール讀物』平成4年/1992年3月号誌上で行われた高橋克彦さんとの対談では、この作が候補にあがったときは、受賞するか落選するか、自分自身というより一緒に期待して連絡を待ってくれるまわりの人たちに気を使いすぎて、蕁麻疹になってしまってしまった、という苦しみの経験が語られています。さすがにこれは、いい思い出とは言えないでしょう。
もはやそんなエピソードも過去の彼方。ということで、いずれ機会が訪れて、高橋さんが(いや、どこかの出版社が)『北緯50度に消ゆ』を文庫化してくれる日を待ちたいと思います。
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