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2019年11月10日 (日)

赤瀬川隼、「古代朝鮮語で『万葉集』が解読できる」という話を小説に書いて直木賞候補に。

 『万葉集』の歌は、古代の朝鮮語で解読できる。しかも、従来の解釈とはまったく違う意味だったこともわかってしまう。

 ……というハナシを、いまでも真剣に信じている人はいるんでしょうか。いるかもしれません。いてもいなくても、正直どちらでもいいんですが、少なくともこの有名な(?)説が広まる発端に、直木賞が関係していたことは間違いありません。せっかくなので取り上げておこうと思います。

 第90回(昭和58年/1983年・下半期)の直木賞、赤瀬川隼さんが自身2度目の候補に挙げられました。このときの候補作「潮もかなひぬ」は『別冊文藝春秋』165号[昭和58年/1983年10月]に掲載された150枚ほどの中篇小説です。

 主人公は、ルポライターの笹木一成。ないしはその妹の旧友である荒巻田津子。ないしは田津子の祖父に当たる荒巻潮。戦時中に『万葉集』を独自に研究していた潮は、特高に引っ張られ、釈放直後に病死します。潮が無念の死を遂げた背景には何があったのか。調べていく筋のなかで、じつは彼が『万葉集』は朝鮮語で読み解けることを突き止めていたのだ、という過去に行きつきます。

 ……小説は小説です。つくり話と言ってしまえば、それまでです。しかし、赤瀬川さん自身、この解読法に何らかの真実を探り当てる鉱脈を見出し、すごい発見だと考えていたことも、またたしかです。

 昭和58年/1983年にいたるまでに小説のネタになりそうな題材をいろいろと探していた赤瀬川さんは、「古代朝鮮語で『万葉集』は解読できる」という研究に出会います。こんなリアリティ(およびロマン)のある仮説を無視するわけにはいかない。そう刺激を受けたらしく、これを小説化し、エッセイを書き、いかに日本語の歴史に新しい知見をもたらすものか、宣伝に努めました。要するにのめり込みます。

 赤瀬川さんが話を聞いた取材先ははっきりしています。言語交流研究所という民間組織の運営する会員制教育組織「ヒッポファミリークラブ」でフェローの役職にあった中野矢尾さんです。

 ところで赤瀬川さんが作家デビューしたのはけっこう遅く、50歳を超えてからのことでした。それまでは、きっちり定職に就いていて住友銀行に在籍したあと、「外国語教育機関」に勤めていたことになっています。外国語教育機関。そのときに、言語交流研究所創設者の榊原陽さんと知り合いになった、という推測は自然でしょうし、あるいは赤瀬川さんのことを「小説を書く前は、言語交流研究所という民間団体に勤め、子どもの文化交流を介して韓国の人と接触する機会が多かった」(『宝石』昭和61年/1986年6月号「宝石図書館」)と、ずばり紹介している文章もあります。ともかくも赤瀬川さんが以前から、日本語を含む多言語に関心をもち、この研究所の活動に理解を示していたことは間違いないでしょう。

 いや、間違いないどころではありません。成長する自分の子供と話しているうちに、どうやら言語に興味があるらしいぞと踏んで、子供を「ヒッポファミリークラブ」に連れていった、という回想もあります(『サンデー毎日』平成12年/2000年5月28日号「親と子の情景」)。そういったなかから同クラブの中野さんが『万葉集』のユニークな研究をしているハナシを聞きつけて教示を請うた……ということのようです。

 それで直木賞の候補になった「潮もかなひぬ」は、朝鮮語で『万葉集』が読めるとか眉ツバも甚だしいな、と思う選考委員が何人もいて、説としても不十分、物語としても中途半端ということで落選してしまいます。しかし、とくに井上ひさしさんが選評で、批評なのか激励なのか、こういう評を書いたことで赤瀬川さんの情熱に火をそそぐことになるのですから、直木賞もなかなか罪が深いです。

「今回の題材は、この枚数で支えるには巨きすぎたかもしれない。そこで作者の美点がそれぞれ幾分かずつ損われてしまったのではないか。とにかくこれは凄い題材ではある。」(『オール讀物』昭和59年/1984年4月号 井上ひさし選評より)

 そうなんだ、これはすごい題材なんだ! と勇気を得た赤瀬川さんは、朝鮮語と『万葉集』の部分をもっと詳しく、説得力が出るような方向で、長篇小説として書き改めることを決意。中野矢尾さん、榊原陽さん、あるいは同クラブで中野さんといっしょに研究に励んでいた若者たちの協力を得て長篇を書き上げます。単行本となった『潮もかなひぬ』(昭和60年/1985年6月・文藝春秋刊)です。

 刊行当時、多少は話題になったのかもしれません。しかし、べつに若い女性が書いたものでもなく、だらだらと恋愛めいた要素が入り込んだ小説でもあり、何十万部突破の大ヒット、という展開にはとうてい及びません。

 そのままだったら凡百の直木賞候補作と、さして変わらない一作で終わっていたと思います。ところが、「このテーマは、本来はこのような方々(引用者注:言語交流研究所のみなさんなど)の研究論文として、もっと深い洞察と緻密な論証のもとに世に問われるべきであろう。」(『潮もかなひぬ』「あとがき」)と書いた赤瀬川さんの願いは、天に届くことになります。

 中野さんたちの研究はその後も続けられ、何がどうひっくり返ったのか新潮社の編集者の目に止まり、研究者4名の名前から一文字ずつ取った「藤村由加」という著者名がつけられて『人麻呂の暗号』(平成1年/1989年1月・新潮社刊)という本が刊行されるに至ります。

 『潮もかなひぬ』の巻末では、中野矢尾さんや榊原陽さんに謝辞が捧げられていましたが、それと呼応するように、『人麻呂の暗号』の「後記」では、赤瀬川隼さんに対してお礼が述べられました。もっといえば「藤」「村」「由」「加」のうちの「藤」に名前がとられた佐藤まなつさんは、じっさいのところ、赤瀬川さんの娘です。かつて父親と一緒に「ヒッポファミリークラブ」に参加し、そこで多言語に携わる面白さに開眼、そのまま同研究所に就職したという経緯もあったそうで、その意味で赤瀬川さんが『人麻呂の暗号』の誕生にひと役買った、とも言えるでしょう。

 あるいは、そこらの刊行経緯を邪推しようと思えばいろいろ邪推できるんでしょうけど、作家のコネで本が出せたんだろう、と言われるのは(娘はともかく父のほうは)ことさらイヤだったはずです。……というのは、赤瀬川さん自身、デビューするときに、弟の原平さんが昔からある種の有名人だったので、弟を頼る手もあったのに、そういう関係で見られるのを避けたくて、あえて自分で原稿を携え、出版先を探したといいます。それを考えると、『人麻呂の暗号』の刊行に赤瀬川さんが積極的に関わっていたとは思えないところですが、こればっかりは現場にいたわけではないので、よくわかりません。

          ○

 ともかくも、『人麻呂の暗号』の核とも言える解読方法などは「潮もかなひぬ」で紹介されていたものと同じです。直木賞はとらなかったけど、若い人たちの共同作業によって出版社の商う心にもひっかかり、無事にベストセラーとして人口に膾炙しました。めでたしめでたしです。

 さて、赤瀬川さんと朝鮮(韓国)との関係なんですが、すでに何度か仕事の関係で韓国を旅したことがあった、と伝えられています。また昭和59年/1984年の夏、「潮もかなひぬ」の直木賞落選からまだ日も浅い時期にも、韓国を訪れています。そのときの旅行がきっかけで、のちに『青磁のひと』(新潮社刊)という小説が書かれることになる、という展開を見ても、この時期の赤瀬川さんはやたらと朝鮮半島づいています。

 それは当然、海を隔てているとはいえ、日本の文化が日本列島のなかだけで育まれたとは考えづらい。朝鮮、中国、あるいはアジアとの関連のなかで日本語もとらえ直せるのではないか、という赤瀬川さんの考え、ないしは好奇心のゆえでしょう。しかも、「偉そうな学会や学者にはだいたい想像力が足りない」という、いつの時代でも一般人が抱きそうな感覚から、赤瀬川さんも逃れられず、言語交流研究所の面々の果敢な想像力に感銘を受け、魅力を感じたことが、作家・赤瀬川隼の興奮をかき立てたのかもしれません。

 歴史解釈について、こんなことを言っているところからも、それはうかがえます。

「存在するものについての科学的合理的態度による解読と、存在しないものについての想像、その結果の相対的な視野の拡大こそが、歴史を単なる訓話の呪縛から解き放つのであろう。

存在しないものについての想像とは、しかし難しいものである。不在なるがゆえの存在感というものは確かに感ずる。しかし、それをどうやってあぶり出すことができるのか。とりわけ歴史の分野で。

やはり、存在するものについて、過去の権威にとらわれず、科学的合理的態度でもう一度あたってみることからしか始まるまい。」(『歴史読本』平成1年/1989年10月号 赤瀬川隼「歴史解読の新キーワード 古代朝鮮語 言語で解く万葉の日本」より)

 要は、中野さんや「藤村由加」グループの試みは、科学的合理的態度だ。と言いたいようです。それはそうかもしれません。チャレンジする心は、いつでも大事なことです。

 しかし、『人麻呂の暗号』なんて、朝鮮語の辞書を片手にパズルのように組み立てたこじつけでしかなく、じっさいは朝鮮人にも通じやしないぞとか、昔の日本語や漢字に関する知識が未熟すぎて、科学的とか合理的とか以前に誤りばっかりだとか、さんざん批判されるうちに、ブームは駆け足で過ぎ去っていきます。赤瀬川さんもあまり声高に、この説を主張・擁護することもなくなっていきました。

 海外の言語を扱おうとする思い切った発想から生まれた、ひとつの直木賞候補作。そこから育まれて花開いたベストセラー。……それでも、直木賞にしろベストセラーにしろ、その多くは時代の潮流のなかに存在し、ときが過ぎれば風化していってしまう運命から逃れられません。ロマンのはかなさを思い知らされるところです。

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投稿: 池田剛士 | 2019年11月12日 (火) 13時13分

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