鈴木光司、直木賞でさんざんな評価を受けた作品がハリウッド映画になる。
平成8年/1996年なんてつい最近のハナシじゃないか……と感じるぐらいには、ワタクシもれっきとした爺いですけど、すでにそのころの直木賞というと、人気の出はじめた若手作家が候補ラインナップに勢揃い、という様相を毎回のように見せていました。
第115回(平成8年/1996年・上半期)で落選した4人の作家は、いずれもエンタメ小説界を賑わしていた有力作家ばかり。一度の候補でとれなくても活躍をつづける候補者が多い、というのが直木賞の特徴ですので、そのなかの篠田節子さん、浅田次郎さん、宮部みゆきさんは、まもなく直木賞を受賞することになります。
この回の候補で、たったひとり、けっきょく直木賞受賞者にはならなかったのが鈴木光司さんです。他の人たちに負けず劣らず、このころの鈴木さんといえば、人気の爆発具合は相当なものでした。
とくにデビュー2作目の『リング』(平成3年/1991年6月・角川書店刊)が、平成5年/1993年4月に創刊した角川ホラー文庫の一冊としてラインナップを飾ると、いよいよ和製ホラーブームが到来したぞ、という旋風の中心に置かれるほどに売れに売れ、その続編の『らせん』(平成7年/1995年7月・角川書店刊)もまた、読者たちに好評裡に受け入れられます。そしてまもなく直木賞候補に選ばれた『仄暗い水の底から』(平成8年/1996年2月・角川書店刊)は、こんな何ということもない小説がどうして候補になったんだ、もっといい作品で候補にしてあげればいいのに、と言われたりした鈴木さん6作目の小説です。
確実にこの作家には風が吹いている。さしもの出足の遅い直木賞も、これは見逃せずに候補にした、という流れでしょう。しかし残念ながら、その候補作があまりに落ち着いた雰囲気の作品で、べつの表現でいえば、そこらへんの小説誌によく載っていますよね、という短篇を、「水と恐怖」というわかったようなわからないような、テーマ設定でくっつけ合わせて連作集のかたちに仕立てた一冊だったため、選考会での評判はまったく芳しくなく、あっさりと落選のほうに仕分けられてしまいます。
さて、そこからが話のスタートです。鈴木さんとその候補作は大きく羽ばたきます。羽ばたいて羽ばたいて、日本を飛び出します。
〈リング〉シリーズの第3作は舞台をアメリカに設定、そのための取材旅行で鈴木さんが渡米するのは直木賞落選の平成8年/1996年でしたが、そこから完成したのが『ループ』(平成10年/1998年1月・角川書店刊)です。また、小説家として売れてくると、昔の夢を実現させるテイのお仕事も生まれてくるようで、平成11年/1999年秋には、集英社と組んでアメリカ大陸をバイクで横断。『小説すばる』平成13年/2001年1月号~7月号に連載され、『地球を走る アメリカ横断オートバイ旅行記』(平成13年/2001年8月・集英社刊)というコンパクトな一冊になります。
昔から鈴木さんは小説家になることを目標に生きてきた、学生の頃にはフィッツジェラルドのような作家に憧れていた、ということだそうです。おれもいつか巨万の富を得て、高級ホテルでパーティとかしながら、豪華な浪費生活を謳歌してやるぜ。……という作家への憧れ方は、一面なかなかイタい感性に見えるところですが、誰がどんな夢を持とうが、それは自由です。
そのころから鈴木さんは、からだを動かし、あちこちに足を運ぶ行動派。小説を書くのに最も大切なのは自分の経験を増やすことだ、と考えて、大学時代のときにはアメリカ横断を計画します。しかし先立つものがなく、協賛でも宣伝でも企業をバックにつけなければと、大学卒業後の昭和58年/1983年、横断旅行をしながらそれを小説にして雑誌に連載する、というずいぶん虫のいい企画書を書いて、バイク雑誌の『モトラード』に売り込みます。けっきょくこの企画は実現せず、あきらめきれない鈴木さんはとりあえず友達たちといっしょにアメリカに渡り、レンタカーとバスを使いながらロサンゼルスからニューヨークまで旅をしますが、いつかはバイクで横断してやるぜ、という夢は胸に秘めたまま時を過ごします。
作家になるまえから鈴木さんの頭のなかには、日本の土地だけにとどまらない、のびやかな世界が広がっていたようです。それも含めて、直木賞ももう少し、鈴木さんの雄大さが発揮されたような作品を、候補にすれば面白かったのにな、と悔やまれるところですが、ここら辺りはもう、時の趨勢に縛られなければ生きてはいけない直木賞の限界です。
あげるチャンスを逃してしまうと、直木賞に取り戻しはききません。過去はもちろん今後も直木賞は、その性質上「あげそこね」を繰り返していくことは確実ですので、あんまりそのことをグダグダ言うのはやめておきたいと思います。
○
直木賞の手をかいくぐったあとの鈴木さんといえば、自身原作の映画『リング』が平成10年/1998年に公開されて、これがあっと驚く大ヒット。平成14年/2002年にはハリウッド映画『ザ・リング』としてリメイクされたことで、日本ホラーの第一人者として鈴木さんにもいっそうの箔がつきます。
その平成14年/2002年はじめには、『リング』と同じ中田秀夫さんが監督を務め、『仄暗い水の底から』のなかの一篇「浮遊する水」が『仄暗い水の底から』の題名で映画化されていましたが、そちらの映画も、海を越える話題に恵まれます。平成17年/2005年に同作もハリウッドでリメイク製作されることに決定。『ダーク・ウォーター』としてアメリカ、つづいて日本でも公開される、という展開になったわけです。
同作の撮影が行われたカナダ・トロントの現場を視察したときの様子が、『野性時代』平成16年/2004年5月号と6月号に載っていますが、前日まで雑誌の取材でガラパゴス諸島に滞在していたという、世界を飛びまわる鈴木さんの日焼けした顔が、ハツラツ、ギラギラとしていて、少し怖いです。
いずれにしても商業映画となれば、お金にまつわるハナシも欠かせません。『ザ・リング』と『ダーク・ウォーター』はいずれも原作権ではなく、日本映画のリメイク権の取得というかたちで、アメリカの映画会社からお金が支払われたそうで、前者が100万ドル、後者は50万ドルだった、とのことです(『日経エンタテイメント!』平成14年/2002年12月号「人気作研究 ザ・リング 原作者が明かす日本版を超えた怖さの秘密」)。
ただ、原作者にとっては、当然リメイク権より原作権のほうが実入りが大きく、
「続編があるなら、映画版オリジナルの続編『リング2』ではなく、僕が原作の『らせん』『ループ』といってほしい。リメイク権ではなく原作権で契約して、原作を映画化してもらいたい。『らせん』をハリウッドがカネをかけて原作に忠実に映画化したら絶対おもしろくなりますよ。」(『日経エンタテイメント!』平成14年/2002年12月号 鈴木光司インタビュー記事より)
と鈴木さんも言っています。つまりはおれにもっと金をくれ、ということでしょう。いや、ちがうかもしれません。
映画化でどれだけ収入がアップしたかはわかりませんし、そんなフトコロ事情は正直どうでもいいことですけど、かつて鈴木さんが作家像として憧れていたフィッツジェラルドや太宰治のような、自分の小説でどんどんと金を稼ぎ、遊蕩・浪費する、そんな文学者の生活に少しでも近づけたのであれば、よかったことです。
ということで、鈴木さんと直木賞との交わりは平成8年/1996年・上半期の一回こっきり。あとはもう直木賞がいくら追いかけようにも、鈴木さんはずんずんと先を行くばかりで、候補に挙がる機会もありませんでした。鈴木さんのスケールの大きさは、直木賞なんかのせせこましい文学賞の枠に入りきることはなかったのだ……ということにしておきましょう。
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