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2019年6月 2日 (日)

平成27年/2015年・妻に対する傷害容疑で逮捕、不起訴となった冲方丁。

妻に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された作家の冲方丁(引用者中略)さん(38)について、東京地検は15日、不起訴処分にしたと発表した。地検は処分理由について「夫婦間で問題は解決されており、妻も処罰を望んでいないため」と説明している。

――『朝日新聞』平成27年/2015年10月16日「冲方丁さん、不起訴処分に」より

 昨年平成30年/2018年の6月から始めた「犯罪でたどる直木賞史」のテーマも、今回で何とか50回目です。相変らず当初の想定どおりには進まず、無理やり感のあるエントリーを適当に差し挟んでお茶を濁してきましたが、とりあえず今週でこのテーマは最後にしたいと思います。

 それで毎週、次は何の話題を取り上げようかと物色するのは、意外と楽しい時間だったんですが、そのあいだ、このニュースに触れるかどうかはかなり悩みました。悩んだすえにけっきょく書いてみることにしたのは、直木賞や直木賞候補者がからみ合った話として、これだけ知れ渡ったニュースを無視するのも変だなと思ったからです。いまから4年弱まえ、冲方丁さんが妻への傷害容疑で逮捕された、ということで大きく報道された一連の騒動についてです。

 そのとき誰が何をして、どんな発言をし、どう騒ぎになったのか。いまでもネット上に無数の痕跡が残っています。といいますか、本人や関係者以外よくわからないことを、単なる臆測で物語っても仕方ありません。経緯だけ簡単にまとめます。

 平成27年/2015年8月21日夜7時ごろ、冲方さんが事務所として使用していたマンションの、エントランス付近で冲方夫妻が口論となり、冲方さんが妻の顔を殴って前歯を折るなどの怪我をさせた、という内容で、翌22日妻が警察に相談した結果、警察が動きます。その日の夜に「冲方サミット」というイベントを秋葉原で開いていた冲方さんが、無事終わって打ち上げをしていたところ、警察がやってきて「奥様のことでうかがいたいことがあるので、署までご同行願います」と、それだけ言って冲方さんを渋谷署に連行。妻に対する傷害の容疑で勾留されることになります。連日、取り調べが行われますが、冲方さんは容疑を否認、けっきょくそのまま8月31日に釈放され、その後10月15日に、東京地検が不起訴処分とすることに決定しました。

 この騒ぎが、冲方さんやそのまわりの人たちに大きな影響を与えたことは明らかでしょう。あるいはいまも影響を残しているのかもしれません。ということで、ここでは時系列上、文学賞とくに直木賞との関係性を中心に、流れを追ってみます。

 冲方さんがデビュー13年にして初めての歴史小説『天地明察』を刊行し、吉川新人賞、本屋大賞をたてつづけに受賞、そのまま鳴り物入りで直木賞の候補に挙げられたのが、平成22年/2010年7月決定の第143回(平成22年/2010年・上半期)のときでした。その鳴り物もずいぶんうるさいものがありましたが、人と違ったことをするプロデュース力に長けた冲方さんは、自宅で待つ、行きつけの店で待つ、というのが一般的な、結果発表を受けるための「待ち会」を一般公開にし、パーティー形式の「大・待ち会」と称して、観衆にもいっしょに楽しんでもらえるようなイベントに仕立てます。受賞すれば大盛り上がり、落選すればおのずと湿っぽくなる、というのが一般的な固定観念としてありますが、そこから少しでも足を踏み出す行動を模索してみる。尊いことだと思います。

 「大・待ち会」にも姿を見せて仲睦まじいと称される関係に見えていたその妻と、それから5年後の平成27年/2015年8月にいざこざが起こり、DVだ、勾留だ、不起訴だ、不当逮捕だと、大騒動。不起訴となってわずか1か月少しで、『週刊プレイボーイ』で「冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場」(平成27年/2015年12月14日号~平成28年/2016年3月21日号)の連載を始めると、加筆修正のうえ平成28年/2016年8月に集英社インターナショナルから単行本として刊行します。

 「作家だから、そういう話題でも何でも仕事に還元してしまう」という説があります。たしかにそうなのかもしれないな、と思わないでもありません。だけど、そのやり方に冲方さんの独自性が出ていると言いますか、直木賞の候補になったときの待ち会とか、逮捕騒動の後処理とか、できるだけ直接的な還元方法を選んでしまうところが、並の作家とは違う冲方さんの個性です。そんなことやらなければ、静かに執筆活動に専念できるのに……。と思うようなことでも、あえて積極的に顔をさらして、やってしまいます。演者でもあり仕掛け人、プロデューサーでもある冲方さんの真骨頂でしょう。

          ○

 直木賞というのは、いかにも公共性のある、毒にも薬にもならないお飾りイベント、と思われているふしもありますが、だいたい1年間見てきたように、べつだん清廉なものではありません。候補者で挙げられる人たちも、前科があろうが、倫理観に欠けていようが、人とトラブルを起こしやすい性格とかそういうことは、そこまで関係がありません(多少は考慮されているのかもしれません)。ひょっとすると作品の良し悪しすら関係なく、おおむね大事にされるのは、小説に向かう努力、小説を書いていこうとする意志です。

 それで冲方さんも、こういう世間体の悪いニュースの主役になったことで職業作家の一線から身を引くわけではなく、あふれ出る創作意欲と生来の物腰の低さで仕事も途切れず、小説を書きつづけます。騒動によって仕事に及んだ影響については、『こち留』にもくわしく書かれていますが、作家活動には何の差し障りも出なかった、と言い切る冲方さんの、インタビューでのたくましい言葉を引いておきます。

「――作家活動にも、なんらかの差し障りが生じたのでは?

冲方 それはまったくなかったんです。作家はあくまで自分自身ではなく作品を売る立場ですから、タレントやアイドルと比較すると、こうした事件による影響は少ないと思います。僕を信用する関係者が、仕事に支障が出ないよう配慮してくれたのも大きかったですね。」(『週刊プレイボーイ』平成28年/2016年9月5日号「“本”人襲撃」より)

 という「DV逮捕」をネタにした本を出して半年も経たない平成29年/2017年1月、その印象が消え失せないうちに第156回(平成28年/2016年・下半期)の直木賞の候補に選ばれたのは、これからもバリバリのエンタメ作家でやっていくという冲方さんの覚悟を応援する編集者たちがいたからなのは明らかです。

 このときも冲方さんは、「待ち会」を一般公開して観客を集め、(落選)決定を受ける様子をニコ生でも配信するというイベントを実施。ほんと、相変わらずやることにブレがないですよね、というウブカタイズムを世に見せつけます。候補に挙がった『十二人の死にたい子どもたち』は、最終選考会ではまるでカスリもせずに一番目に落とされますが、それは直木賞のなかで見ると微々たることで、このタイミングで冲方丁を候補に選んだ、ということが最も意義のあることだったでしょう。そもそも直木賞は、誰かを応援するために始まったような企画です。候補に挙げることは、編集者たちの作家に対する意思表示の場でもありますから、「一時は逮捕もされた作家」という、ある種報道被害のようなイメージのなかで、文学賞の候補に残したところに、直木賞の持ち味がよく出ていたと思います。

          ○

 と、またまとまりのないエントリーを書いたところで、「犯罪でたどる直木賞史」も打ち止めです。来週からはテーマを変えて、直木賞のことしか書かないブログを続けていくことにします。

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