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2019年4月21日 (日)

昭和38年/1963年から翌年・〈草加次郎〉を名乗る男からたびたび脅迫電話を受けた木々高太郎。

二十六日午後八時十分ごろ、(引用者中略)慶大教授、林髞さん(六七)方に、若い男の声で「おれは草加次郎だ」と電話があった。応対に出たお手伝いの仙葉昭子さん(二〇)が「なんですか」と聞きただすと「爆弾だ」といって電話を切った。

林教授の家には昨年九月からこれまでに三回も“草加次郎”と名のる若い男から電話がかかり、そのたびに爆弾を仕掛けてやるとおどしている。

――『読売新聞』昭和39年/1964年6月27日「「草加次郎だ」とまた怪電話 林教授宅」より

 昭和37年/1962年からにわかに発生した〈爆弾魔・草加次郎〉の一連の事件は、昭和の未解決事件として名高く、これと関連する小説もさまざまに書かれてきました。とりあえずここは直木賞専門ブログですから、直木賞の候補者や受賞者の作品だけに絞りますけど、佐野洋さんの『華麗なる醜聞』(昭和39年/1964年)、桐野夏生さんの『水の眠り 灰の夢』(平成7年/1995年)、奥田英朗さんの『オリンピックの身代金』(平成20年/2008年)などを挙げてみます。そういう作品を読み比べてこの犯罪事件をとらえてみたら、きっと面白い試みになるでしょう。

 ……とか何とか言いながら、すぐに作家ゴシップに走るのがこのブログの悪いクセなんですが、だらだらと前置きせず速やかに今日の本題に進みたいと思います。

 〈草加次郎〉の犯行というと、ひとつの大きなあらすじがあります。昭和37年/1962年11月4日、東京・北品川の島倉千代子後援会事務所に届いた一通の郵便小包。中には開けると発火するような仕掛けを施した黒色火薬が詰めてあり、後援会の幹事が火傷を負う、という被害が発生します。その仕掛けのところには〈K〉〈祝〉〈呪〉などの文字とともに〈草加次郎〉という四つの漢字が記載されていました。

 その後、爆弾を仕込んだ石川啄木詩歌集とかエラリー・クイーンの小説、ボール箱などが都内各所で発見されたり、翌昭和38年/1963年には、上野公園で起きた発砲事件と同一と思われる弾痕をもつピストルの弾丸が、〈草加次郎〉の名前で警察に送られてきたり、姿を見せぬ犯行者の名前が徐々に世間をにぎわせはじめますが、ついには9月5日夜8時すぎ、地下鉄銀座線の京橋駅で、停車したばかりの車両で突然の爆発が発生。現場に残っていた乾電池に「次」「郎」といった文字が発見されたところから、爆弾魔〈草加次郎〉による狂気の犯罪が一般市民の生活を脅かすものとして大きく報道されるにいたります。

 爆弾を使うその手口とは別に、芸能人たちに金を要求する脅迫状を何通も送っていたのも〈草加次郎〉の名を有名に押し上げたひとつです。先の島倉千代子さんをはじめ、映画スターの吉永小百合さん、鰐淵晴子さんと、いわゆる世間で「清純派」と呼ばれる女性芸能人ばかりを標的にしていたことが、おそらく若い男の犯行ではないかとか、不遇感を抱きながら晴れがましい世界に憧れや妬みをもっている者のしわざではないかとか、硬から軟まであらゆるジャーナリズムが食いつき、世をあげた犯人推理ゲームを過熱させることになります。

 ときに〈草加次郎〉とはひとりの異常者ではない、いまの社会には草加次郎的な憤懣をかかえる人たちが無数にいて、あくまでそれが爆発魔というかたちで噴き出したにすぎない、これは日本全体の、日本人全体の問題なのだ、と大上段に解説する意見も現われます。社会的な犯罪事件を対象に、有識者というか有名人というか、そういう人たちが自分たちの意見を交わし合う、その様子を遠巻きに眺めている一般の人たちが納得したり楽しんだりする……というのは、いまを生きるワタクシにも非常に馴染みのある構造です。50数年前の昭和38年/1963年当時も、もちろんそういう光景が展開されたわけですが、そこにお声がかかったひとりが、われらが直木賞の選考委員、木々高太郎さんでした。

 木々さんといえば、直木賞の選評でもなかなかの高圧的な発言を繰り返し、候補作家の神経を逆撫でしてきた人でもあります。『読売新聞』紙上に掲載された〈草加次郎〉事件に関する座談会でも、その特徴がいかんなく発揮され、のっけから犯人を無意味な精神病質者、と切り捨てます。

本社 草加次郎の目的、動機をどうお考えになりますか。

 特定の意思、目的はありませんね。意味のない反社会的行為です。たとえば電車のなかで女性のスカートを切るようなものです。知っている女なら憎しみという動機があるかもしれませんが、この場合相手が女性であればいいのです。したがってこのような事件をくりかえしてやる以上、精神病質者といえましょう。

(引用者中略)

多くの女性歌手、女優がいるのに、島倉、吉永の二人を選んでいるし、凶器に爆弾を使っている。殺す相手にも好みがあるのは変質的な傾向を裏づけているのですが、私の推定では四十歳ぐらいで、インテリだと思う。

(引用者中略)

日本の法律はやさしいところからこんな事件がおきるんじゃないかね。他人の生命をあやうくするようなものは厳罰にすべきだ。」(『読売新聞』昭和38年/1963年9月11日号「“社会の敵”を葬れ 「草加次郎」紙上捜査会議」より ―参加者:警視庁刑事部長・本多丕道、慶大教授・林髞〈推理作家 木々高太郎〉、推理作家・佐賀潜〈弁護士 松下幸徳〉、東大助教授・樋口幸吉)

 草加次郎のような精神異常は社会から隔離すべきだ、というのが林=木々さんの持論だったそうです。あるいはそういう身も蓋もない威張りくさった発言が、誰かの癇に障ったものでしょうか。木々さんの自宅に不審な電話がかかってくるようになります。

          ○

 およそ〈草加次郎〉の事件と言われるものの最後は、吉永小百合さんに宛てて現金100万円を要求する脅迫状が送られてきた一件ということになります。

 昭和38年/1963年5月14日から7月22日に下谷郵便局管内から投函された4通の脅迫状が、吉永さんの自宅から発見されたのが、同年8月30日から9月1日にかけてでした。まもなく9月5日に地下鉄銀座線で爆発が起こりますが、同日午後に投函されたと思われる、やはり下谷局の消印のある5通目の脅迫状が、翌6日に吉永さんの家に届きます。そこに書かれていた内容は、9月9日午後7月10分発の寝台急行「十和田」に乗り、懐中電灯の点滅するところに100万円を投下しろ、うんぬんということで、当日、警察は大量動員をかけて犯人確保を狙いますが、けっきょくそれらしい人物は現われずじまい。その9月6日に届いた吉永さんと鰐淵さん宛ての脅迫状が、〈草加次郎〉による一連の犯行の最後だったと言われ、その後犯人から何のアクションもなく、昭和53年/1978年9月に時効が成立します。

 ところで、大きな事件を起こし、マスコミでも連日のように取り上げられると、だいたい真似したり便乗したりする人が出てきます。とくにこの事件は〈草加次郎〉という犯人の名前がインパクトをもって各所に躍りました。〈草加次郎〉を名乗る脅迫、いやがらせの類がひっきりなしに発生、鎌田忠良さんの『迷宮入り事件と戦後犯罪』(平成1年/1989年9月・王国社刊)によれば、この年の4月1日~9月10までに警視庁の把握した〈草加次郎〉名の恐喝・脅迫事件は116件。うち55件58人が検挙済で、14歳から19歳までが23人、20歳から29歳までが21人を占めていた、ということです。地下鉄での爆発事件以降はそういう類のものが一気に増加して、9月5日から26日までで捜査本部が確認できただけでも、〈草加次郎〉を名乗った封書が451件、電話75件、名前なしの封書32件、電話での爆発予告28件。そのうち14件15人を逮捕し、他は捜査続行中と発表されます。こういう人たちは〈ニセ草加次郎〉などとも呼ばれます。

 何が本物で何がニセモノか、よくわからない話ではあるんですが、わざわざ既成の犯罪者の名前をパクって、嫌がらせをしたり他人を不安にさせたりする人がいるのは、いまとそう変わりません。当時10代20代ということは、いま生きていれば60代70代のご年配、当時を思い返して何を思うのでしょうか。

 それはともかく、話は木々高太郎さんのことです。報道によると、昭和38年/1963年9月13日、木々さんの留守中の自宅に〈クサカ〉と名乗る男から電話があり、何時ごろ帰るんだ、電話があったと伝えてくれ、と言って切られたそうです。俗にいうところのイタズラ電話です。

 しかしこの〈クサカ〉がなかなかしつこくて、翌昭和39年/1964年6月12日朝早く、なぜか木々さんの隣家だった林鋼材の社長、林繁美さんの家に電話をかけ、隣の林教授の家に時限爆弾をしかけた、用心しろ、と通告。けっきょく何もなかったんですが、6月24日にまた同じように、今晩決行してやる、とわざわざ隣の林さんの家に電話をかけてきただけでなく、6月26日には木々さんのほうの家に電話をかけ、おれは草加次郎だ、爆弾だ、と言ってすぐに切る、というようなことを繰り返します。完全なイタズラ電話です。

 まだ当時、木々さんは直木賞の選考委員をやっていました。同じイタズラなら、おれは草加次郎だ、おまえの直木賞の選考はどうかしている、だれそれを落選させたら爆発させてやる、みたいに具体的な脅迫をしたほうが面白かったと思うんですが、いや、面白がっている場合じゃありませんね。まさしくこちらの一連の電話は「特定の意思、目的」が不明で、とりあえず標的として木々さんを選んでいるところから、いかに木々さんが他人からジャレつかれやすい性質の持ち主だったかをうかがわせるにとどまります。〈ホンモノ草加次郎〉と同様、こちらの〈草加次郎〉もその後どうなったのか、わかりません。

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