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2019年4月14日 (日)

昭和41年/1966年・怪しいパーティを開き、ブルーフィルムを上映したことで逮捕された松本孝。

東京戸塚署は警視庁捜査四課の協力で新宿を根城にする暴力団極東組の摘発を行なったところ、一味の自供から(引用者中略)ルポライター、松本孝(三三)と妻、佳子(三二)が小説の材料にするため少女二人と少年一人に自宅で、睡眠薬を飲ませ、ブルーフィルムを見せて反応を観察するという“生体実験”をしたことをつきとめ、このほど松本夫妻をわいせつ物公然陳列の疑いで逮捕した。

(引用者中略)

松本は週刊新潮の「黒い報告書」などに事件をアレンジしたドキュメンタリーふうの小説を書いており、同事件の少年、少女のことは八月二十二日号の週刊誌「平凡パンチ」に書いた。

――『毎日新聞』昭和41年/1966年9月12日「とんでもないルポライター夫婦 薬のませ、不良映画 少年少女の反応を材料に」より

 うちのブログで約1年にわたって「同人誌と直木賞」を書いたとき、『断絶』とからめて松本孝さんのことにも触れました。松本さんの出世作といえば、第45回(昭和36年/1961年・上半期)の直木賞候補になった「夜の顔ぶれ」と言っていいんでしょうが、じっさいにはそれより早いタイミングで『週刊新潮』「黒い報告書」シリーズの第1号ライターに起用されたことが大きかった……みたいな流れで紹介したものです。いずれにしても〈エロス!〉および〈犯罪性!〉という、刺激的な題材をぬきにしては語れない物書きだったことは間違いありません。

 ということで、直木賞の候補作家とはいえ、いまとなっては文芸方面から顧みられることもない売文ライターのひとり、と言ってもいいはずですけど、その松本さんが現実の犯罪に巻き込まれ、いや、犯罪を起こした張本人だと糾弾されて、『毎日新聞』紙面に「とんでもないルポライター」だとデカデカと書かれたことがあります。直木賞の候補になってからわずか5年しか経っていない昭和41年/1966年9月の話です。

 事の起こりは、松本さんが小説を書きはじめた時期に当たる、1960年代の前半ごろにさかのぼります。

 その当時、都内の盛り場、とくに新宿あたりでは放埓で無気力で刹那的な生活を送る、いわゆる「フーテン」と呼ばれる10代、20代の若者たちが増え始めた、と言われています。一部は60年代安保の学生運動に打ちやぶれ、政治や社会制度に対する反抗心の行き場をなくした人たちが、そういうかたちで既成のモラルをぶち破ろうとしたのだ、という分析を信じていいのかどうなのか、それはともかくとして、家出して定宿のないまま、着の身着のまま、働きもせず、享楽にうつつを抜かし、睡眠薬を摂取することで混濁した意識にふける「ラリパッパ」なる遊びがじわじわと流行。こういう人たちの発生が社会的な現象として一気にマスコミの注目を集め、俗にいう「フーテン族ブーム」が訪れるのは昭和42年/1967年夏のことですが、それより前から松本さんは彼らの生態に密着し、妻とともに自分も新宿フーテン族の仲間というか兄貴分として過ごしていました。

 とくに松本さんを有名にしたのが、新宿区下落合の自宅を開放して若者たちとともに遊ぶ、プライベート・パーティの主催者としての顔です。

 自然発生的にパーティを開催するようになったのは、まさに60年代初期の昭和36年/1961年ごろからだといいます。参加者たちにはとにかくパートナーを独占しないというルールが課せられ、松本さんの準備した下着類を、男女の別なく自由に身にまとい、酒や睡眠薬を飲んでは、夜どおし踊ったり騒いだりする……という、人によってはおそらくこのうえないほどに楽しい催しを繰り広げ、いつの間にやら松本さんは、まわりから「教祖」と呼ばれるようにまでなります。

 ところが、昭和41年/1966年3月、いつものように開催されたパーティに、15歳と14歳の女子2人と、17歳の男子1人が新顔として参加したところから話はダークな方向に向かいはじめます。彼らが参加したきっかけは、松本さんの妻、佳子さんと新宿のジャズ喫茶で知り合ってパーティに誘われたから、と言われていますが、どうやら暴力団組織〈極東組〉のチンピラとつながっていたらしく、8月23日の深夜、突然松本さんの家に、前科二犯のバーテンダー新井元久さんと19歳の見知らぬ青年の二人がやってきます。

 19歳の青年は、パーティに参加していた女子の恋人だと言いだし、ついては女がおたくの知り合いに孕まされた、どう責任をとってくれるんだとイチャモンをつけてくる。つづけて翌日には、極東組組員の村畑誠一さん、女子2人を含めた5人でしつこく家にやってきて、何だかんだと理由をつけては5万円支払えなどと脅してくる。その恐喝ネタのひとつが、ブルーフィルムいわば非合法のポルノ映画を上映したという松本さんのパーティだったわけです。

 何だかしょぼい連中だなと思いながらも、松本さんは戸塚署に通報、9月6日に新井・村畑の両名が恐喝の容疑で逮捕されます。しかし彼らが供述した内容から、今度は松本さんがブルーフィルムの上映会をやっていることがバレてしまい、同日に家宅捜査が行なわれた結果、そこでは証拠のフィルムは出てこなかったものの、松本夫妻も猥褻物公然陳列罪で逮捕され、略式命令で1人3万円ずつの罰金刑と決まります。未成年もからんだ事件ということもあって、松本さんは、

「パーティーのなかに十四、五歳の少女がまぎれ込み、それが現実問題として堕落したことにはいたく反省して、「これでボクの社会的生命も終わりでしょう。テレビ局が連ドラをやってくれるはずだったが、もうとてもねえ。筆を折りたいと思ってます」と意気ショウチン」(『週刊大衆』昭和41年/1966年10月6日号「“わいせつ作家”松本孝氏の実績」より)

 と、断筆を決意しなければならないほどに深く反省することになりました。

          ○

 これをことさら大きく取り上げて、「とんでもない」呼ばわりする『毎日新聞』もどうかとは思いますが、『アサヒ芸能』(10月2日号)『週刊大衆』(10月6日号)といった、エロと犯罪に目のないゴシップ誌あたりがそれに過敏に反応し、松本さん夫妻の所業が暴かれます。

 パーティのその内実は、ヌードダンサーも登場して、相手選ばずの乱交セックスがおっ始まるような、ただれた情欲の充満するシロモノ、ちょっぴり興味はあるけど、普通の暮らしをしているとなかなか足を運べない、と多くの人たちが思っているはずの、いかがわしい場を設け、そこでの実体験を取材と称して原稿を書いているのが、こいつ松本孝なのだ! ……ということなんですが、エロスと犯罪の匂いこそが松本さんの本領です。さすがに、こんなことで筆を折ったりはしません。

 松本さんの事件の翌年、昭和42年/1967年には前述のとおり、世をあげてのフーテン族ブームが訪れ、松本さんのもとにも数々のメディアが話を聞きにきたそうです。松本さん自身も、新宿の若者を生態を書くことが自分の執筆テーマのひとつだと自負し、昭和43年/1968年2月『新宿ふうてんブルース』(三一書房/さんいちぶっくす)を書き下ろします。

 「あとがき」によれば、同名の小説を月刊誌『TOWN』第2号に発表したのが、逮捕の騒ぎを経た昭和41年/1966年の暮れのこと。まもなく三一書房から出版の話が持ち込まれ、同社の敏腕編集者、井家上隆幸さん担当のもと、最初に発表した作品を原型としながら一から書き直し、一年少しかけてようやく刊行にこぎつけます。

 ここに、例の事件とその後日談が回顧されています。

「この長篇(引用者注:『新宿ふうてんブルース』)の構想がどうやらまとまりかけてきていた66年の夏。ぼくは、ひとつの悲しむべき事件に遭遇した。

かんたんにいえば、その半年ほど前に、ぼくの家にきたことのある少女二人と、その後ぼくの知らぬうちに知り合った池袋のヤクザが、何をまちがえたか恐喝にやってきたのだ。しかも、ぼくの届け出によって相手はなんなく逮捕されたが、これが二、三の新聞紙上に非常に曲解された記事として報道されてしまったのである。

事件自体は、ヤクザの青年も、朴訥な父親が上京し、弁護士ともども陳謝にきたこともあって、ぼくも進んで上申書を書き、青年は執行猶予となったし、その後当局からも、非公式にではあるが丁重な挨拶があって落着した。が、直接ことの真相を確かめもせずに書かれた新聞記事に、ぼくは深刻なショックを受けてしまった。」(松本孝・著『新宿ふうてんブルース』「あとがき」より)

 一度はこのショックで執筆意欲も衰えたが、『TOWN』編集長の佐藤正晃さんから原稿を依頼され、周囲に励まされたおかげで、作家としてライターとして復帰を果たせた。

 ……ということで、厳しい報道被害を力強く撥ね返し、これまでと変わらず妖しくも活気のある読み物マーケットで、したたかに仕事を続けることになりました。文壇とは少し離れたマーケットだったので、以降、文学とかそういう方面では、ほとんど見かけない名前になってしまいましたが、直木賞の候補者のなかでも消えそうで消えずに長らく物をかきつづけた特異な人物、と言っていいと思います。

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コメント

直木賞候補絡みだと、星新一の「東大エロ映画事件」に似ていますね。あのときは、星新一自身が検挙されたわけではないと思いますが。

投稿: ☆ | 2019年5月 1日 (水) 14時27分

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