昭和53年/1978年・タクシーのフロントガラスを壊し、器物損壊で現行犯逮捕された佐木隆三。
直木賞作家の佐木隆三(四一)=本名、小先良三(引用者中略)=が一日未明、酔って帰宅途中、乗車を断ったタクシーに腹を立て、フロントガラスをこわし、器物き棄の現行犯で東京・築地署に捕まった。
調べによると同日午前零時五十五分ごろ、中央区銀座七の三の一三の路上で(引用者中略)個人タクシー運転手、奥谷義里さん(三六)が信号待ちしていたところ、小先が「乗せてくれ」と近寄ってきた。
奥谷さんが「タクシー乗り場で拾って下さい」と断ると、小先は「なぜ乗せない。空車なんだからいいじゃないか」とタクシーのボンネットに上がり、こぶしやヒジでフロントガラスをこわした。被害は三万円相当。そのさい小先もヒジに軽いケガをした。
――『毎日新聞』昭和53年/1978年7月1日夕刊「直木賞作家の“乱行” 佐木隆三逮捕 タクシーに暴力」より
直木賞を受賞した人はだいたい「直木賞作家」と呼ばれます。
しかしこの呼び方は変じゃないかと、直木賞が生まれて以来、批判や異論をぶつける声は数知れず、これをテーマに1年分のブログが書けそうなぐらいに多くの人たちが問題視してきた呼称ですが、「ただの「作家」とは違うかのように印象づけながら、直木賞をとった、という以上のことを示しているわけではなく、けっきょく賞の知名度に頼った表面的な呼称」にすぎません。そう考えると、「イメージ先行で、ブランド力だけが肥大化している」という、直木賞そのものの一般的な実態が、意外とうまく表現されている単語です。
いまのところ、この呼称を撤廃しようという動きはありません。おそらくこれからも直木賞の受賞者が何かすれば「直木賞作家が」うんぬんと話題にのぼり、直木賞という審査および顕彰機関が半年に1回おこなっていることとは何の関係もない分野でも、この賞の名前がひんぱんに使用されることは絶えないでしょうが、今週は「直木賞作家」の5文字が新聞の社会面に躍った昭和53年/1978年の一件を取り上げたいと思います。
佐木隆三さんです。「犯罪でたどる直木賞史」のテーマでは「昭和46年/1971年、沖縄ゼネストの警備警官殺害事件」につづいて2度目の登場になります。
前回の事件のときは、誤認逮捕でした。やってもいないことをやったと疑われ、留置所に拘束され、逮捕されたという報道が新聞にも出て、警察権力に対する憤怒の感情を思うぞんぶんかき立てることができました。それがひとつのきっかけとなって「犯罪」に興味の目を向け、やがて書下ろしの『復讐するは我にあり』完成にたどり着き、空想的なものよりリアリズムをこよなく愛する直木賞の風合いにハマって、この賞を受賞したのが第74回(昭和50年/1975年・下半期)、昭和51年/1976年1月のことです。
下積みも長く、小説はもとより多才なジャンルの文章で稼いできた佐木さんは、直木賞特需に沸く受賞後からの原稿注文にも次から次へと柔軟に対応。受賞から2年ほど経った昭和53年/1978年6月にいたっても、いったいこれをひとりでさばき切れるのか、というぐらいの忙殺状態にあった、ということです。
雑誌の締切を6つ抱えて赤坂見附のホテルにこもる、いわゆる「カンヅメ」になることに決めた6月30日、出版社の人などといっしょに銀座に出かけたのが夜8時半ぐらい。それからだいぶ酒を飲んだそうですが、そろそろ帰って仕事をやらなきゃまずいなと思い、日がまわって7月1日深夜1時少し前、タクシーを探しはじめます。
ホテルまで距離も短いので、乗車拒否に合う可能性もある。これまでの経験上、個人タクシーならまず拒否されない、と判断した佐木さんは、連れの友人に個人タクシーを停めてくれるように頼み、じっさいに友人は一台のタクシーを停めたんですが、どうやら午前1時をまわる前は近くのタクシー乗り場で拾うのがルールだということで、運転手からそのことを告げられます。交渉する友人。しかし窓ガラスに手を入れた状態の友人をひきずるようにして、タクシーが動きだしたものですから、それを見た佐木さんはカッと頭に血がのぼり、なんて乱暴なことしやがるんだと、タクシーを停めるためにボンネットの上に飛び乗ります。危険です。
はじめは運転手も丁寧な態度だったそうですが、佐木さんが暴れて、タクシーの窓ガラスにキズがついたのを見て激昂。乗せていけという佐木さん、ガラスを割りやがったな弁償しろという運転手、言い合いの喧嘩になり、よし話なら警察でつけようと佐木さんが提案して、銀座にある数寄屋橋交番の前まで移動します。しかしそこでも口論はまったくラチが明かず、そうこうするうちに築地署から刑事がやってきて、刑法第40章第261条、器物損壊の罪という運転手側からの告訴を受けて、佐木さんは現行犯逮捕されました。
本人によれば、当夜はたしかにかなり酔っていて、あまり後先のことを考えずに、わかったわかった、ひと晩ここで泊まってやるから明日シロクロつけてやろう、と逮捕に応じたらしいんですが、翌朝起きてから冷静に考えたところ、こちらがきちんと詫びないと留置所から出ることもできず、締切の原稿を進めることもできない、という状況に気づき一気に青ざめます。丁重に反省の意を示し、ガラス損壊の弁償金16万円を支払うことも認めて、運転手との示談が成立。告訴は取り下げられ、7月1日夜、釈放されるにいたりました。
○
このあたりの佐木さんの心情や周囲の動向の一端は、当時、佐木さんが『週刊時事』に連載していた「人生漂泊」をまとめた『無宿の思想――続々 人生漂泊』(昭和54年/1979年9月・時事通信社刊)で追うことができます。
直木賞を受賞したことでポッと出てきた、と一般的には受け取られている「直木賞作家」が、銀座で酒を痛飲、何サマを気取ってかタクシーの運転手にイチャモンをつけ、暴れ出し、ガラスを割るなど卑劣な所業に及んだということで、偉そうにしている作家先生もじつは罪人だった世も末だ、の大合唱……。というほどの合唱が起こったかどうか、そこまでは書いてありません。
ただ、新聞や雑誌、放送(テレビ・ラジオ)ではけっこう叩かれ、また自宅には「バカ野郎ぶっ殺してやる」「銀座で飲むとは生意気な」「直木賞を返上せよ」「九州へ帰って百姓でもしろ」「こんど道で遇ったら殺す」という電話、ハガキ、手紙がわんさか送られてきた、と『週刊サンケイ』誌上のエッセイで明かされています(昭和53年/1978年7月27日号「我が酔虎伝始末記」)。そしてそのほとんどが匿名のものだったそうで、いまネットを使って有名人の不祥事にいろいろ発言している数多くの匿名の方がたも、きっと40年まえの彼らの反応には親近感がわくのではないかと思います。
たしかにいま、直木賞の受賞者が警察に逮捕されたらどうなるのか。「直木賞を返上せよ」ぐらいのコメントは当然のように挙がりそうです。
しかし、どうして返さなければいけないのかはよくわかりません。直木賞は公的にも認められる聖なる表彰制度で、その後に違法なことをしたら過去の表彰を取り消さなければならないほどの輝かしいものなのだ。……という感覚をもっている人が現在の日本にもいるし、40年まえもいたのかもしれない。と、とりあえず仮説を立ててみましたが、いや、そういうことより「賞を返上せよ」と他人に対して言うと、胸のすく快感が味わえる、というだけのことかもしれません。まあ、賞をとって売れっ子になる人よりも、返上せよと注文をつける人のほうが偉そうなのはたしかです。
さて、このときの佐木さんですが、犯罪事件で相手に迷惑をかけたことを謝罪します。家族や友人たちに心配をかけたことを反省します。いっぽうでは、そこまで大きな事件とも思えないのに、あまりに多くの人たちから攻撃されるその反響の大きさに驚き、だからなのか、留保をつけた反省でとどめてみせました。
「ところで、わたしは、品行方正を理由に、直木賞をいただいたのであろうか? そのへんのことが、ちょっと、気がかりではある。たかが戯作者風情、どう転んでもたいしたことはないと、タカをくくって生きてきたし、これからも、そう思い続けるであろうから、今後も似たような失敗は、どこかで演じるにちがいない。
ひらきなおるのではない、これが、わたしの生地なのである。」(『週刊サンケイ』昭和53年/1978年7月27日号 佐木隆三「我が酔虎伝始末記」より)
不祥事は不祥事だったんですが、この程度のことで佐木さんを干すような動きはまったく見えず、原稿依頼のキャンセルはゼロ。しばらく禁酒して仕事に励み、逮捕された7月の1か月でおよそ原稿用紙400枚分の仕事をこなして(『無宿の思想』所収「月産新記録」)、消えることも消されることもせず、大酒飲みの武勇伝のひとつとして、こういう小さなブログで取り上げられるだけの話になっています。果たして当時、佐木さんに向かって、死ねと言ってスッキリした人たちは、何の効果もなく佐木さんが活躍しつづけたことをどう思っていたのか。……さっさと忘れ果てたかもしれません。
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