昭和45年/1970年・大麻パーティーの記事に名前を出されて名誉棄損で告訴した山口洋子。
東京・銀座のクラブ「姫」の経営者、山口洋子さん(三三)(引用者中略)は、二十三日女性週刊誌「ヤングレデイ」の平賀純男編集長と、出版元の講談社野間省一社長を東京地検に名誉棄損で告訴した。
――『読売新聞』昭和45年/1970年3月24日「女性週刊誌を告訴 「姫」の山口洋子さん」より
数か月まえ、なかにし礼さんが若いころに見舞われた昭和46年/1971年の犯罪事件を取り上げました。直木賞という行事には受賞者や候補者を通してこういう芸能ニュースの血が脈々と流れていたりします。正真正銘の事実です。そういうありようを抜きにしてこの賞のことを単なる文芸の話題として切り出すのは、ずいぶんもったいないことだし味気ないと思います。
ということで、今週の主役の山口洋子さんも、なかにしさんと同様に右肩上がりの歌謡ビジネスのなかで作詞家として重宝され、やがて物書きとして小説を執筆、第93回(昭和60年/1985年・上半期)の直木賞を受賞した人なんですが、この人も直木賞を受賞した段階で、もはやかなりの有名人でした。ヒット曲の多い作詞家としての顔は言うまでもありません。そのうえ、東映第四期のニューフェイスとしていっとき女優を志しながら、すぐに見切りをつけて夜の世界に飛び込み、昭和31年/1956年8月、19歳の若さで銀座に「姫」という酒場をオープン、以後数多くのプロ野球選手や芸能人、作家たちの集まる店へと育て上げた、という売りもありました。
夜の銀座にしても芸能界にしても、世間の生活とは離れた特殊な世界、というのが一般的に存在していた昭和の時代の共通認識でしょう。カタギに対するところのヤクザな世界。とでも言いますか、けっきょく同じ人間ですからやっていることは大して変わらないはずですが、特殊な世界として切り取られ、ときに彼らの言動が市場価値を持ち、テレビ、ラジオ、雑誌、スポーツ紙などでは花形の話題として流通したりします。警察沙汰や裁判沙汰ともなれば、マーケットは一般紙にも広がり、購読者の興味・関心の欲をかきたてるために、何ということもない事件が紙面の一角を占めて報道されることも、しばしばです。
何ということもない、などと決めつけちゃいけませんね。これが些細なことなのかどうなのか、ワタクシには判断できませんけど、当時〈銀座のクラブのママであり作詞家〉として知られていた山口さんが講談社の『ヤングレディ』の記事に怒り、これを名誉棄損だとして東京地検に告訴した事件があります。昭和45年/1970年3月のことです。
話の発端は、芸能界をまきこんだ大麻汚染の話題です。はっきり言って極めてよくある話題です。
昭和45年/1970年2月に発生したのは、前衛ミュージカルとして評判をとっていた「ヘアー」の関係者や出演俳優たちが都内各所で何度もハシシュ(マリファナとする報道もあり)・パーティーと称する集まりを開いていたとして、ぞくぞくと逮捕者を出した一件です。自宅を提供してパーティーを開いていたとされたのが、「ヘアー」プロデューサーの〈象多郎〉こと川添象郎さん当時28歳のほか、バンドマンのフォルツノ・エドモンドさん、俳優の寺田稔さん、元ザ・タイガースの〈加橋かつみ〉こと本名・高橋克己さんが2月26日、大麻取締法違反で警視庁保安二課に逮捕されると、その後作詞家の安井かずみさんなども同じ容疑で警察にしょっ引かれます。
川添さんという人は、その後にわたってある種の方面ではしたたかに力を発揮した著名な人だということでWikipediaにも立項されています。経歴はそちらを参照してもらえればいいんですが、逮捕が報じられると、犯罪者につらく当たるのがオレたちの使命だとばかりに、週刊誌では「親の七光り」だの「口八丁手八丁」だのさんざん叩かれたうえに、
「ひと言でいうとまるで頼りない男でね。頭がいつもボーとしていた。約束を平気でスッポかすし、右からいったことはすぐ左にぬける感じだな。頭はいいし、たしかに音楽的才能はあるけど、オヤジさんとおなじように、まるで行政手腕がない男ですよ。いまから思うと、ボーとしてたのはマリファナのせいなんだな。ボクらは二日酔いとばかり思ってましたがねえ」(『週刊文春』昭和45年/1970年3月16日号「お粗末「ヘアー」の七光りプロデューサー リッチマン川添一家の息子」より)
と、「ヘアー」を主催した松竹の製作室、寺川知男プロデューサーによる忌憚のない月旦評まで紹介されるありさま。
なかなか山口洋子さんと結びつきませんが、とりあえず川添といえば怪しい犯罪者、という認識のなかでゴシップジャーナリズム界で盛り上がっていたところに、講談社の『ヤングレディ』誌も、じゃあ我われもご相伴に預からせていただこうかと、さらっと川添パーティーネタを取り上げた状況があったわけです。
最近のコメント