昭和61年/1986年・井上ひさしと再婚するかもしれない、として写真を撮られた女性が提訴。
写真週刊誌「フライデー」に盗み撮りの写真を掲載され、「作家の井上ひさし氏の『再婚相手』とうわさされる」などと報道された料理研究家の米原ユリさん(三三)が二十四日、「のぞき見趣味に迎合した商業主義的報道で肖像権を侵害された」などとして、同誌の発行元、講談社(野間惟道社長)に対し、写真が掲載された十月二十四日号(九日発売)の回収のための広告掲載や慰謝料二百万円などを求める訴訟を東京地裁に起こした。
芸能人などの著名人でない一市民が「肖像権侵害」を理由に提訴に踏み切るのは異例のこと。
――『朝日新聞』昭和61年/1986年10月25日「盗み撮り雑誌 法廷へ 結婚報道の料理研究家 肖像権認め回収を」より
ゴシップにはさまざまな種類があります。いまうちのブログでやっている犯罪事件をはじめとして、訴えた・訴えられたのトラブルや、誰と誰が仲がいいとか、誰の性格が悪いとか、内輪でのみ流通するウワサ話もあります。いずれにしても文学を何だか特別視している文学信者からはおおむね馬鹿にされる類いの話題ですが、そのなかで燦然と輝く「どうでもいいゴシップ話」の王道といえば、男女のあいだに関すること、とくに結婚・離婚のニュースです。
いや、王道といえるのかどうなのか、ゴシップには主流も傍流もないので、それはちょっと言いすぎですけど、直木賞という存在を盛り上げてきたゴシップのひとつに、惚れた腫れたの色恋沙汰があることは間違いありません。第1回に受賞した川口松太郎さんからして人気舞台女優とくっつき、受賞直後にさんざんイジられた、というところからも、その伝統ぶりはよくわかります。
直木賞の受賞者、候補者、選考委員、こういう人たちの結婚の話が報道ベースに乗ったことは、多くはないにしてもいくつか挙げられると思いますが、ほぼ1年という短いあいだに離婚および再婚が数多くのメディアで取り上げられ、しかもそこに犯罪事件まで呼び込んでしまった稀有な事例が、今週触れる井上ひさしさんのケースです。言うまでもなく、ほとんどがどうでもいいことですが、有罪無罪を争う裁判になった事案でもあり、ここは安易に馬鹿にせず、少し流れを追ってみたいと思います。
そもそも昭和47年/1972年上半期(第67回)に直木賞を受賞した段階で、井上さんに関する記事には、しばしば妻の好子さんも登場していた、というぐらいに井上夫妻はともども有名でした。どことなく頼りなさそうだが仕事のデキる亭主と、テキパキと物事を処理して自分も前に出ていく女房。あるいは「こまつ座」という劇団の運営を切り盛りするリーダーと、台本が間に合わずだいたい遅れる座付作者。そんな間柄として取り上げられるなか、井上さんの仕事は順調に推移して、直木賞受賞約10年後の昭和57年/1982年下半期(第88回)からは同賞の選考委員を拝命します。
このお二人の昭和36年/1961年以来の婚姻関係が、終わりを遂げることになったのは昭和61年/1986年6月、ひさしさん51歳、好子さん46歳のときです。離婚が決定的になったのは、前年に好子さんが他の男性と関係を結んで失踪した、いわゆる浮気もしくは不倫にあったと言われ、離婚さわぎのゴタゴタのなかで井上さんの母親も好子さんのことを悪しざまに罵るなど、テレビのワイドショー、週刊誌、スポーツ紙あたりは熱烈に二人の離婚にまつわるあれこれをネタにしました。
冷静に考えると、いくら直木賞の選考委員も務める人気作家とはいえ、離婚ぐらいのことで何でマスコミが燃え立ったのか。不思議な話ではありますが、他人の家庭の揉め事は、外から見ると基本エンタメ、というのはだいたいワタクシたちの社会では常識として共有されている構造です。
しかし、その常識が行き過ぎた結果、さすがに耐えられなくなる人が出てきたのも、また事実です。
別れた妻、好子さんのほうは、舞台監督の西舘督夫さんという恋のお相手の名前もオモテに出て、そちらはそちらでヤイヤイ言われたんですが、別れた夫、ひさしさんのほうも離婚会見から3か月弱、早くも再婚相手と目される女性が判明したぞ。という特ダネを『スポーツニッポン』がつかみ、昭和61年/1986年9月21日付の記事として一発かまします。その相手、米原ユリさんがのちに回想した「特別手記―私が裁判を起こした理由」(『創』平成1年/1989年8月号)によると、『スポニチ』の発売されたその日の朝から、自宅の前に報道陣がわさわさと集結、ご近所に要らぬ迷惑をかけるは、殺してやるだの卑猥なことを言うだけの迷惑電話がかかってくるは、日常生活に支障をきたすレベルの大きな波が襲ってきたそうです。
さらには昔どこかで撮った顔写真が勝手に使われ、若干の臆測と若干の真実がまざり込んだ、基本、興味本位の記事がぞくぞくと書かれますが、さあここでやってくるのが真打ち登場、80年代ゴミクズ文化の集大成とも呼ばれる写真週刊誌です。講談社『FRIDAY』の契約カメラマン小原玲さんが、高さ2メートルの塀越しに米原さんの家のなかにレンズを向け、キッチンに立つ米原さんの姿を無断で横から撮影。編集部からこういう写真が出ますよと事前に告知されてそのことを知った米原さんは、あまりの恐怖におぞけだち、掲載をやめてほしい、載せたら訴えますと返答しますが、それを無視した『FRIDAY』は、10月24日号に「別れた「夫人」もすすめた「いい関係」 井上ひさし氏が語った「噂の女性」との真実」と題する記事を発表してしまいます。そこに書かれた文章の内容はともかくとして、米原さんの写真のほうは粒子も荒いし表情だってよくわからない、一ページまるまる使っている割には別段何という価値もないもので、おそらく渦中の女性のいまの姿を、よそに先駆けて撮ってみせたぜ、という同誌およびカメラマンの自己満足が8割以上の意味を占めたような記事でした。
井上さんの離婚にも再婚にも、とくに法を犯す要素は見当たりませんでしたが、再婚する前の、お相手と目される人に対するやりすぎた報道が大きな問題を起こしてしまいます。同年10月24日、米原ユリさんは講談社を相手取り、肖像権の侵害を訴えて裁判を起こしました。
○
東京地裁での裁判は平成1年/1989年6月までつづき、そのあいだに井上さんと米原さんはめでたくご成婚。何だよやっぱりくっついていたのか、と巷からあきれたような声が上がるなか、しかし別にそれで法廷での争いが落着したわけではありません。旧姓米原さんは、今後写真週刊誌によって被害を受ける人が出てこないように、出てきても勇気をもって訴えることができるようにと、講談社に賠償などを求めて争い、講談社側に慰謝料など110万円の支払いを命じる有罪判決を引き出します。
それはそれで、自分の求めた内容とは違うかたちの勝訴だったので、旧姓米原さんとしてはあまり納得はできなかった、と伝えられていますが、ここは直木賞に関するブログです。米原さんが写真を撮られることになった事態と決して無関係とはいえない井上ひさしさんのことを、無視して終わるわけにはいきません。
じっさいのところ、井上ひさしさんに、どうしてそこまでニュース価値があると思われたのか。この講談社側の犯罪が発生してしまった前提として、やはりそこに目を向けたいところです。
いちおう当時、講談社が理由を語っています。その論理がなかなかふるっています。
「井上ひさし氏の「離婚、再婚問題は、文化的社会的意義のある公共の関心事」(最終準備書面)であるから、再婚相手とされていたユリさんについても同様の関心が寄せられ、彼女の「人物像という公共の利害に関する事象を掲載した」(同)のだという」(『創』平成1年/1989年8月号 諏訪勝「「フライデー」全面敗訴判決への不満」より)
井上さん本人の活動について言うなら、まだわかります。だけど、その離婚、再婚に対して文化的社会的意義からの公共性を訴えているわけです。
文化的、社会的意義? 公共性? ……なるほど、そういう理屈(もしくは屁理屈)が出てくるところが、ゴシップをゴシップとして煮詰めていったときの面白さかもしれません。
当然のようにこんな理屈は法廷では通らず、講談社は敗訴してしまいましたが、離婚・再婚がどうでもいいことなら、文学賞の動向だってどうでもいいことです。よくよく考えてみれば、文学賞の公共性もまた疑わしいものがあり、この裁判で論じられた「公共性」とは遠い親戚のような気もします。文学賞が文学を規定することはない。でも文化的な事業だと言い張れないこともない。と、そういう意味では、ゴシップの末席を汚す存在の直木賞も、あまり人道を踏み出すと、だれかから告訴される事態になるかもしれません。そんなことがないよう、心から祈るばかりです。
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