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2019年3月 3日 (日)

昭和23年/1948年・夜道で女性を襲って強姦未遂の罪になった八匠衆一。

終戦後間もない頃、甚佐は東京である事件を起した。酒の上深夜の路上でひとりの婦人を襲おうとしたのである。その頃流行しはじめていたヒロポンや睡眠剤の影響もあったが、原因はただ単にそれだけでもないようであった。その頃の暗い世相、我執に満ちた人間の在り方、それに対する憤怒や懐疑、そのなかで死を思い、一日一日その方向へでも引きずられてゆくように、彼の心も頭も、錯乱し節度を失いはじめていたのかもしれなかった。

(引用者中略)

その頃はそんな事件が横行している時代だった。それに、刑事訴訟法も改正になったばかりで、四十八時間以内に起訴しなければ、取調べを続行することが出来なかった。

彼は自分の行為をなんと説明していいか分らなかった。自分で自分の気持さえ判断しかねていたのである。従って、羞恥のため顔をあげることも出来ず、答弁もしどろもどろだった。それがいっそう疑いを濃くする結果にもなった。刑事達もその改正に慣れていなかったし、一応はなんでも起訴した。

起訴され、忌わしい罪名が付されると、それだけでも大きな罪の結果になった。

――昭和56年/1981年11月・作品社刊、八匠衆一・著『地宴』「第二章」より

 第34回(昭和30年/1955年・下半期)の直木賞候補になった「未決囚」と、その作者八匠衆一さんのことを、以前うちのブログで取り上げたことがあります。平成20年/2008年12月ですから、もう10年以上まえのことです。

 そのときは簡単なあらすじと、この小説の書かれた背景などに触れたんですが、要するにその中心にあったのは犯罪事件です。直木賞といえば犯罪、犯罪といえば直木賞。両者の縁の深さに、当時は全然気づいていなかったですけど、おそらく昔の候補作を読むなかでこの賞を構成する多面的な要素のなかでも「犯罪事件」とからんだときの直木賞の面白さに無意識に反応して、うっかりブログに書いてしまったものと思われます。10年もたってけっきょく同じエピソードを取り上げるわけですから、ワタクシも全然成長していないんだな、とかなり悲しくなる瞬間でもあります。

 それはともかく、八匠さんです。

 大正6年/1917年生まれなので昭和23年/1948年で31歳。このときは〈松尾一光〉という本名で小説を書いていました。日本大学芸術科で講師をしていた伊藤整さんのもとで学んだ門下のひとり、はてまた中央線沿線に住む外村繁さんとはかなり親しい間柄にあったそうですが、30歳を越えて小説家としてはまだまだ新進、いや無名に近い境遇にいた、と言っていいでしょう。戦後のゴタゴタした世相のなかで坂口安吾さんや太宰治さんなどの、いわゆる無頼派の文学に心を寄せていた、という説もあります。

 「若い」と呼ぶにはもうかなり年を食っていて、焦燥感やら不遇感やら、どこか満たされない思いを抱えていたのではないか、と推察しますが、答えはどこにもないので臆測で語るのはやめておきしょう。ともかく八匠=松尾さんはやってしまいます。

 ある日の深夜、酔って道を歩いていた松尾さんは、前を歩いていた女性に近づくと、いきなり手を出し、乱暴しようと試みた。女性が叫び声を上げ、松尾さんはぶっ倒れ、その場で取り押さえられた。……というのが最初の犯行状況だったそうです。

 その後、警察で取り調べを受け、強姦未遂という罪名が付きます。このときは執行猶予がついて服役は免れましたが、未遂とはいえ、いや未遂だからこそ「強姦」という、自分に下された罪名に松尾さんは苦しむことになり、クスリに逃げ、そして前後不覚のまま似たような犯行に及んだために、今度こそはたしかに監獄行きが決定します。三十路を過ぎて観念的な世界にとりつかれた文学青年の哀れな末路、といったふうに見られるのはどうしようもなく、師ともいうべき伊藤整さんや、家に住まわせたり仕事先を紹介してもらったりしていた友人の梅崎春生さんに、これらのいきさつを小説のネタにされた、ということを以前ブログに書きました。

 しかし、気の迷いか悪酔いしたせいか、小説家を志す男が女性を襲おうとしたためにお縄にかけられて、一巻の終わり。……というのは、イエローなジャーナリズムが好きそうなゴシップではありますが、単なるゴシップではありません。いや単なるゴシップかもしれません。それはどっちでもいいことです。

 少なくとも松尾さんが勾留されて有罪となり、小菅から札幌の刑務所に移され、刑に服したのちに、八匠衆一という新たな名前を携えてふたたび小説を書き始めるというこの貴重な経験が、昭和31年/1956年1月、38歳で直木賞の候補に入るところから、作家賞(昭和33年/1958年)、もしくは平林たい子文学賞(昭和57年/1982年)へと連なる、八匠さんの少なくて輝ける文学賞の歴史を築くことになるのです。

 なあんだ文学賞か、けっきょくゴシップの話じゃないか。と馬鹿にする意見も、きっとおありでしょう。しかし、ひとつひとつの文学賞を見るときに訪れる一種の興奮の展開がそこにあることに間違いはありません。

          ○

 ところで、最近の直木賞では、おおむね私小説のような、いかにも実体験めいたモデルのある小説は、あまり候補に選ばれません。

 その意味でも第158回(平成29年/2017年・下半期)の候補になった藤崎彩織さんの『ふたご』などは、出来はともかく自伝的な要素がふんだんに織り込まれたというふれこみの、貴重な小説です。直木賞でもまだ私小説ふうのものを候補に残そうという気持ちが残っていたんだと知ることができて、ずいぶんホッとしました。

 さかのぼって八匠さんが直木賞の候補になった第34回(昭和30年/1955年・下半期)では、候補7作のうち、邱永漢「香港」、片山昌造「戦争記」、そして八匠さんの「未決囚」あたりがその系譜に入ります。インパクトのあるじっさいの体験を具体的な材料にして、これを他人に読ませるかたちで人間心理、背景描写、そのほかさまざまな工夫を凝らして小説化したものです。なかで「未決囚」は、八匠さんが犯罪を起こして刑が確定するまえ、小菅の刑務所にいたときのことを題材にしています。人生の絶望の淵に立たされ、マジで自殺しようと考えたが、同房の韓国人に止められて命をつなぐことになった、というのはほんとうにあったことらしいです。

 その後に刑が確定して札幌の刑務所に送られ、多少なりとも文学をかじって文芸誌の編集もしていた、という履歴から、所内の職員と収容者がともに読めるような機関誌の雑誌づくりをまかせられます。そこに寄稿者のひとりとして参加した女性看守と、やがて心を通わせるようになり、八匠さんが出所したあとも直接会ったり文通がつづいたりしますが、女性は教会に通ううちに信仰の世界に傾倒、看守をやめてフィンランドミッションの伝道師になります。

 罪を犯した男と、神を信じる聖女、二人は周囲の反対を押し切って結婚し、東京での仕事を求める八匠さんに従うかたちで妻も上京。どうしても文学の道から離れることができない八匠さんは次第に原稿用紙に向かう日々を取り戻す。……というところで八匠さんが題材に選んだのが、まるまるその自分と妻との話だった、というのですから、文学に憑かれた人間の発想は恐ろしいと言いますか、作家として自分の犯した犯罪事件と一生向き合うことを決意した八匠さんの気迫には、思わず顔をそむけざるを得ません。間違えました。思わず頭を下げざるを得ません。

 それで『地宴』『海潮音』『生命盡きる日』と、三部作と称される八匠さんの代表的な長篇は、八匠さん自身を思わせる男と女性看守だった妻との、流れゆく日々から妻が病に倒れてやがて死を迎えるまでの状況をとらえたものになっています。

「一、二の作品は別として私の書くものはたいてい私小説的傾向が強い。それについては私は私なりの意見もあるのだが、時には自分を傷つけ切り刻むような作業が厭になることもある。しかしこうだったろうああだったろうと立上ってくるのは決って過去の亡霊ばかりだ。」(昭和59年/1984年9月・作品社刊、八匠衆一・著『風花の道』「後記」より)

 三部作のあとに出た作品集『風花の道』で、八匠さんはこんなふうに書いています。厭になろうが何だろうが、けっきょく書き続けてしまう強烈なひたむきさ。正直こわいです。

 そんな人がうっかりと事件を起こして犯罪者の重荷を背負ってしまったのは、いったい結果なのか原因なのか、そんなことはてんでわかりませんし、八匠さん自身、当時自分がなぜ女性に襲いかかったのか、何度思い出そうとしてもわからない、と書いていますが、そのわからなさに向き合って小説が生まれ、直木賞に落ち、平林賞を受賞する、この展開。すべて、生身の人間が関わって発生した出来事だ、というのだけはたしかなことです。

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コメント

覚醒剤取締法の施行前にヒロポン中毒だった文士は織田作之助や田中英光や青山光二や五味康祐など珍しくはなかったようですね。しかし、違法化された後もヒロポンをやめられなかった文士って、いるんでしょうか。

もし御存じでしたら教えてください。覚醒剤自己使用は再犯率が高いのに、すべての文士がすっぱりヒロポンと手を切れたとすれば、理由は何ですかね。

投稿: A | 2019年11月 7日 (木) 17時16分

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