昭和8年/1933年・税金を滞納していると税務署に暴露された直木三十五。
文士連のそうくつの觀ある藤澤、茅ヶ崎、鎌倉等湘南各地をなは張りとする藤澤税務署では文士連の税金滯納に惱まされ續けてゐたが我慢がし切れず大衆作家直木三十五こと植村宗一氏の滯納税金を取立てに同氏作『青春行状記』(中央公論社版)の著作權を差押へることに決し二十六日その旨直木氏竝に版元へ通告正式手續きをとつた(引用者中略)
同署の言によると――直木氏は昭和四年度所得税の一部と七年度のそれと合計九百八十圓を滯納、再三の督促にも應じないし殊に最近居所が一定しないので各方面を調査した結果、目下麹町區紀尾井町三に居住することをつきとめさてこそ著作權差押への處分に及んだもの
――『東京朝日新聞』昭和8年/1933年6月28日「直木三十五氏に税務署が又奥の手 「青春行状記」版権差押へ」より
今日は2月24日です。いったい何の日でしょう。
そう聞かれて、直木三十五の命日ですよね、などと即答してしまうと、たいてい気持ち悪がられるので、なるべく口にしないようにしていますが、今年はたまたま日曜日です。毎年、横浜市富岡の長昌寺で行われる「南国忌」の催しと命日がちょうど重なり、100名弱の参会者が直木さんを偲ぶ1日でもありました。こうなるとやはり、うちのブログでも直木さんの話をしないわけにはいきません。
それで直木さんには、犯罪や事件にまつわるエピソードはそんなにないんですけど、友達と興した会社のカネを使い込み、迷惑をかけて喧嘩別れ、世が世なら訴えられてもおかしくないくらいに、人道に悖ると言われかねない個性の持ち主だったと伝えられています。その直木さんが、昭和9年/1934年2月24日に43歳で亡くなるまぎわの最後の最後で、危うく犯罪者……というか予期せず罪をかぶりそうになった事件があります。昭和8年/1933年6月に勃発した、直木三十五脱税疑惑事件です。
直木さんといえば、貧乏だったころも人気作家になってからも、とにかくカネに関する話題には事欠きません。終始、浪費・濫費のレベルが度を超していたらしく、昭和2年/1927年10月に1万5000円~2万円程度のまとまった収入があったときには、ほぼ1か月で1万円以上を使ってしまい、もう4000円しか残っていない、みたいなことを書いています(『不同調』昭和3年/1928年1月号「金持になって不愉快な話」)。入ってくるほうもザル勘定、出ていくほうもザル勘定。一銭、一円のお金をちまちま数えて将来の設計を立てるような作家でなかったのは明らかです。
自身が満35歳となる大正15年/1926年に、筆名を〈直木三十五〉に定めてまもなく、映画界から身をひいて原稿一本の生活に入ったのが翌昭和2年/1927年のことです。各雑誌・各新聞に連載や単発ものを大量に書き出し、当然収入もにわかに増えていったはずですが、なにしろズボラで、カネがあればすぐに使ってしまう人間ですから、一年分の収入から割り出された所得税を翌年に支払う、という納税制度にぶち当たって悶着を起こしてしまったのは、あるいは自然だったかもしれません。
「税務署のやり方」(『文藝春秋』昭和8年/1933年8月号)で直木さんが語るところによれば、税務署が出してくる収入査定額というやつがとにかく納得できなかったらしいです。税務署いわく、昭和6年/1931年度の直木さんの収入総額は、およそ2万円弱。文筆業に関してはその4割を〈生産費〉として差し引く内規があるので、査定結果は1万1000円少しになり、これを繰り上げて収入査定額は1万2000円だ。と言われたものですから、直木さん、いやいやそれはおかしいぞと不服を申し立てて、行政訴訟に持ち込みます。
税務署は少しでも多くの税金を確保するために、高額所得者に目をつけて、根掘り葉掘り収入状況を調査します。そして算定した納税額を払え払えと言い募る。いっぽう高額所得者のほうは、横暴で居丈高な役人たちの態度に気分を害して、たくさんお金を稼げば稼ぐほど、どうしてこんなに税金が高いのかと不満をぶちまける。……古今東西、めんめんと続いてきた伝統的な悶着のひとつかもしれません。直木さんも思いがけず作家として売れてしまったせいで、この伝統の洗礼を受けることになってしまいました。
これだけ稼いだんだからきちんと払え、いや、そんなに稼いでないから払えん、といったやりとりは、税務署のほうから見ると〈税金の滞納〉と表現されるわけですが、直木さんだけでなく、たとえば広津和郎さんや、菊池寛さん、久米正雄さん、室伏高信さん、山内義雄さんなども同じように滞納が問題視されていたそうです。これが昭和8年/1933年、いよいよ新聞にも大きく取り上げられることになったのは、もちろん直木三十五といえば人気作家、という共通認識が報道する側や読者のあいだにあったからでしょう。
人気作家、と言ってもいろいろあります。じっさい書く小説が読者から喝采を浴びた、ということの他に直木さんに人気のあった大きな要因があって、それは、腹の立つことやおかしいと思うことがあれば躊躇せず、紙面、誌面を使って自分の立場や考えをさらけ出しながら戦闘姿勢をとる、いわば血の気の多い作家だったことです。
昭和8年/1933年は、直木さんも健康状態が思わしくなく、腰痛はひどくなる、激しく咳き込んだりするそんな折りでしたが、降りかかってきた税金の問題にも、まるで引くことなく、税務署の横暴や不勉強を訴え、著作権の差し押さえなどできるもんならやってみろ、と啖呵を切る有りさま。このころの直木さんは、軍部や統制国家に協力の意を示すいっぽうで、税に関しては国家権力を批判するという、小説以外のところで注目を浴びる存在だったわけです。
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有名人の不祥事を目にすると、急に元気になる人たちがいます。いまもいますし、やはり昭和8年/1933年当時もいたらしく、直木三十五税金滞納! などと新聞にデカデカと載ったのを見て、そうだそうだ、税務署よよくぞ公表した、と藤沢税務署に数多くの投書が送られてきたそうです。なかには直木は納税を怠る非国民だ、などと煽り立てるものもあった、と言います。なんだか妙に活気づいています。
この野郎、と思ったのは直木さんも同じで、これは滞納じゃない、そもそも税務署の収入査定ってやつがメチャクチャなんだと反論。「税金、著作権」(『東京朝日新聞』昭和8年/1933年7月30日)、「税務署のやり方」(『文藝春秋』昭和8年/1933年8月号)、「再び税の事」(同誌9月号)と、いかに税金取り立ての役人たちが非道か、逆に責め立てるような文章を発表します。5年も前の税金のことでいきなり督促状がきて不快だとか、内規の4割を差し引いた額からなぜか切り上げて収入査定額を算出しているのは卑怯だとか、平凡社の『実話全集』と『探偵小説全集』は、おれは名前を貸しただけで一円ももらっていないのに収入として査定されているのはおかしいとか、著作権を差し押さえると言っている『青春行状記』の版権はとっくに他の人に譲渡してあるものだ、そんなことも調査できないでおめおめと人のことを脱税の悪人よばわりするなとか、いろいろ言っています。
たしかに直木さんの主張にも理はあるでしょうが、ここで直木さんの肩をもち、いっぽうの意見ばかりを載せる、という態度をとらなかったのが当時の『文藝春秋』の偉いところです。いや、単にゴシップ的な話題を焚きつけてやろうというゲスな編集者ダマシイかもしれませんけど、直木さんの「再び税の事」の後ろには、税務署関係者と思われる人間の「「楠木正成」と税金――直木三十五氏へ――」が併載されていて、直木さんの言っていることは一面でしかなく、税務署にもそれなりの事情があるんですよ、と諭しています。
「事実が事実で、正式にこれを立証出来るのであるから、篤と実情をお話しされたら、疑問は氷解する事であろう。こんな間違いを直すのに、すったもんだする筈がない。唯、いきなり青筋を立てて、喧嘩腰になられては、出来る話も出来なくなる事がある。これは何も、今に初まった事にあらず、貴著、源九郎義経参照の事!
(引用者中略)
あんた程の苦労人が、人が冗談でいった事を、一々、そう角目だって、取上げるものじゃありませんよ。「直木さんが、あんな税金なんて、おかしいですな」といわれるのは、それだけ、あんたが信用されていると思ったらいいじゃないですか。いう方でも、何も、あんたが、「脱税でもしているような」つもりでいっているのではないですよ。」(『文藝春秋』昭和8年/1933年9月号 長沼生「「楠木正成」と税金――直木三十五氏へ――」より)
と、こんな具合に、直木さんの姿勢にやんわりと釘を差しています。自分の感情をさらけ出して攻撃するのは傍目で見る分には面白いけど、もうちょっと冷静になって物事を見れば大した問題でもない、という直木さんの随筆が備えている特徴をあぶり出す、うまい編集です。
だいたい文学賞の選考や選評もそうですが、小説にしろ作家にしろ、この世のすべてのものには多面性があり、褒める見方もあれば、問題視する見方もあります。たとえ受賞した作品でもケチをつける人がいて、落ちた作品について絶賛する声がある。その多面性をまざまざと売りものにするのが、直木さんの名を冠した直木賞のみならず、候補作を公表しているあまたの文学賞のよさだと思います。
話がそれました。けっきょくこの問題がどうなったかというと、直木さんの「税金問題の終末」(『文藝春秋』昭和9年/1934年3月号)によると、はじめ藤沢税務署が査定額として出してきた2万6500円は、税務監督局の再調査で2万1060円まで下がり、一期分284円余り付加税98円余り、という額で決着。要するに、やっぱり税務署の最初の査定がおかしかったのだ、おれが正しかったんだ、と直木さんが勝ち誇って終わります。これが直木さんが生前『文藝春秋』に発表した最後の原稿で、まさにぎりぎりのところで勝利宣言が間に合い、みずからの手で脱税の汚名を晴らすことができました。闘争心むきだしで人気を得た作家の、面目躍如、というところでしょう。
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