平成15年/2003年・大麻取締法違反で有罪判決を受けた中島らも。
大麻を所持したとして大麻取締法違反の罪に問われた作家の中島らも=本名・中島裕之(ゆうし)=被告(51)に対し、大阪地裁は26日、懲役10月、執行猶予3年(求刑・懲役10月)の有罪判決を言い渡した。
(引用者中略)
判決言い渡し後、西田裁判官は「再び執筆活動に期待している読者の存在を忘れないように」と諭した。中島被告は兵庫県出身。92年に小説「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学新人賞を受賞。直木賞候補にも3回なった。
――『毎日新聞』平成15年/2003年5月26日夕刊「大麻所持で作家・中島らも被告に猶予判決 「読者の存在、忘れぬよう」」より
直木賞の長い歴史を通じても、中島らもさんという候補者はその作品の味わい、発言、行動などの面白さがあまりに際立っていて、直木賞ゴシップしか書かないうちのようなブログにとっても、まず無視できない存在です。これまで何度も触れてきて、いまさら追加する直木賞の話題はないんですが、違法と適法のあいだを自由に泳ぐ中島さんが、とりあえず何度か直木賞とからんでくれた現実に喜び震えながら、懲りずに犯罪事件のことを取り上げます。
といいながら、犯罪よりも先に文学賞の話から始めますと、世のなかには、直木賞よりも数倍、いや数十倍スゴい、と一部で言われている吉川英治文学新人賞という文学賞があります。平成4年/1992年、『今夜、すべてのバーで』でこの賞を受賞しているのですから、中島さんのスゴさもよくわかりますが、アル中の男の放埓というか真摯というか、性懲りもない可愛げのある姿をあますところなく描いたこの作品に、文学の賞を贈ってしまおうと判断した吉川新人賞はやっぱり、直木賞などとは比較にならないくらいに偉大です。
直木賞のほうは、第106回(平成3年/1991年・下半期)から第112回(平成6年/1994年・下半期)までの3年間で、3度中島さんを候補に残しましたが、結局賞を贈ることはありませんでした。しかし、それでもこの日本は「本屋には直木賞をとった人の小説しか並ばない」などという不自由な社会ではなかったので、ひきつづきパンクで優しい中島作品が次から次へと誕生し、またたく間に小説家としても一家を成します。
仮にあそこで直木賞をとっていたとしても、文壇の中心になったりはせず、中島さんのスタンスはさほど変わらなかっただろう――という夢枕獏さんの言葉を、以前も引用したような記憶があります。たしかに中島さんが変わるイメージは沸きませんし、大麻を所持して逮捕される未来も、そのままだった可能性はあります。ただ、直木賞によって変わるのは、それを取り巻く読者を含めた一般の人たちのほうだ、というのは過去にいくらでも例があり、この場合、本人のスタンスはあまり関係ないかもしれません。直木賞の受賞者が大麻で捕まったとなれば、それはそれは、騒ぎも確実に各方面に飛び火したでしょう、そういう場面を見ることができなかったのは残念です。
ともかくも、社会ルールをきまじめに守る品行方正な作家像とは、まったく相容れることなく、そこから人間のおかしみと哀しみをあぶり出す中島さんの作品は、それだけでこの世界に存在する価値のあるものばかりですが、麻薬と呼ばれるもののなかでも、大麻は人間に害などない、禁止するのではなく逆にもっと保護すべきだ、と考える人は日本にも少なからずいて、そういう人から大麻を入手した中島さんは、精神的に追い詰められたり、つらくなったときなどに吸引していたそうです。睡眠薬中毒から、ブロン中毒、アルコール中毒、そして躁鬱病の持ち主と、こういうなかで生きていることも、中島さんのひとつの個性でした。
それが当局にタレコまれたか、厚生労働省近畿厚生局の麻薬取締部に知られるところとなり、平成15年/2003年2月4日、いきなり家宅捜索の襲撃を受け、自宅にあった乾燥大麻や〈マジックマッシュルーム〉を押収され、現行犯逮捕されます。話によれば、21歳のころには自身で大麻を大量に栽培し、周囲に分け与えたりしていたそうですが、押収された大麻類を使用しはじめたのは逮捕される前年の平成14年/2002年10月ごろから。日本以外の、大麻が合法化されている国で吸引したその経験が忘れられず、また創作に行き詰まった心の苦しみを埋めるために手を出したのだ、と罪状の多くを認めています。
法律は法律、たしかにそこは守らなければならない。だけど、そんなにいきり立って大麻を取り締まるのが、ほんとうの正義なのだろうか。……と、思わせてしまうところが中島さんの底知れなさです。
勾留中から躁の症状を見せては、留置所のなかで苦笑、微笑、混乱を巻き起こし、保釈されてマスコミに取り囲まれたときにも、「驚くほどのハイテンション」(『日刊スポーツ』平成15年/2003年2月26日)と言われるほど手がつけられず、記者陣をけむに巻く一大会見をやってのけます
熟慮や熟考などくそくらえ。とばかりに、『牢屋でやせるダイエット』(平成15年/2003年8月・青春出版社刊)というタイトルの書き下ろしを、ものの数か月で仕上げてしまうスピーディーな筆の乗りにも、ハイテンションの一端は現われていると思いますが、「前科がついた」事件からのアゲの展開は、とどまるところを知りません。
あまりに躁がひどくなって保釈後まもなく大阪市立総合医療センターに入院、初公判の4月14日、大阪地裁に病院から出向くことになった中島さんは、投薬の影響で最初は口が重かったそうですが、しかし徐々にしゃべりたがりの性格が顔をのぞかせ、大麻解放論を語り出し、弁護人から注意されたりした、とも言います。とうてい懲りていたとは思えない振る舞いですが、5月26日にくだされた判決では、これからの執筆に再起をかける意欲が強く反省の情もある、と認められて、懲役10月に執行猶予3年がつきました。
○
正直いって、これほど大麻取締法の似合う作家が他にいるのだろうか。そう思わずにはいられません。社会的な枠組みからはみ出し、いや、無理に何かに従おうという感覚の薄さが、中島さんの書くものには端々に散らばっていますし、既成の権威に楯突く姿も、どことなく様になります。
ところが、そこで噛みついたり反抗を気取ったりせず、あっさり反省するそぶりを見せるところが、また中島さんのよさだと思います。
犯罪という事実には抗わない。この率直さが、かえってすがすがしく感じます。
「法律とは、普遍的なものではなく、時と場所によって変化を続けるものである。
大麻が無害なものであることを、いずれ法律が証明することになるかもしれない。
ただ、誤解のないように言っておくが、おれは今回の事件に反省していないというわけではない。
それどころか深く恥じている。「日本国内では大麻は吸わない」と広言していたにもかかわらず吸ってしまったという事実については、まことに面目なく思っている。(引用者中略)もうこのような事件は二度と起こさない。大麻の快感よりも、拘置所の不快感の方がずっと勝る。」(『牢屋でやせるダイエット』より)
判決のさい、西田真基裁判官は、「被告の作品は少年少女から高い人気を得ており、読者に与えた影響は大きい。」と発言したそうです。だから罪としてはよけいに重い、と言いたかったのかもしれませんが、いかにも安全でつまらない道徳観、としか言いようがありません。少年少女に対する影響。こんな話に、中島さんが心から従うだろうか。正直、馬鹿にしてもおかしくない考え方ですけど、たしかに裁判を馬鹿にしたような姿勢を見せながら、いっぽうで反省の情をハイテンションに繰り出します。
いったい反抗的な従順なのか。きっちり分けられない、このとらえどころのなさが、中島さんやその作品の魅力です。そして、そういうどっちつかずな点を、ついに認め得なかったのが、直木賞というものの限界なのかもしれません。
7月19日に大阪のジュンク堂書店大阪本店で行われた『牢屋でやせるダイエット』のサイン会には、手錠をはめた姿で登場、大いに周囲をわかせた中島さんは、新たにバンド〈MOTHER'S BOYS〉を結成すると、「裁判長が見たらひっくり返るやろね」と事前に予告して、8月3日に事件後初のライブを開催します。逮捕の前年、50歳のときに「もう娯楽小説は書かない」と宣言したことと合わせて、いい具合にイッちゃった作家として、娯楽小説以上の娯楽小説を、おそらく生み出してくれるのだろうと、期待感は俄然と高まりました。
結果そうはなりませんでした。人の生き死にに関することは、もうどうしようもありません。これからは、枠にハマり切らない中島さんのような作家を面白がって受賞させるような直木賞であってほしい。そう願っています。
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