昭和48年/1973年・盗用したと断定する記事を書いた朝日新聞に対し、訴えを起こした山崎豊子。
作家の山崎豊子さんは一日午後、朝日新聞社(広岡知男代表取締役)を相手どり「朝日新聞が十月二十一日付朝刊で、サンデー毎日連載“不毛地帯”中に無名作家の作品から盗用と報ぜられたのは事実ではない」と民放(引用者の誤記につき訂正)民法七二三条に基づき謝罪広告掲載を求める名誉回復請求訴訟を大阪地裁に起こした。創作における資料引用をめぐって争われる珍しい裁判となりそう。
(引用者中略)
また、山崎さんは同日大阪法務局人権擁護課に朝日新聞の行為は人権侵害だとして文書で訴えた。
――『毎日新聞』昭和48年/1973年11月2日「山崎さん、朝日新聞を訴え 「不毛地帯」問題」より
小説は作品だけで判断せよ。という一見まともで正しそうな考え方があります。
一見ではなく、ほんとうに正しいのかもしれませんが、残念ながら現実の人間たちにとっては、まず実現するのが不可能な、ファンタジックな理想論です。小説を作品単体で読むことに、なにがしかの価値がある、と信じる人は、この夢を追いかけるのも無駄ではないと思います。とくに止めません。ただ、作品の書かれるにいたった事情とか、作者の立場とか、歴史的経緯における作品の位置づけとか、もっと話を広げてその作品が関係者、第三者、読者、読んでもいない野次馬たちにどのような影響を与えたのか、そういう背景というか枝葉というか、こぼれた話題まで含めて小説に接するほうが、明らかに面白いです。
さて、ここに山崎豊子さんという有名な直木賞受賞者がいます。デビュー作の『暖簾』(昭和32年/1957年)以来、山ほどたくさんの作品が残されていて、作品にまつわる何の知識もなく読んでも十分に楽しめるものばかりだとは思いますが、これもまた残念なことに、山崎豊子という人間のもつ面白さが尋常ではなかったために、作品の内容とは直接的な関係のない数多くのトラブルやいざこざがジャーナリズムを賑わせました。
その最も代表的なひとつが、他人の著作物の一部を、自分なりの表現に書き換えて使用する、という執筆作法です。作品全体をパクったりしているわけではないので「盗作」とは呼びづらいですが、作品の部分的な「盗用」とは言えると思います。
盗用するのは悪いやつだ。とくに作家を名乗って、その原稿でお金を稼いでいる立場の人間が盗用するのは言語道断、無条件で悪い。という倫理観が、現代の日本にはあるようです。その盗用行為に犯罪を構成する要素が認められ、最終的に法の下で処罰されるに至るまでには高い壁があり、ほとんど犯罪事件になった例はありませんが、倫理的に許せないと思っている人が一定数いるために、盗用というのはしばしばニュース性を帯びることになります。
山崎さんが最初に問題視された昭和43年/1968年『花紋』における盗用行為の展開などは、まさしくそのひとつでした。『婦人公論』に連載中だった「花紋」のなかで、主人公がパリで外国の記者に出会う場面に、レマルク作・山西英一訳『凱旋門』のなかの一部と似すぎている箇所がある、と読者からの投稿別名チクリがあり、他に芹沢光治良『巴里夫人』や中河与一『天の夕顔』などからも、まるでそのままと言っていいほど酷似した引き写しがある、と指摘されます。違法性があるとかないとか、それとは関わりなく、山崎さん本人もこれは作家としてやってはいけないことをしてしまった、と自らの非を認め、日本文芸家協会から退会。「山崎氏が今後筆を断つことが望ましい」「文壇的生命は一応終ったと考えられる」という協会側からのコメントまでもが新聞にも掲載され、作家的な、あるいは一般的な通念に照らして悪いことをしたので大きく取り上げられ、社会集団のなかで裁かれた、というところで終わりました。
退会から1年半ほどで復帰を認められ、ふたたび山崎さんは表舞台で活躍しはじめますが、それからわずか3年ほど、今度は『サンデー毎日』で連載中の「不毛地帯」で発生した盗用の話が、またまた全国紙で取り上げられることになったとき、いよいよ告訴、裁判へと発展することになります。
ここで注目しなければいけないのは、告訴したのが、盗用された『シベリヤの歌 一兵士の捕虜記』の著者、今井源治(いまい・げんじ)さんの側ではなかった点です。昭和48年/1973年11月1日、大阪地裁に訴えを起こした原告は山崎豊子さんのほうでした。訴えられた被告は、朝日新聞社です。
たしかに山崎さんが今井さんの著作を参照にしたことは間違いなく、取材と称するかたちで面会もしていたのですが、どうやら山崎さん側の不手際で、今井さんの著作からどのように「不毛地帯」のなかに表現を使用するか了解をとりつけないまま、雑誌に載ってしまい、そのことで両者、お詫びの文章を出すことで事を収められないかと協議していたところ、『朝日新聞』が昭和48年/1978年10月21日に「山崎豊子さん、また盗用」の大きな見出しでスッパ抜いてしまいました。これに対して山崎さんが、名誉回復を請求し、謝罪広告を載せることを求めて訴えたのが、「不毛地帯」裁判です。
はっきり言って、ねじれています。盗用したことが罪だ、いやそうじゃない、ということを争う裁判ではなかったからです。
○
とりあえず裁判では、糾弾の意味合いで「盗用」だと認定するためには、どういう条件が必要なのか。そういう段階の話から原告被告双方の主張が繰り広げられます。
盗用は悪いものだ、という感情については、どちらも一致しています。しかし、小説のなかでどういう表現として使用すれば盗用と言えるのか。山崎さんは今回は盗用ではないと言い張り、朝日新聞側はいや立派な盗用だと言い返します。完全に丸写ししたコピペならともかく、そうでない文章をめぐって盗用かどうかを判定するのが困難を極めるのも当然で、石川達三さんなどは、山崎さんは問題の中心をずらそうとして裁判に持ち込んじゃないか、とさえ勘ぐりました。
裁判は4年半ほどつづけられ、昭和53年/1978年3月30日、山崎さん、朝日新聞、両者の和解成立によって終結に至ります。野上孝子さんの『山崎豊子先生の素顔』(平成27年/2015年8月・文藝春秋刊)には、裁判長からの二度の和解勧告がありながら、作家生命を賭けて提訴したのだから一審だけは勝たせてほしい、と固辞していた山崎さんが、恩師からの勧めで泣く泣く(ほんとに声をあげて泣いたそうです)和解に応じた場面も描かれています。気持ちのすっきりしない、なあなあの和解です。
しかし、いちばんすっきりしなかったのは、資料として利用された当事者、今井さんだったでしょう。結局、今井さんが証言台に立つ直前に、裁判が終わってしまったことで、盗用かどうかの果てなき議論も立ち消えになったからです。
こんなもの盗用以外ありえない、と思っていた今井さんとしては納得できない感情が残り、『山崎豊子の『盗用』事件』(いまい・げんじ著、昭和54年/1979年8月・三一書房刊)によると、和解が成立したその日、突然山崎さんが今井さんの家を訪ねてきたときの様子を、かなり問題視する語調で明かしました。
「今井「ところで、ことわっておきますが、これはお二人共(引用者注:山崎と秘書)、聞いといて下さいよ。私と山崎さんとの問題は依然として未解決のままなんですよ。「今井さんには、ちゃんとご挨拶申しあげて一件落着したはずだ」などといわないようにね。あなたは私に対して、まだ何もしていらっしゃらない、そうでしょう。
私はね、ただ、人間としての良心を、誠意を期待しているだけなのですがね……」
私が何をいっても、ただ、うなずき、頭を下げるだけで、山崎さんは
「ご不快をおかけしまして……」
と、くり返すばかり、そのほかの言葉はピタリと慎しみ、この場さえすめばそれでよいといったふうな、何やらそわそわと落ちつかぬ女史たちを表の道まで送って出たら、なんとタクシーを待たせてあったのには驚いた。」(『山崎豊子の『盗用』事件』より)
マスコミを前にすれば、私は盗用はしていない、と強気の姿勢を崩さないのに、今井さんとの私的な面会では、低姿勢に頭を下げつづける山崎豊子。
表と裏の顔を使い分ける、何てイヤな人なんだ……というのもひとつの見方だと思います。しかし、完全な盗用と見えることをしながら、盗用作家呼ばわりされるのを嫌がって反撥し強がってみせる、そんな人間性の人がいてもまったくおかしくありません。むしろ、そういうところにこそ人間の息遣いが感じられますし、小説を読むときの興趣も無限に高まります。
小説の内容とは関わりのない情報を切り離して、読書する。そういう痩せ細った読書生活だけは送りたくないものだ、とつくづく思います。
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コメント
はじめまして
いまいげんじは、私の大叔父で、小学生の頃家に来て、祖父と盗用裁判の話していたの覚えてます。
華麗なる一族ってネットニュースみて、ふと盗用を検索してたらここにたどり着きました。
大叔父に興味持って頂いてありがとございました。
投稿: だいく | 2019年3月18日 (月) 13時02分
だいくさん
コメント残していただき、ありがとうございました。
うちのブログが、今井さんを主体にした記事じゃなくて申し訳なく思いますが、
今井さんが自分なりの視点でこの事件のことを書き残しておいてくれたことに、
感謝しています。
投稿: P.L.B. | 2019年4月 1日 (月) 21時45分
× 民放七二三条
○ 民法七二三条
投稿: | 2019年8月20日 (火) 13時37分
コメント欄で誤記をご指摘いただき、ありがとうございました。
引用で誤植してしまいました。申し訳ありません。
上記訂正いたしました。
投稿: P.L.B. | 2019年8月20日 (火) 22時57分